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何度も一緒に眠ったけれど結局セックスしないままだった人にとって世界はどういうものだったのか

(こちらの記事の続きとなります)

三十代の中頃で付き合っていた彼女にとって、世界はどういうものに感じられていたのだろう。

傷付けられた自分と、自分を傷付けた人々と、これから自分を傷付けるかもしれない人たちがうごめく、傷付いた自分から流れる血がいつまでも乾かないねっとりと湿った世界という感じだろうか。

もちろん、その人の場合、会社いるときでも友達といるときでも、みんなが楽しいように騒いでいるし、本人もがむしゃらに楽しもうとしている。

けれど、そうやって一日楽しくしようと頑張って、ひとりになった帰り道に、疲れたなとか寂しいなと思いながら人々を眺めているときには、そんなふうに感じていたりするのかもしれない。

目に映る人々をぼんやり眺めていると、鬱屈や、暴力の影や、共感の欠落や、準備されたヒステリーや、そういうものが人々の顔の奥でうごめいているのが見えてくる。

そういう不穏な感情を抱えた人たちが、自分を見ていたり、一瞬目が合って無視したり、自分を見て興味なさそうにしたりしていて、嫌だな嫌だなという気持ちが自分を包んでいく。

こんなところでこんなふうにひとりでうんざりしている自分が嫌だし、この景色の中にすっぽり収まってしまうくすんだ自分が嫌だなと思う。

力の抜けた、もう疲れてしまって苦しいばかりの自分にうんざりしてくる。

そうやって嫌悪感が自分に向かうと、血の匂いが立ち込めてくるような気分になってくるのかもしれない。

けれど、それはその彼女というより、世界に対して憎しみをたくさん抱え込んでしまった女の人全般が抱えているムードなのだろう。

俺が付き合っていた人たちはそこまでではなかったけれど、仲良くなった女の人には、世界の見え方がそんなふうなんだろうなと思う人がいた。

その人は母親が頭がおかしくて、その人が家を出るまで理不尽な扱いを受け続けていたらしく、三十代の中頃で付き合った彼女とは違って人見知りの強い人だった。

大半の相手には、バカにしていると思われても仕方ないくらいに軽くしか関わらず、親しい人たちの前ではマイペースに意地悪な無邪気さを振りまきながら口汚く過ごしていた。

自分が何か思い込めれば、ぱっと見て明らかにろくでもない男を好きになるし、男から誘われればそこまで邪険に扱わず付き合ってあげるけれど、かといって、男全体を深く軽蔑していて、自分がその相手に何かを思い込むまでは、俺から見ていい男だったり、くだらない男だったりしても、何も感じようとせず、ただ男として汚らしいものとしてしか見ていなかった。

仲良くなってからは、子供っぽいへらへらした顔を俺に見せながら、いろんなことを楽しそうに話してくれるようになった。

延々と自分のことを喋ってくれていたけれど、集中力が増してくると、どろんと濁るというよりは、目の中をすっと空っぽにさせて、微笑みになってしまわないくらいに小さく笑いながら、自分の中の憎しみに寄り添うようにして、できるかぎり人をバカにできる言葉を選び続けていた。

それを見ながら、この人は自分の不愉快な運命と、そこに登場した自分を傷付けた人々に復讐するために生きているんだろうなと思った。

そして、他人を憎み続けるための材料はいつでもすぐに現実が自分のもとに運んできてくれるから、そういう思い方は本人が世界に対しての自分の敗北を受け入れるまでいつまでも続くのだろうなと思った。

その人とはセックスしなかったけれど、俺の手を握ってきたときや、キスしてきたときの動きからすると、ぶりっこっぽいか、軽く病んだ感じを演じるのか、なんにせよ自分の気持ちに振り回されながら自分が思う自分を表現するのでいっぱいいっぱいになっているような、近視眼的でぎこちないセックスをするんだろうなと思っていた。

自分の頭の中で生きている度合いが高すぎて、この人は自分の身体を自分自身だと思っていないのだろうなと思っていた。

自分の身体を、母親やその他自分の味方を装ってああだこうだ言ってくる人たちが気分任せに好き勝手に打ちのめすサンドバッグであり、そして、男たちがおもちゃにしようとしたがる、痛めつければ声を上げるペニスを入れるのにちょうどよさそうに手入れされた肉のかたまりであるように思っていて、自分はそういう連中の視線を、この肉体を盾にして受け流すことで自分自身を守らなければいけないというように思っているのかもしれないと感じていた。

