見出し画像

日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト~『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』ためし読み公開

 日本のラップミュージック・シーンにおいて、これまで顧みられる機会が少なかった女性ラッパーの功績を明らかにする一冊『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』が1月28日(金)に発売されます。

わたしはラップをやることに決めた

 著者は、ヒップホップやラップミュージックを中心とした音楽、カルチャー領域にて執筆するほか、宇多田ヒカルなど幅広いアーティストへのインタビューも行う気鋭の文筆家・つやちゃん

 このたびは発売にさきがけ、本書に収録の「日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト」全文をためし読み公開いたします。著者が書名にこめた想いとは? 「存在をほとんどかき消され、“空気”として漂っていた」フィメールラッパーたちを可視化するための“戦略”とは? ぜひご一読ください。

*  *  *

日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて

文・つやちゃん

 わたしはラップをやることに決めた。本書は、この何気ない、よくありそうな一文に対して、ずっしりとした重みを与えるべく書かれた書籍である。

 現時点で、おそらく大多数の人にとって「わたしはラップをやることに決めた」という一文の重みは確かなものとして伝わっていない。女性がラップを選択するとき、紙とペンを手に取りマイクを握りしめる前に生まれる大なり小なりの気の迷いや葛藤は想像されることなく、その瞬間に生じる繊細さと一歩を後押しする大胆さについても、ほとんど慮(おもんぱか)られていない。そして、当然ながらそれらを受け止めるきっかけとなる書物も、いまだまとめられていないに等しい。

 これまで多くを論じられることがなかったからこそ、フィメールラッパーについて語る方法は様々に開かれている。たとえば、女性のラッパーはリリックにおいて物事をどのように描写してきたのだろうか。海外と国内のフィメールラッパーを比較し浮き彫りになるのはどのようなことだろうか。MCバトルでのミソジニックな発言から多くの議論を展開できやしないか。そもそもラッパーだけではなく、昨今国内で増えているフィメールダンサーやDJも言及の対象にならないだろうか。どれもがほとんど手をつけられない問いのまま、日本語ラップはここまで来てしまった。だからこそ、これからわたしたちは、あらゆる方法で歴史と現在を行き来しながら新たなヒップホップなるものを編纂(へんさん)し記していくべきである。音楽それ自体が批評やジャーナリズムとしてますます機能している時代だからこそ、すでにフィメールラッパーたちは自らのリリックで、ラップで、自己言及を開始している。それらひとつひとつをつぶさに掬(すく)い上げていったのが本書でもある。

 なるほど、ようやくフィメールラッパーの歴史が書かれることになった、とあなたは思うだろう。しかし、事態はそう簡単ではない。悲しいかな、ヒップホップはそれを許さないのだ。ここで、わずかながら先行文献として存在する『ゼロ年代の音楽 ビッチフォーク編』(野田努、三田格編)、『日本のヒップホップ』(イアン・コンドリー)、『文化系のためのヒップホップ入門』(長谷川町蔵、大和田俊之)、『ブラック・ノイズ』(トリーシャ・ローズ)、「ヒップホップと『ミソジニー』について」(韻踏み夫による日本語ラップブログ)、その他いくつかの記事が参照されるべきだろう。ヒップホップの“リアル”がミソジニーを補強する構造になっていること。ヒップホップ的コンペティションのルール上、ネタとして(女性)批判を繰り返すことでラップがクリエイティビティを磨いてきたこと。それら複雑に入り組んだ構造を持つヒップホップに対し「フィメールラッパーの地位向上を!」と理想論を掲げ丸腰で立ち向かったところで、クリティカルな論に絡め取られてしまうことは歴史が証明している。さて、どうしたものか。そもそもの男女の二項対立を崩して論じてみようか? いや、そのような洒落た方法を採るにはまだ早すぎる。ここで見せるべきなのは華麗な捌きではなく、弱者であり少数派としての、もっと愚直な闘い方なはずだ。

 仕切り直そう。おそらく、理想をロジックによってガチガチに固めこの闘いに挑んでいくのは分が悪い。ヒップホップを舐めてはいけないのだ。正史には正史になるだけの歴史の重みと揺るぎない表現の積み重ねがあり、従来のヒップホップの俎上(そじょう)で語った時点でこの闘いは敗北が決まる。ゆえに、作戦を練らなければならない。男性中心主義がつくり上げてきた前提と論理の背後から密かに忍び込みつつ、拒否反応と分断によるゲームオーバーを回避した、リアリストに徹する方法を。

