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“何度でも再挑戦できる社会を”「Blind Up. 代表」坂 彬光さん

2018年6月、不眠に苦しみ働くことのできないひきこもりの状態。何者にもなれず必要とされない自分への絶望感に苛まれた彼はある日、働き悩む当事者たちの伴走者になることを決意する。ブラインドをあげた先に見る希望へ向かい、人生をかけたプロジェクトに挑戦している坂さんに話をお聞きしました。

坂 彬光さんプロフィール
出身地:大阪府岸和田市
活動地域:大阪市、兵庫県尼崎市
経歴:任意団体「Blind Up.」代表。
普段はWebディレクター、西淀川・尼崎にあるシェアハウス二邸の運営・管理。
1991年大阪府岸和田市生まれ、関西大学商学部卒、28歳。
大卒起業後に25歳で武者修行するために会社員に。計2年でWeb制作会社2社会社員を経験。 2社目で半鬱と職業不適合の結果、やむ得ず2018年6月退職。同年27歳自分の活かし方と役割を見直し、悩み生きる働き手が「再挑戦できる社会」を作るために「Blind Up.」設立。
座右の銘:Please use me for your happiness.

自分自身を受容している状態が作れれば、働き始めなくても無職でもいいやん」

記者 ブラインドアップを通してどんな未来のビジョンを描いていますか?

坂 彬光さん(以下、坂) 定義づけしているものとして、生き方・働き方に悩んできた人たちが何度でも再挑戦できる社会を作ること。一度挫折してしまっても再挑戦したいという気持ちを持って、何かに向けて動き始める状態を作ることがビジョン。それが普通の状態として社会が機能すれば理想的だなと思っています。

その人自身の活かし方みたいなものを考えたりとか、一緒に模索していくことを伴走と呼んでいます。絶対的にこうした方がいいですよっていうようなコンサルティングやコーチングをされるのはしんどい、そういう人もいる。それならば、共に悩んでくれる人がいた方がいいかなって。自分は今こんな状態だって誰かに言えている状態が前向きで健全だと思っています。話せない状態よりは自分のことを話せていた方がもの凄くポジティブな状態だと思いません?それは自分自身を受容していると思っていて、それが再挑戦できている状態。そういう状態がどれだけ素晴らしいのかなと。それを作ることができれば働き始めなくてもそもそもいいのではないか、無職でもいいやんと。その状態さえも肯定できる世の中って、きっと再挑戦できる社会が必要だと思っています。それは自分の身を削ってでもやりたいことです。

7月1日、クラウドファンディングをスタート

記者 それに向けて今はどんなプランがありますか。

 今まさにこれからやっていこうとしていることとして、自分の活かし方や役割を自分自身で理解できている、他人に共有できる状態を作る、マイトリセツ手帳というものを開発しています。

製品が出来たからすぐ販売しますというのではなく、テストユーザーさんと一緒に作り、その過程をFacebook の非公開グループで公開しています。今年はベースとなるものを制作・開発していきながら個人や企業の方と協働しながら作っていければと思っています。企業さんであれば離職していく人たちを予防するための一環としての、コミュニケーションツールになればと。そういうものを企業や個人、しいては教育機関の中でも導入して貰えればと思いながら、作っていきましょうと働きかけをしています。

7月1日からはクラウドファンディングをスタートさせるんです。そこから9月に入るまでクラウドファンディングを並行させながら準備して行こうかなと。9月に入ってからはNPO法人にしていくための申請期間に入りたいなと思っています。来年の4月から1期目のスタートができれば、という感じですね。

記者 実際に今はどんな取り組みをされていますか。

 具体的な動きとして、Webメディアの運営とマイトリセツ手帳をその一つをサービスとしてやっていこうかなと。ある程度それがサービスとして定着してきたら、その手帳を持った人たちがコミュニケーションを取れる状態を作るための協会みたいなものを作ろうと思っています。

自分はポジティブだと思えば思うほど辛くなる

 伴走自体の当事者というのは僕自身も含んでいます。昨年の6月末に会社員でしたが、不眠症に悩んでいて寝れなかった。今寝ているのか起きているのかも分からない精神状態。周りから見たらやばかったみたいで。僕はそんなことないと、全然そんなことないですよ、起業したこともあるんでという感じで。

結構めちゃくちゃな生き方をして、すぐにひきこもるし仕事ができんくなったら家から出ないとか。そういう状態も含めて受け入れてくれるコミュニティがあるとどれだけ救われるやろうかと思っていて、それをベースにして世の中に対して何度でも再挑戦できるような社会づくりをしたいことがミッションとしてあります。

