「ICTを使えない」という言い訳を許さない強い意志を持とう
ICT環境がこの数年で教育現場にも整備されました。
他業種と比べて遅すぎた感もありますが、GIGAスクール構想などの前倒しの効果は絶大で、日本中の学校でICT機器を導入できたことは社会全体の環境改善として大きな一歩と言えます。
私は勤務校でICT推進に携わっており、授業での活用だけでなく日常利用に関しての実験を行うなどICT教育の普及に取り組んでおり、校内においての利用も大きく進んでいます。
使えないという人の存在
そうした環境の中ですが、ICT機器を毛嫌いする人も少なくありません。
民間企業であれば「PCを使えません」、「リモート会議参加できません」という言い訳は当然ながら通用しません。
しかし、なぜか学校という組織においては一部の人間はその言い訳が通るような仕組みになっているようです。
(公立よりは民間に近いであろう、私学であっても、です)
ICT・DX化否定論者
ICTの普及やDX化に対して否定的な論調を張る人が教育現場にも存在します。
「ICTは道具にしか過ぎない。教科の本質こそが大切だ。」
こうした話をお偉い先生は繰り返し述べてきました。
その尻馬に乗ってICT機器やシステムを使いたくない人たちは、これまでの授業の方法を見直すこともなく、同じやり方を繰り返しています。
新しいことを学ぼうとすらしない人たちが、どれほど教科の本質に近づいているのかさえ疑問ではあります。
しかし、そうした人たちでさえ、電話を使い、テレビを見て、自動車に乗っています。
自分たちが学習せずに使えるものだけを肯定し、新しく身に着ける必要のあるものを否定する姿は、教育に携わる人間としていかがなものでしょうか。
(手紙しか使わず、新聞しか読まず、徒歩や自転車でしか移動しないというポリシーの人ならば筋は通っていますが)
「できる人がやればいい」
「自分はわからないから、できる人がやればいい」
こうしたセリフをこの数年で聞いたことは何度あったでしょうか。
しかし、社会は変化しています。ICT化に対応できない人が組織の中で仕事をすることは難しくなっています。
まして、数十年後を生きる生徒の未来をつなぐ仕事をしているのに、現在の技術にすら対応できず、どうやって彼らの成長に寄与できるのでしょうか。
社会や組織に求められていることで、できないことをできないままに放置している人間に、学問を教える資格があるのか疑問が残ります。
「わからないことは教えますが、代わりにすることはありません。」
ICT推進業務に携わる関係上、年配の先生から「わからないので教えてくれ」と言われることがあります。
そうしたとき、私はわかるまで教えることはありますが、決して代行して入力や作成などはしません。
幸いなことに、勤務校の方の多くはそうした要求はしてきませんし、そうした要求があった場合はこう答えています。
「わからないことは教えますが、代わりにすることはありません。」と。
私自身、当然ながら何でもわかるわけではありません。しかし、調べながらスキルアップをするように心がけています。
そうした姿勢が生徒の学習意欲にもつながると考えています。
だからこそ、ICTが苦手な人に対しては「ICTを使えない」という言い訳だけは許さないという意思を持って接しています。
自分で学ぶ意思を持つこと、そうした姿勢こそが生徒の前に立つ最低限の資格ではないかと思うのです。
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