「わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論」~フィメールラップの地平より、シーンの心臓を撃つ~

日々の読書に記録を、メモ程度の備忘録として残していきます。

わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論 / つやちゃん(著/文)

これまでも何度か書いているのだが、私が今最も信頼している書き手は、つやちゃんだ。文筆家として紡がれる力強い文章の一つひとつは、どれを読んでも自分の枠の外にある何かを見せてくれるし、インタビューでは、誤解を恐れず言えば、辞書的な意味のような質問の場ではなく、それは明らかに対等な対話の場であり、インタビュイーに対してつやちゃんの視点から深く、そして容赦なく問いが投げかけられる刺激的な場となっている。そういった場で取り上げられるアーティストのセンスも一貫性が見られ、つやちゃんの思想が感じられる。

そんなつやちゃんが、初の単著を出すとのことで、それは読まざるを得ないわけで、発売日の翌日に文字通り本を手に取った。個人的には、久しぶりに本屋で買った本となった。(どうでもよい余談だが、ちょっと大きめの本屋をいくつか回ったところ、置いておらず、手に入れるまで少し手間取った。ネットで調べて確実にある場所まで買いに出るかとも思ったが、念のため覗いた最も近場の信頼できる本屋に平積みされていたので、グッドジョブだった。)


本の内容の根幹であるフィメールラップについては、私が語れることはほとんどない。そもそもヒップホップシーンにも明るいわけではなく、いわんやフィメールラップという視点からの過去にあった事実について、そのほとんどが初めて知ることばかりだった。それでも、これらの事実がこういった形でまとめられたということ自体の価値は、その一つひとつの文章からひしひしと感じられる。

しかし、ひとつ書いておきたいことがある。それは、フィメールラップの音楽に真摯に、かつ泥臭く光を当てていくというやり方の裏に仕組まれた、壮大な作戦について。


この本で私が最も好きなのは、まえがき的に書かれている「日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて」である。つやちゃんの、そしてこの本のスタンスやアティテュードが明示されているこの文章のドライブ感にはひたすらに圧倒されるわけだが、「的外れな批判を封じ込めるために、もう少しだけ作戦を明かしてもいいだろう」という言葉から始まるパラグラフにて、つやちゃんの恐るべきと言っていい、壮大な視座が提示される。それは、ヒップホップに対してフィメールラップを健全的に対置して語るのみならず、ポップミュージックに対してラップミュージック(とりわけフィメールラップ)を対置することで、ラップの底知れぬ可能性を切り拓くという、なんとも広い射程を明らかにするというものだ。

右手でヒップホップという大物を相手にしているかと思えば、左手にはポップミュージックというさらにどでかい相手に強烈な一撃を与える。もちろん、真正面からやったところで勝ち目はない。しかしそれで引き下がるわけではなく、どこか無意識に編み上げられた枠組みを組み換えることで、別の角度から襲い掛かるわけだ。(ちゃんと読めていないので、なんとなくで書いてしまうが、どことなくミシェル・ド・セルト−の「日常的実践のポイエティーク」における"戦術"に近しい香りもしたが、どうだろう。強者ではないことを正面から見つめて、弱者の立場から「なんとかやっていく」ために創意工夫を行っていくこと。そこから始めること。)

そう考えると、KAI-YOU Premiumの連載の内容とは別に書き下ろされたコラムや、なんといっても衝撃的な200ほどのディスクガイドは、単にフィメールラップという視点から書き加えられた一部ではないと感じられてくる。特にディスクガイドだ。フィメールラップという視点から見れば、これだけのアーティスト達を包含して語ることが出来るわけだ。キャンディーズから始まり、安室奈美恵・加藤ミリヤ・AI・PerfumeなどのJ-POPシーンを彩ってきたアーティスト、そして中村佳穂や宇多田ヒカル等の今この瞬間も最先端を切り拓き続けるアーティスト。それら日本のポップミュージックシーンの中心を創りあげているアーティストたちが、かたやヒップホップシーンの中心で活躍するゆるふわギャングやAwich等と並んで紹介される。と思えば、ゆnovaitionやuami、もしくはlyrical schoolなど、J-POPやヒップホップと言った枠組みからはどこかはみ出しがちなアーティストも多数名を連ねる。この縦横無尽さには、笑うしかない。あとがきにもある通り、この意味付けには相当な苦労があっただろう。それでもここに結実させたことは素晴らしいし、その裏にあった覚悟や執念、その他諸々には、もはやちょっとした恐怖すらある。だからこそ(と書くのは若干憚れるのだが)、ここで紡がれた文脈が持つ影響力は凄まじいものがあるだろう。