記者 まずは自分自身をどうにかしようという人は多いと思いますが、坂さんはなぜ誰かの伴走者になろうと拡大していけるような観点に立てたのですか。

 その時は会社辞めるか辞めないかぐらいの時で、組織の中で自分が必要とされてない、役割がないことに気づきました。誰かに必要とされるから生きている実感があるというか、だからホンマに死のうと思っていて。寝られへんし朝になるのがすごいわかる。「会社に行かな、でも行かれへんなー」というのが一か月ぐらい続いていてめちゃくちゃ辛かったんです。そういうのは自分の努力が足りないだけやと思ってました。自分はできる方だと思ってポジティブな方だと思えば思うほど辛くなる、この状態をどうしたらいいかなって。

当時は苦しい気持ちをどう吐き出したらいいか分からなかった。その昇華活動の一貫のためにnoteを書いていました。悩んでいたものを悩んでお終いにしておくんじゃなくて、どう工夫してやっていけばいいのかってやり方を書き残しておくことで自分自身のお守りにしていた。常備薬みたいな自分向けのノートというか、取扱説明書があったらすごく助かるなって。

それを見た人から相談乗って欲しいと連絡が結構来たんです。「いや、そんな僕は悩んでること書いてるだけなんで」と思ったんですが、自分のことはできないけど、人の事やったらいくらでもやる。そうすると「これ仕事になりますよ」って言われ、ものすごい感謝してくれたっていう原体験がありました。そこから同じように悩んでる人達に話しをしてあげたりとか聞いてあげたりとか、感謝されることをやっていると自分も生きててよかったなって思いました。

そういうところから、人に必要とされるってこんなに嬉しいことなんやなと。じゃあそういう困ってる人たちのために一つのケースとしてメディアにどんどん発信していけたら、他にも困っている人も世の中には多いんじゃないか。自分が欲しかったから作ったっていう感じです。

「もし受験でその学校に合格したら、謝って貰う約束をしたらいいやん」

記者 心が落ちている時は努力が足りないと自分で苦しくなっていく、そういうことは以前にもありましたか。

 ありましたね。中学受験をしていてどうしても算数が苦手で、ずっと最下位。塾の先生からも「お前このままやったらその学校に絶対行けへん」て言われ続けました。塾は個人じゃなくて集団指導やから同級生の人からも「お前無理ちゃう」って言われました。

結果的にはその学校に受かったんです。それがなんでかって考えた時に、母親が味方になってくれていたからだと思います。精神論にはなるのですが。

「お前なら行ける」って言ってくれた。

「苦手なんやったら苦手なりの工夫がある。毎朝計算だけは徹底して集中してやろう、あとはもう捨てたらいい。計算は全ての基礎やから、それだけでもいいから出来たらええやん」と。それを例えば半年間やりきって満点取るような状態を作ったらいい。「毎朝家で最も苦手な計算問題を10個やってから学校に行きなさい」と、自分のマネージャーみたいなことをしてくれていました。その状態って伴走やったと思う。

僕がやれることと得意だろうなということに、規則性のあることが母は分かっていたのだろうと思います。そういうのを一回やらせたんやろうなと。実際計算ができるようになったらパターンが見えてくるから、パターンがあるような論述問題とかちょっと解けるようになる。結果的に算数だけじゃなくて他の教科にも影響があってノートの書き方も変わったし、ノートをバインダーに変えたりとか、そうした工夫みたいなものもやってくれてたなって。

記者 先生から周りの友達からも無理だと言われてる時にお母さんから大丈夫、お前ならやれるって当時の坂さんの心的にどんなことがありましたか。

 受験が受かるかなってプレッシャーがあって、自分に自信がない方やから。でも母親からの出来る、大丈夫っていう声とか、お前は絶対落ちるって言われ続けてるんやったら、その先生に謝って貰うくらい強い気持ちでドンと構えていったらいいねんと言われ。(笑)
実際にその中学に受かって先生から「あんなこと言って悪かった」って言われて、自分も意外と頑張ったらできるんやと、少しだけ自分に自信がついたんですよね。この経験は今でも大きな原体験になっています。

記者 お母さんがしてくれていた伴走を、自分もやろうという感じですね。
最後に読者に対するメッセージをお願いします。

 常に大丈夫だ、と安心しないでほしい。
人間のフェーズとか感情とか、やっていくことって常に変わっていくはず。その時は多分すごくテンパったり大変かもしれない。だけどその状態さえも無理に安心しようとしないで、そのままテンパってください。その方が人間らしいし、そのままでいいんちゃうかな。

安心して絶望してください。

安心して絶望していい社会って、いいな。

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【編集後記】
インタビューを担当した中村とCallingerの帆足です。
ここでは書けなかった大学の先輩とのエピソードや親友の自殺、ビジョンに向けて共に人生をかける仲間との出会い。これまでの紆余曲折の全てをギュッと詰め込んだプロジェクトのご発展と坂さんのご活躍を応援しています。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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