 本書の立場を明らかにしておこう。この書籍はヒップホップにおけるミソジニーについて直接的に語り啓蒙(けいもう)するわけでは(ほとんど)ないし、リリックからフィメールラッパーならではの政治性やセクシュアル性について丁寧に論じるわけでも(ほとんど)ない。本書では、日本のラップ史において(実は)多く現れてきたフィメールラッパー、その音楽とそれらが生まれた時代/文化を回想しながら、彼女たちが確かに存在した事実を記す。存在をほとんどかき消され、“空気”として漂っていた彼女たち、時の流れのなかで放浪し記憶の彼方に忘れ去られているフィメールラッパーたちを、まずは可視化することに励む。知的な作業ではないし大した批評にはならないかもしれないが、この期に及んでそのような遊戯にまどろんでいる余裕はない。ともすれば、それはもはや音楽的雑学ですらないかもしれない。なぜなら――本書には「○○年に限定盤でリリースされた□□という曲のネタ使い、そのツウを唸らせるマニアックな選曲が見事」といったような記述もないからだ。

 永らく眠ってしまっていたフィメールラッパーたちをただただ蘇らせ、時代を彩った文化と呼吸しあっていたこと、確かに生の営みがなされていた形跡を記す。ラップやリリック、トラックの優れた点についてひたすら細やかに書き連ねていく。それは例えるなら、枯れ果ててカラカラに乾いた葉っぱ、風に吹かれてジプシーのように飛び交いどこか最果ての土に埋もれてしまっていた落ち葉を、一枚ずつ拾い、磨き、ギャラリーに飾っていく行為である。美術館なんて大それたところに展示させてはもらえないだろう。いや、むしろストリートに佇むギャラリーにこそ飾らせてほしい。ちょっと奥まった暗がりでもいい。クラブに近いところだとありがたい。壁にグラフィティが描かれているとなお嬉しい。車や時計だけでなく、服やコスメとともに並べる。皆でたむろした想い出の詰まったあのカフェ、わくわくするフードとともに飾る。それぞれの時代の香りとともに、かっこよく美しく素敵に磨き上げる。

 さらに本書では、展示されたフィメールラッパーや作品たち、それらに内包された政治性やジェンダー性を、誘導的に暴いていくこともしない。極めて淡々と、優れた音楽作品としての魅力について言及する。たとえば次のように――フィメールラップ史を代表する一枚、COMA-CHIの『DAY BEFORE BLUE』の1曲目を飾る「放浪」は、極めて優れたメッセージ性が旋律や音韻といった音楽的要素と絡み合う。「放浪/時には旅に出よう/遠くの街へ」というフックが繰り返し歌われることで露呈するのは、浮き沈みするようなメロディラインであり、「放浪」が「Hollow」に近い形で発されることによって隠れたダブルミーニング(Hollow=ほら穴)が現出する。それらは「着の身着のまま/気の向くまま/祈る姿/箱庭のジプシー」や「連夜ボーダーライン/消えるジェンダー」というラインと有機的に結びつき、「箱庭」という極めて窮屈な世界や「消えるジェンダー」というCOMA-CHIが置かれている境遇を際立たせる――本書はその先に土足では踏み込まず、控えめな姿勢で「音楽」に注目する。けれどもこれは、控えめなようでいて実は泥臭く勝ちにいく戦略である。まずもって純粋に音楽としてすら十分に言及されていない現状において、そういった側面に光を当てていく、極めて正しいやり方である。