話は大きく変わるが、私の音楽の原体験には、BUMP OF CHICKENがいる。ど真ん中の世代であり、ある時期までの曲は貪るように聴いて青春時代を過ごしたわけだが、なぜそんなに魅力を感じていたんだろうか?と思うことが何度もあった。現時点での自分の結論は、その言葉を選び取る必然性が強烈にあったから、だ。BUMP OF CHICKENの、特に初期の曲は、歌詞が明らかな物語を描き出していた。そこにはお茶の間でワンコーラスだけ流れる曲とは全く違う言葉の重みがあった。その物語を語るには、その言葉でしかありえないだろうと強く感じられたのだ。その必然性こそ、私がBUMP OF CHICKENを聴く必然性に直結していたのだと思う。

全く関係ないようなことを書いてしまったが、何が言いたいかというと、その言葉を選び取る必然性をラップにも強烈に感じているということだ。そりゃそうだろう、フロウやライムは、一つ言葉を入れ替えれば全てが変わる。そのラップはそのフロウやライムでなければ生み出せない。ラップ以外の歌がそうではないと言いたいわけではない、あまりにも必然性の強さが違うということだ。だからこそ、多様な音楽を聴くようになったここ5年ぐらいでは、ヒップホップもそうだし、ヒップホップに限らず、広くラップミュージックと言える音楽に魅力を感じてきたのだ。

しかし、ヒップホップという磁場があまりにも大きく強いからか、ラップミュージックという視点からポップミュージックを語ることは、どうも単発ものが多かったように思う。明らかにそういった様相はありつつも、どこか日陰に追いやられていた、ラップを通してポップミュージックを視る視点が、この本で確かな文脈として、括りなおされ、光が当てられ、そして語られたのだ。しかも相当な威力を持って
そしてもう一つ。あえて言えば、フィメールラップという枠ですらこれほどの衝撃を生み出せるラップミュージックが、フィメールという枠を取ったら、どれほどの威力があるのかとも考えざるをえない。そうなった時には、ポップミュージックシーンの見え方は大きく転回するのではないか


最後に。
私はlyrical schoolのファンなので、随所に出てくるリリスクの語られ方には、ひたすら頷くことしかなかった。ヒップホップにおいては、リアルであることが求められる中で、アイドルを背負って、極上のフェイクとして、ラップ/ヒップホップを演ること。それはこの本で紡がれた文脈の中でも、大きな可能性を秘めていると思う。ポップミュージックシーンに強烈な一撃を見舞う可能性を。

年代別に分けられた数多のディスクガイドの最後に、長文枠で書かれるのは、リリスクのアルバム「Wonderland」だ。ここで語られていることを何度も噛みしめる。

そろそろ、わたしたちはlyrical schoolの本気に応答すべきなのだ。本作は、数十年続くこの国のヒップホップ史の記念碑的な事件である。なぜアイドルがこんなにも暴力的な音を鳴らしラップしているのだろう。


この本から私が受け取ったメッセージは「我々に必要なことは、それぞれの立場で、それぞれのやり方で、相応に応答すること」ということ。あまりに接する情報量が多すぎる?そんなことは言わずもがな。それでも、全てはそこから始まる。

参考

【TV Bros. WEB】 いま日本のフィメールラッパー批評に必要なのは「第一歩を踏み出すこと」『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』つやちゃんインタビュー【2022年BOOK】

渡辺志保×つやちゃん「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史|日刊サイゾー

対談(前編):つやちゃん x 遼 the CP(PRKS9) 『わたしはラップをやることに決めた』 – そこで誰が埋もれてきたのか? - PRKS9

対談(後編):つやちゃん x 遼 the CP(PRKS9) – HAC, SOULHEADからCYBER RUI, ドクアノまで…女性ラッパー史総整理 - PRKS9

『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』ができるまで|つやちゃん|note

日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト~『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』ためし読み公開|DU BOOKS|note

歴史に埋もれたフィメールラッパーの功績にライトを|つやちゃん著「わたしはラップをやることに決めた」|Riho.K|note

#5 ヒップホップと女性と仕事 by 渡辺志保のヒップホップ茶話会|サイゾー:Talk About Hip Hop

歩く、書く、読む、話す、そして信じる……苦しい状況を「なんとかやっていく」無名の人びとの技芸|じんぶん堂

温泉マーク♨🐤💕VtuberさんはTwitterを使っています 「オートチューンがかかるVtuber温泉マークでチュン💕 ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』はめちゃくちゃ面白い文献だけど言いまわしとかが分かりづらすぎるチュン🤨 ということで以前に本の概説をレジュメにしてみたやつがあるので参考にどうぞチュン💕 https://t.co/7hdPZOUwNS」 / Twitter

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?