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【小説】つまらない◯◯◯◯ 59

 そういう物足りないという思いは、どうしたらいいのだろうと思う。みんな物足りなかったりしながら、そういうものだと思って、物足りなさに甘んじているのだろうか。もちろん、物足りないのはお互い様で、俺だって物足りなく思われてきたのだろうと思う。俺にしたって、勘違いは多いし、鈍感なところも多い。女の人のことをわかっていないなと自分でも思うし、察してくれないというか、言わないとわかってくれないことの多い男ではあるのだと思う。自分が相手に対して物足りなく思っても、物足りないとわざわざ伝えたりしないように、伝えてくれなかっただけで、物足りなく思われてきたことがたくさんあったのだと思う。それを伝えるのは疲れることだし、伝えてもうまく伝わらなくて、ぎくしゃくするだけだったりするから、こんなものだと諦められていただけなのかもしれない。そして、そんなふうに、相手のほうは物足りないところがあるのは仕方ないと受け入れたうえで俺と一緒にいることを求めてくれていたのに、俺は自分のことばかり考えて、こんなふうに物足りないまま一緒にいるのは相手にとってもよくないだろうからと、相手から離れようとしてしまったということだったのかもしれない。
 もちろん、お互いに物足りなさを感じないまま一緒にいる人たちもいるのだろう。大学の同級生で結婚している人たちのことを思ってみても、みんなそれなりに楽しそうにしているのかなとは思う。物足りなく思っているところがあったとしても、それ以上に相手と一緒にいることを大切に思えているから、うまくいっているのだろうなとは思う。
 しばらく前に、大学の友達数人と飲もうかということになったときに、結局発起人が仕事を抜けられなくて、飲み自体が流れてしまって、先に現地で待っていて待ちぼうけになってしまった男と、じゃあまた今度というメッセージをやりとりしていた。やりとりしている中で「奥さんと子供ができたけれど孤独なままだ。寂しさはなくなった」というメッセージがあって、こいつでもそうなんだなと思った。
 そいつとは前に同じ会社にいて、そいつは社内恋愛だったから、俺は奥さんのことも知っていた。容姿もよかったけれど、仕事もできるようだったし、まともな人そうで、ちゃんと真面目な話題でも噛み合って話ができる人なんだろうなと思っていた。そんな素敵な人が奥さんで、子供ができて、寂しさを感じないふうに自分の時間が埋まっていったとしても、満たされないものは残るんだなと思った。そのメッセージは、そんな寂しくない毎日の中でも、自分が自分だと思っている自分が受け入れられているようには思えないままだというような意味だったのだろう。家庭という場所の中に自分の役割はあって、その役割を果たして喜んでもらえたとしても、自分の気持ちを持ち込めるような時間はなかったりしてしまうのだろうなと思う。けれど、それはむしろ、家庭を持っているのに、まだ自分は自分だと思って、自分には自分の感情があると思っているから、そんな気持ちになるというのもあるのだろう。自分のことはもうよくて、ふたりのこととか家庭のことだけでいいと思えれば、それで孤独感も消えていったりするのだろう。
 かといって、そんなふうに、家庭を自分のものだとか、自分そのものだと思っていないのも、男にはよくある感じ方なのだろう。若い世代はまた違っているのかもしれないけれど、多くの男にとって家庭というのは、付き合わされているものでしかなかったりするのだと思う。付き合わされているようなつもりでも、相手との時間は勝手に進んでいってしまう。それが簡単すぎて退屈してしまったりもするのだろう。
 よくあることなのだろうなと思う。仕事にしろ、家庭にしろ、それなりに充実しているようで、けれど、気持ちは誰からも放っておかれたままで、自分の中でまぁそんなものかと、何でもないこととして処理していくしかなかったりするものなのだろう。
 やることをやっただけでは満ち足りないのは、誰でもそうなのだろう。けれど、だからといって、他に何ができるわけでもないのだ。一緒にいる相手からしても、相手の中に満ち足りない気持ちがあるのを感じたとしても、励ましたり、他の楽しい用事で忘れようと持ちかけたりすることしかできなかったりする。そうやって、目の前の相手が自分の満ち足りない気持ちをどうすることもできないことを確かめながら、自分の気持ちが自分とは関係のなくなっていく日々に、ひとりきりで後悔をしながら老いていくしかなかったりするのだろう。ほとんどの人がそうなのだから、俺にしても、自分もそれでいいと思えばいいのだろう。お互いが寂しさに傷付かないように守り合うことがルールであり目的であるような関係が羨ましくないからといって、それしかないのだから、そうするしかないのだ。そして、その友達はそうしたということなのだろう。
