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自分の不幸は蜜の味?

中学生の頃、数学の授業で「証明」習いませんでしたか?

私、あれが凄く苦手で…大嫌いでした!笑


でも、なぜか「自分が不幸であること」の証明は得意だったんです

むしろ、証明する為にわざと不幸になるよう仕向けていたんですね…


*不幸はこうやって証明する

通常の証明の手順は以下の通り

①仮説を立てる
②検証する
③仮説が正しいと結論づける


これを、自分の不幸を証明する事に当てはめると

①「私には価値がない、愛されるはずがない」と決め込む(仮説)
②大切にしてくれる人の心を疑って、嫌われる事ばかりする(検証)
 →嫌われるように巧妙な手口で攻撃を仕掛け、まんまと嫌われる
「ほらね!私って価値ないじゃん。愛されないじゃん」(証明)


お見事!!

これが数学のテストなら満点なんですけどね…笑

人生でやっちゃうとマイナス100点満点です!


でも、このマイナス100点の行動を無意識にやっている人が本当に多い
(私もそうでした…涙)


一見、大切にされなかった自分が “被害者” で

大切にしてくれなかった相手が “加害者” に見えますが

 本当は逆で、

大切にしたかったのに、させてもらえなかった相手が “被害者” で

そう仕向けた自分が “加害者” だったんです


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*不幸を証明するメリット

でも…
どうしてわざわざ加害者になってまで 自分の不幸を証明したがるんでしょう?


人は、行動を起こす時、何かしらのメリットを感じています

メリットがない行動はしないんですよね


じゃあ、不幸を証明するメリットって何なんでしょう?

それは…

不幸が心地いいから


「えっ!? 不幸って嫌なものでしょ? 心地いいはずないじゃん」

って思える人は安心してください、あなたの思考は健全です!笑


実は、不幸ってある意味心地がいいもの

だって、

 ・不幸でいれば同情して沢山の人に構ってもらえるから

 ・不幸でいれば人生に深みが出るから

 ・不幸でいれば新しい事にチャレンジしない言い訳になるから


不幸でいる事って、努力を放棄しても許される「免罪符」になるんです
(なると思い込んでるだけで、実際はなりませんのでご注意を)

その免罪符を獲得するための「不幸の証明」だったんですね


口では「幸せになりたい」と言いながら

心の底では不幸を望んでいる

「不幸でいる事が、私の幸せ」「自分の不幸が蜜の味」!!!


こ…怖い!!!笑


********


*不幸の味は人工甘味料、幸せの味は天然甘味料

不幸でいるメリットは確かにあります

幸せになるって、そのメリットを手放す事

心地いい ぬるま湯に浸かっていると、出れなくなるんですよね


でも、ぬるま湯はそのうち冷めます

冷たい水になっても まだ、震えながら「心地いい」と言い張りますか?

勇気を出してそこから出れたら、また別の暖かい温泉に入れるかもしれないのに


不幸でいるメリット?

そんなちっぽけなメリットに執着して、幸せになる事でしか得られない
もっと大きなメリットを みすみす逃している事に気づいてください


悲劇のヒロイン なんて 小さな配役 で酔いしれていないで、
幸せのヒロイン になって 本物のスポットライトを浴びてください


不幸がくれる蜜の味は、まるで科学的に合成された人工甘味料

一瞬は気分が良くなるでしょう

でも その中毒性に依存して、いつか体を壊します


気づいた時 “もう手遅れ” にならないように

幸せがくれる本物の天然の蜜で、心も体も満たしてあげてください

いい女は本物の蜜の味を知っているものです。



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