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メディアのタブー?救われぬ弱者

この表題と画像からして威勢のいい反岸田政権記事かと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、あくまでも一般論を書くつもりであります。私個人の政治や社会に対するスタンスは極力ここでは表さないようにしております。

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さてインボイス制度がスタートしたものの、散々反対運動が起きていることは周知のとおり。インボイス制度実施により年間売り上げ1000万円以下の免税企業(零細企業や個人事業者)は、税額負担増を恐れた取引先より関係を切られる恐れがある、というのがその反対の理由だ。インボイス制度そのものは4年前から決まっていた話だが、直前になって騒ぐのも今に始まった話ではなし。あと3か月後の2024年からは電子帳簿保存法の改正による対応が迫っているが、今度はインボイスのことなどすっかり忘れこちらの反対運動が巻き起こるのかどうか。

ただインボイスのことに限らず、往々にして政治は(経済的)強者に恩恵が向けられ、弱者に厳しいものになっていることは今回だけではない。ましてやそれは日本だけでもなし。無論選挙中は誰しも「弱者支援の充実!」とかまくしたてるが、結局経済的弱者が、少なくとも富裕層以上に支援されることはそうない。

その原因は何か。よく言われるのは献金だろうか。富める大企業は自らの業界の発展のため政治家に献金をする→その政治家はその企業の利益のための施策を進める、という具合か。ただこれにはもっと根本的な理由があると思う。

言うまでもなく日本は学歴社会である。日本に限らず学歴社会でない国など世界中に存在しない。つまりはこういうことである

・勉強できる→いい学校に受かる→高収入
・勉強ができない→大した学校に受からない→低収入

それだけの話である。

大まかにいえば、「経済的弱者」とは「勉強ができない」人であることが多い。
勉強ができない人とは?どこの学校でもそうだと思うが、勉強のできる・できないはとかく極端である。掛け算九九で躓き算数がそこから進んでいない子、3行以上の文章をまともに読めたものでない子、日本の場所がわからない子、など誰にでも思い当たるのではないか。今は昔と違い発達障害のクラス等もありフォロー体制もあるが、それでも彼らが「勉強のできる」グループに追いつくことはない。元より(遺伝的にも環境的にも)勉強が苦手な子が勉強が得意になるのはかなり難しく、レベルが固定されてしまう。

かくして「社会的弱者」となった彼らは政治の力で救われるか。そのためには彼らが「本当に自分たちを救ってくれそうな政治家を選挙で当選させる」ことが必要となる。すると
・まず日本の「議会制民主主義」を理解し、
・各政党の主義主張等をテレビやHPから吟味して、
・投票所に行って投票する
ことが必須となるが、極度に勉強が苦手だった人にどこまでこれが可能か。

無論政治は社会的弱者を放っておくことなど許されず、最後の生存権の補償として「生活保護」があるし、それ以外にも各地方自治体が様々な住民サービスを提供していたりもするが、まあとにかく「手続き」が面倒である。ビッシリ文字の書かれた説明書を読み、それに従い書類を作成する必要があるが、この種の手続きですら困難な人には困難だ(そもそも「生活保護」そのものを「知らない」人もいる)。私は今は会社で労務担当だが、配偶者を扶養に入れるときの手続きですらほぼすんなりとはいかない。あの書類がない・ここ部分の記載が抜けてる等数か月間行ったり来たりすることもままある。それが法治国家のお役所関係書類である。

かくして今の首相が誰かも知らない人は選挙になど行くはずもなく、今日も大企業・富裕層向けの政策が粛々と実施される。そもそも「弱者救済」を訴える政治家にしたって、自分自身は完全なる「富裕層」であり、自分自身を苦しめるような政策はそうそう実施しないだろう。絶対与党になれない政党なら選挙公約にできるのかもしれないが。

また学校教育を考えてみれば、国は子供たちを一生懸命勉強させねばならない。でなければ科学や制度の進歩もない。従って子供たちに「勉強せねば」と思わせるような社会でなければ都合が悪いのである。勉強ができる子とできない子が平等の恩恵を受けられては、これこそ「不平等」であり学校は意味をなさないことになる。こういうモチベーションの上げさせ方も、ありと言えばありなのだろう。

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こうして「勉強ができない子」にとっては多難な世の中であるわけだが、難しいのは勉強のできる・できないは「努力」だけではいかんともしがたい壁があるのもまた事実。まだ小さいウチの子がもし発達障害等で勉強が苦手だったらどうしようか。そんなことをたまに考える。無論ほかの分野で大谷やベートーヴェンのような才能があればまた別かもしれないが、今のところ我が子は「天才」ではない。「バカと天才は紙一重」なのはごくごく一部だけだ。

正直これといった「対策」は思いつかない。まあ今の日本なら勉強ができなくても周囲の環境と本人の人格とがそこそこ備わっていれば、少なくとも路上に放り出されたりすることはない。それだけでもありがたいことなのかもしれない。制約があるのは誰だって一緒。その中でも幸せを見つけられるようになっていってほしいものだな。

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