「成長」や「頑張る」と距離を取り、違う在り方を模索する

新年度になり、「成長」や「頑張る」という言葉をよく耳にするようになったので、ここ数年考えていることを書き残しておきます。

珍しい話でもないですが、自分は「成長」や「頑張る」という言葉を基本使わないようにしています。巧妙に避けています。そうしている理由は大きく二つでしょうか。

一つは、これらの言葉の負の側面が気になるから。
例えば「成長」を純粋に良きものと捉えることへの違和感は、昨今議論に上がるようになっていると感じています。

「頑張る」についても、「頑張る」と言えば何か許されるような、思考停止ワードだと捉えており、ぼやっとした解像度になってしまう感覚から、使いたくないなと思っています。


これだけでも理由は距離を取る理由にはなると思うのですが、自分の持つ忌避感の強さの説明までにはなっていないような気がします。
そのため、もう少し考えてみると、もう一つ理由があるように思いました。
それは、こういった言葉に付随する「比例的な未来像」の違和感とつまらなさが自分は嫌であるということです。

「成長」というと、漢字の"長く成る"という通り、今よりも"良い"未来が想起されます。長いものは良いものという固定概念もこの言葉には感じます。
「頑張る」というと、それ自体が"良い"ものであり、状況が好転していく未来が想起されます。そしてそこにはどこか苦労をするというイメージも付きまといます。
こういった自分がどうしても想起してしまうありきたりなイメージが、どうしてもつまらないのです。

そもそも、"良い/悪い"の二元論で考えることの限界すら感じる現代において、純粋に"良さ"を考えることはできません。
そして、今考えるべきは、こういった二元論に絡め取られない何かだと思います。それすらも二元論に縛られているのではないかという指摘を踏まえてもです。

だからこそ、少なくとも、自分の手の届く範囲では、「成長」も「頑張る」ことも意識しない。
もちろんこれは、「成長」しない、「頑張」らないということを意味しません。"意識しない"です。
思考の枠外にこれらの言葉を置くことで、そういった概念とは違った在り方を模索すること。
それが、自分がやりたいことであり、今必要なことのように思います。


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