 きっと、先に諦めがなくてはいけないのだ。誰かと一緒にいるというのはそんなものだということを諦める前に、自分が他人とのあいだに成立させられる関係というのは、お互いを傷付かないように扱い合って、あとは一緒にできるだけ楽しいことをするというくらいなのだということを諦めなくてはいけないのだろう。お互いへの興味を中心軸とした、お互いを面白がることがずっと続く関係なんて、自分には誰が相手であれ作り出せないという諦めが必要なのだ。今まで、俺に興味を持ってくれていた人たちですら、俺が相手に気持ちを押し付けられなくなくなったあとは、そんな俺を見守ることしかできなかったのだ。
 自分なんてそんなものだと諦められたなら、自分のことを大事に思ってくれている相手と寂しさを埋め合いながら素直に感謝を繰り返していくことで関係を深めていければそれでいいと思えるのだろう。それとも、自分が自分に興味がなくなってしまえば、相手が自分に興味がないことも平気になったりするのだろうか。自分がどう思っているのかということに興味がなくなってしまえば、あとは自分の気分がいいかどうかだけの問題になる。そうすれば、誰かと一緒にいることにも、ただお互いが機嫌よく楽しい時間を共有できていれば、充分に満足できるようになるのかもしれない。寂しくはなくなったけれど孤独だとメッセージをくれた友達は、まだ自分への興味がなくなっていなくて、だからそんなふうに思ったりもするだけで、多くの人は、どこかで自分への興味を意味のないものだと手放していったということなのかもしれない。
 どうしたところで、必要性というのなら、自分の思うことや感じることに自分で興味を持つ必要なんてないのだ。そんなものがなくても、やることならいくらでもある。俺にしたって、勝手に何かにつけて何かを感じたがっているだけで、感じることなんて誰からも求められていないのだ。いつもそばにいる人から何かを感じようとするなんて、相手からすれば鬱陶しいだけだろう。昔は相手がそれを喜んでくれていたのかもしれない。けれど、それはお互いに若くて、まだくたびれていなくて、お互いに自分に興味があったからなのだろう。そして、たいした苦労をしてこなかったせいで、今でも俺がそれほどくたびれていないというだけで、けれど、もう何年も前から、俺が出会う誰かが俺に求めてくれるものは、そういうものではなくなっていたのだ。求められていたのはそばにいることだけだった。いたわり合って、慰め合って、気にかけ合って、ふたりのことを喜び合うという以上のことを求められてなんていなかったのだ。そもそも、それ以外に俺が何をしてあげられるというのだろう。一緒にいられてうれしいという気持ちを示し合って、いい感じにやってこれたから、自分たちは今一緒にいられているのだと、お互いが一緒に過ごしてきた時間を肯定し合うことが、自分が誰かにしてあげられる最善のことなのだ。今までだってそうだったし、これからどこに行ったとしても、出会う人が自分に求めてくれるのはそういうことだけなのだろう。聡美は正しいのだ。そういうものしか求められることはないという、まさにそのものを俺に求めてくれているのだ。
 聡美は教えてくれているのかもしれない。俺が間違っていることを、聡美の正しさがこんなにも温かいことで、教えてくれているのかもしれない。
 俺もいい年になったからそろそろ変わるのだろうか。今までだって、結婚したくないわけじゃなかった。早く誰かとそうしたいと思っていたわけではないけれど、いつかは結婚して子供を育てるのだと思っていた。誰かと一緒に生活したくないわけではなかったし、責任を負いたくないわけでもなかった。面倒だからとか、不自由だとか、縛られたくないとか、自分の生き方がどうこうとか、自分の金や自分の時間が奪われるとか、そういうことに引っかかっていたのではなかった。俺はいつも、その相手はこの人なんだろうかということがわからなかったのだ。寝ても覚めてもその人がいるということをイメージしてみることはあったけれど、うまくイメージできたこともなかったし、そうしたいと強く思えたこともなかったのだ。
 未来をイメージできないのにしたって、男にはよくあることなのだろう。今好きなだけで、別にこの先もずっと面倒を見てもらいたいわけでも、ずっと面倒を見てあげたいわけでもなかったりするのも、男にはよくあることなのだろう。多くの男が、ずっと一緒にいるつもりでもなく付き合っていて、付き合っているうちに、どこかで自分もそうしないといけないんだろうし、この人ならいいかなと、無理やり踏ん切りをつけているだけなのだと思う。聡美との楽しい日々が続いたら、俺もある日そう思うのかもしれない。それを聡美で確かめてみればいいんだろうか。
 そのためには、ただ流されているだけでいいのだ。聡美のやりたいことに付き合ってあげながら、いつもどおりにしているだけでいい。それだけでお互い楽しくやっていけるのだろう。半年とか一年が過ぎていくうちに、聡美も俺とずっと一緒にいたいと思うようになるのかもしれない。そして、俺がそうしようかと言えば、そのあともうまくいくのだろう。