もちろん、実際にそんなことは思ってなかっただろう。

その人の中のムードを言葉にしたときに、そんなふうに自分の身体を感じているように俺には見えたのだ。

けれど、その人が虚ろな目をしながら自分のことを考えている時間に浸っていた気分は、その人の中に影を作って、その影はその人の表情や振る舞いに後ろ暗さとなってつきまとうようになる。

自分の肌の薄さと白さに男たちの目が留まり、放っておくとその目がすぐに濁っていくことをよくよく知っているうえで、自ら悪意も込めたうえで多めに肌を露出させておいて、頭の片隅でレイプされるのに怯えながら、レイプする隙を窺っている男たちをバカにする言葉を延々と頭の中で唱え続けているような、そういう時間がその人の人生にはある程度あったのだろう。

そういうムードを自分の中でたぎらせて、その殺伐としたものを自分にすりこんでいったのだ。

身体があるせいで殴られて痛みを感じなくてはいけなくて、身体があるせいで脅かされて怯えなくてはいけない。

身体から自分を守るために、身体の奥へと自分自身を引っこませたのだろう。

そして、身体に属するような感情を自分でうまく感じられなくなって、そうだとしても頭は身体が感じる気分に振りまわされて、それを頭の中で無理やりに理屈をこねて正当化して、周囲の人に自分のことばっかりだなと思われるような頭でっかちな人間になっていったのだろう。

そういう人にしたって珍しくはなかったりするのだろう。

自分が女であることを持て余すというか、自分が女の身体をもって生きることを押し付けられたことに折り合いがついていないまま、それでも年はとってしまうのだ。

自分が女であることと、自分を女として扱うすべての人を憎んでいるような、そういう人たちが目にしている世界とは、自分の不幸な運命が引き受けることになった傷から流れる血液と、その原罪として身体に染み込んだ経血のすえた臭いの立ち込めているような世界だったりするのだろう。

一部の女の人たちの頭の中や行動がお花畑的なのは、その臭いをかき消してくれる気がするからなのかもしれない。

自分に傷付いたところが強い人よりも、他人に深く傷付けられた人のほうが、頭の中がお花畑なことは多いのだろう。

その二十五歳から付き合っていた彼女は、はじめから空っぽな世界にいたから、それなりに妄想は強かったけれど、お花畑的なところはなかった。

母親が頭がおかしくて俺がセックスしなかった人は、完全にお花畑だった。

頭の中には憎しみが唸るほどありながら、その隙間で、まだ世界から守られて女として暴力を受けずにすむ時期に楽しませてもらっていたのと似たような楽しみで、自己イメージを漂白しようとしていた。

三十代の中頃で付き合った彼女の場合は、いわゆるお花畑的なものを意識的に避けていたのかなと思う。

趣味にしても振る舞いにしてもそういう傾向は希薄だし、部屋に置かれていた家具や小物しろ、普段の服装にしろ、正気を保とうというように、かわいくもけばけばしくもだらしなくもないところで抑圧的にそろえられていたように思えた。

これまでの恋愛や幸せについての話なんかは、発想が多少お花畑的だなと思ったけれど、それでもそういうところに流されていかないのは、他人を憎んでいるわけではなかったからなのだろう。

世界が悪いとか汚いと思っている度合いが低いから、それとは別のお花畑な世界で気をまぎらわせたいという気持ちも少なくて、そして、そのぶんも、その憎しみは自分に向いていたのだと思う。


(終わり)


「つまらないセックス」からの抜粋となります。

(この三つから抜粋)


三十代中頃の同じ歳での社内恋愛の、付き合うことになった一日目の話となります。
職場ではめちゃくちゃ騒がしくて面白い女の人だったけれど、ベッドのうえではじっとして見上げているだけで、そういう相手に合わせていい感じにしてあげようとしていたら、ずっと正常位で優しくしているだけの、つまらないセックスになってしまっていたけれど、彼女はとても満足したらしく、セックスが終わったあとは、もう二人は付き合っていることになっていてびっくりした、という感じの話になっています。


(全話リンク)




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