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有名人だったら何を言っても許されるのか?

こんにちはSHOです。僕のnoteを読んで頂きありがとうございます。

いきなりですが、僕の学生の時の話をさせてください。

毎度文末に挙げている自己紹介のところでも書かせていただいているのですが、僕は大学時代は法学部に入って法律の勉強をしていました。

いわゆる六法の他にも行政法や刑事執行法など色々な法律の勉強をしました。

その中で「憲法」という法律があります。今でも「憲法改正」が議論されていたりするものですが、日本国憲法21条はこんな条文が書かれています。

-日本国憲法第21条-
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

21条第1項では「表現の自由」という私たち人間の基本的人権として最も厚く保障されていることが書かれています。

これはどういうことかというと、「表現をする人や表現をする側が、国家からいろいろと制約を受けずに表現することができる」ということです。

ただし、現代においては情報の「送り手」と「受け手」が分離しています。このnoteのように個人がSNSなどのメディアを通じて発信できることができるようになりましたが、多くの国民は「受け手」なのです。これは僕が日本人の情報リテラシーだったり健康リテラシーが低いとか言ってるところもちょっと関係しているかもしれません。基本的には受け身なんです。国民全体で情報発信者の割合を考えれば、何となく想像はつくはずです。

だから、基本的に情報の受け手である私たち国民の側の表現の受け手の自由(聞く自由、読む自由、視る自由)を守らなければならないのではないかが意識されることになり、表現の自由を「表現の受け手側から自由」である「知る権利」として再構成することで、憲法上の権利として保障されていると解釈しています。これは大学の憲法の授業で習います。

ただし、これで終わりません。

憲法上保障される知る権利は、知る権利の「自由権的側面」だと言われています。これはどういうことかというと、情報を受け取る権利が国家権力によって妨げられることがないことが保障されるのであって、政府に対して情報公開を要求する権利までは、保障されていないとされています。

まずこれが憲法21条の知る権利の話で、これと対立しているのが13条で保障されているとされる「プライバシー権」です。

-日本国憲法第13条-
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

「公共の福祉」っていうのがキーワードでよく問題になったりするのが懐かしい。「プライバシーの権利」については明記はされていないのですが、新しい人権として認められてきたものです。表現の自由(21条)と対立するものであって、判例もあります。

三島由紀夫さんが書いた小説が実在の人物がモデルとなって書かれていて、そのモデルが自身のプライバシーを侵害されたとして裁判になったケースです。三島由紀夫さんも「表現の自由」があるとして反論するわけです。

当時はプライバシー権というものがあると言われていなかった(憲法にも明記がないから)から13条を拠り所にして21条の表現の自由とどっちが優位かということで争った有名な裁判です。

判決ではこのようなことが言われています。

言論、表現等の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれかが優先するという性質のものではなく、言論、表現等は他の法益すなわち名誉、信用などを侵害しないかぎりでその自由が保障されているものである。

すなわち、ここで触れられていることは、「プライバシー権」と「表現の自由」は本来対立して争うべきものではないということ。ただし、言論や表現を行う際には、ほかの人のプライバシーを侵害してはならないということです。

「名誉、信用などを侵害しないかぎりで」とは3つの要件が示されていて

● 私生活上の事実、または私生活上の事実らしく受けとられるおそれのある事柄であること。

● 一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること。

● 一般の人々に未だ知られていない事柄であり、公開されたことによって当該私人が実際に不快・不安の念を覚えたこと。

現在、これら3つの要件がプライバシー権侵害の成立基準となっています。

こちらが判決の対象となった小説です。ご興味ある方は是非読んでみてください。

○ここからが今回の本題

めっちゃ前置きが長くなりました。もちろん本題と関係があるから書いたのです。

こちらの記事をご覧ください。

これね、僕の記事でもこんなことを書いたことがあります。

一般人だからと言って、何を言ったっていいのでしょうか?

僕は競馬場に行くことがあるのですが、パドックで周回していると騎手に対して「○○ヘタクソ〜!」「金返せ〜」とかいう野次が飛んでいるをよく耳にします。これも1つの競馬あるあるのですが、人格を否定するようなことを言っている輩もいるので、これは聞くにたえません。言葉にするのも嫌なくらいです。

選手も一生懸命やっているのです。騎手だって一生懸命にやっているのです。全力で取り組んでいるわけです。それに対して心ない野次というか、それを超える暴言を吐いてしまうような人の心境は如何程なのでしょうか。このことについて、別途記事にしたいと思っています。

お金を払って見ている観客なら、そこでプレイをしている選手に対して何を言っても許されるのでしょうか?誰しも見るSNSであれば、そこで何を書いても許されるのでしょうか?有名人だから仕方がない、高額を貰ってプレイをしている選手なら仕方がないものなのでしょうか?

怠慢プレイであったり、ガッツが見られないプレイをした選手に対して「おい!」と言いたくなる気持ちは分からなくもありません。ただ、誰しも常に100%のプレイを見せれるわけではなく、時には失敗することだってあります。それを「人格否定」をするようなことを言ったり、上の記事のように「殺害予告」までするようなことは度が超えているとしか言いようがありません。

これは野球に関わらず、どのスポーツにも言えること。もし、これは一般人の「表現の自由」として保障されるとしたら、選手はどのレベルで基本的人権を保障されるのか、まじで議論した方がいいのではないでしょうか。

週刊誌に書かれる芸能人の話のときも書いたけど「言った者勝ち」にしてはいけない。モラルに訴えるのには限度があり、何かが起こってからは遅い。こういう人格否定をするような人は心から軽蔑いたします。何か策を講じていくべきでしょう。

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