 聡美で変われるのかもしれない。他でもない、俺が近付こうと思えた人なのだ。聡美は俺にとって、今まで付き合ってきた人たち以上に特別な人というわけではないのかもしれない。かといって、これから先、聡美以上に誰かが俺のことを好きになってくれることなんてないのかもしれないのだ。そうなったとしても何の不思議もない。俺がこれから聡美以上に誰かを好きになることがなかったとしてもまったく不思議ではない。それくらいには、聡美は俺にとって特別な人なのだと思う。
 いろんな人がいる中で、聡美には声をかけたいと思った。好きな人がいても声をかけなかったりする中で、聡美には声をかけた。そういう相手なのだ。ちっとも誰でもよくはなかった。誰も自分のそばにはいないままでもいいと思っていて、けれど聡美には声をかけないと後悔することになるのかなと思った。そう思っていたから、ちょうどいいタイミングがあったからというのはあったにしても、思い切って声をかけてみたのだ。きっと、自分が死ぬまでのあいだに出会える中でほんの数人の特別な人なのだろう。たまたま巡り会えた、とても大切な人なのだと思う。これから一生、あの人はどうだったなとか、あのときどうだったなとか、今はどうしているんだろうとか、ずっと思い出し続ける人になるのだと思う。
 聡美は口を半開きにして、少しぼんやりした目で俺を見詰めていた。違う角度でしっかりこすれるようにして入り直していくと、聡美は息を吸い込みながら薄く目を閉じていく。根本までいって、そこからもう少し押し付けると、短く声を出して、ゆっくり腰を戻していくと、息をついて、微笑みながら俺を見上げてくる。
 俺がこれまでとたいして変わっていないとしても、聡美は今まで付き合った人とは別の人なのだ。噛み合わないなと感じている雰囲気も違っているし、なんとなく引き付けられる感覚も違っている。肌を合わせているときの気分だってずいぶん違っている。いろんなことが違うのだから、今までの人たちとは違った付き合いになっていくのかもしれない。
 聡美とくっつくと、何も考えられなくなってしまう。もっと肌の感触を感じたくて、べったりとくっつこうとするばかりになってしまう。肌と肌を合わせても、くっつき方が違っているような気がする。くっつき方は一緒なのだろうけれど、くっついている感触の身体の中への響いていき方が、今まで感じてきたものとは違っている。汗をかいていても、汗がお互いの肌のあいだに溜まっていることに気付かなかったり、肌がこすれあったりするときも、お互いの肌が境界線のように感じられない。匂いもあるのかもしれない。聡美の匂いというのをほとんど感じていない気がする。聡美の匂いはあって、それは知っているしそれに包まれているのだけれど、違和感のようにして、他人の匂いがするというような感じがしない。聡美がどう感じているのかはわからないけれど、自分の匂いと聡美の匂いが混ざり合ったときに、お互いの匂いが反発し合わないで混ざり合って、落ち着いた感じに自分を包んでいる感じがする。
 三十三歳という時期に、仕事にもうんざりして、前の人では物足りなかったものをやっぱりこの人からももらえそうになくて、前の人からもらえていたものがもらえなさそうな気もしながら、その代わりにセックスはもしかしたらもらえるのかもしれない。俺だっていろいろ思うのだろう。これで変わるのかもしれない。
 いいんだろうか。こうしていれば、聡美が俺を変えてくれるかもしれないと、そんなふうに自分に言い訳しながら、入れてしまったペニスをまだ入れていたいと思う気持ちに流されていてもいいんだろうか。
 長く聡美と付き合っていたら、聡美と別れてひとりになった自分を想像したりもするのだろう。そのときにはもっと聡美を好きになっているだろうし、もうひとりになるのは嫌だと思うのかもしれない。ひとりにならないためにできることなら何でもしようと思ったのなら、聡美とずっと一緒にいるためにどんな約束でも受け入れようと思えるのかもしれない。
 今までは、ひとりで数ヶ月を過ごしていても、一年、二年をひとりで過ごしていても、そんなふうには寂しくなれなかった。けれど、俺も三十三歳なのだ。人と仲良くなる機会だって、だんだんなくなってきている。これから、聡美と別れてひとりになったら、この先ずっとひとりなのかもしれないという不安は、今までよりももっとありえそうな不安として自分にのしかかってくるのだろう。そんなふうに思えさえすれば、俺も変われるのかもしれない。寂しくなってしまわないために何でもできるような、そういう人になれるのかもしれない。そうしたら、同じように思っている相手とずっと一緒にいられるのかもしれない。


(続き)


(全話リンク)


この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです

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