 的外れな批判を封じ込めるために、もう少しだけ作戦を明かしてもいいだろう。この数十年の(ストリート)カルチャーの香りを匂わせながら並べられたフィメールラッパーの作品、その“音楽”の範疇(はんちゅう)を、本書ではヒップホップを中心としてラップミュージックやポップミュージックの域にまで広げている。それは、女性の歌い手がラップをしてさえいればもうフィメールラップ作品であると言ってしまえる乱暴さだ。ヒップホップの進化、その価値観の更新を担っているラップというアートフォームはすでにヒップホップのなかだけに閉じてはいない。ヒップホップを思考するにあたり、ヒップホップだけで完結していてはもうその全容を捉えることはできない。2010年代に大きな音楽的求心力を獲得した(ヒップホップの派生形である)ラップミュージックは、時にポップミュージックと化すことでその音韻やフロウ、デリバリー、歌を大きく変化させ、コアなヒップホップとの相互影響を果たし、ダイナミックに変化を遂げてきている。言うなれば、ポップミュージックを考えることはヒップホップを考えること(の一部)であって、ヒップホップを考えることはポップミュージックを考えること(の一部)なのだ。

 その点、女性の歌い手は時に男性以上にラディカルな挑戦を繰り返してきた。本書ではそういった試みについても触れている。当然ながら、フェイクだと揶揄されているラッパーも多く取り上げた。もはやそんなことはどうだっていい。サブジャンル内で合格/不合格を選別していても埒(らち)が明かないし、繰り返すが、フィメールラッパーにそんな余裕はないのだ。同時代の文化と絡み合ったラッパーたち、それら作品の息づかいを捉えるためには、できるだけ多くの対象が必要なのだ。

 本書は批評ではないかもしれないが、その戦略的なアプローチによって、結果的に批評として機能する。ゆえに、「フィメールラッパー批評原論」と名付けた。原論だから自由であり、何をやってもよい。本書は、その自由さを謳歌するいきいきとした態度によって貫かれている。願わくば、ここから新たなリリックとビートが生まれ、時代の律動を捉えるラッパーが出てきてほしい。もちろん、それはフィメールラッパーに限る必要はない。本書は、あらゆる人に向けて書かれている――あなたの愛するヒップホップがそうであるように。

*  *  *

わたしはラップをやることに決めた

《書誌情報》
『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』
つやちゃん=著
四六・並製・280頁
ISBN: 978-4-86647-162-4
本体2,200円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK320
全国の書店・オンライン書店にて好評発売中

〈内容紹介〉
マッチョなヒップホップをアップデートする革新的評論集!

「著者のつぶさな考察は、日本のラップ史に存在してきた彼女たちに贈られる大きな花束となる」
――渡辺志保(音楽ライター)

「彼女たちの戦いの軌跡とリアルな言葉があったから、今日も私は、私でいられる」
――三原勇希(タレント)

■RUMI、MARIA(SIMI LAB)、Awich、ちゃんみな、NENE(ゆるふわギャング)、Zoomgalsなど、パイオニアから現在シーンの第一線で活躍するラッパーまでを取り上げた論考に加え、〈“空気”としてのフィメールラッパー〉ほかコラムも収録。
■COMA-CHI/valkneeにロングインタビューを敢行。当事者たちの証言から、ヒップホップの男性中心主義的な価値観について考える。
■2021年リリースの最新作品まで含むディスクガイド(200タイトル超)を併録。安室奈美恵、宇多田ヒカル、加藤ミリヤ等々の狭義の“ラッパー”に限らない幅広いセレクションを通してフィメールラップの歴史がみえてくる。

画像6

画像4

〈目次〉
日本語ラップ史に埋もれた韻の紡ぎ手たちを蘇らせるためのマニフェスト――まえがきに代えて

第1章 RUMIはあえて声をあげる
第2章 路上から轟くCOMA-CHIのエール
第3章 「赤リップ」としてのMARIA考
第4章 ことばづかいに宿る体温
第5章 日本語ラップはDAOKOに恋をした

Column “空気”としてのフィメールラッパー

第6章 「まさか女が来るとは」――Awich降臨
第7章 モードを体現する“名編集者”NENE
第8章 真正“エモ”ラッパー、ちゃんみな
第9章 ラグジュアリー、アニメ、Elle Teresa
第10章 AYA a.k.a. PANDAの言語遊戯

Column ラップコミュニティ外からの実験史――女性アーティストによる大胆かつ繊細な日本語の取り扱いについて

第11章 人が集まると、何かが起こる――フィメールラップ・グループ年代記
第12章 ヒップホップとギャル文化の結晶=Zoomgalsがアップデートする「病み」
終章 さよなら「フィメールラッパー」

Interviews
valknee ヒップホップは進歩していくもの。
COMA-CHI 「B-GIRLイズム」の“美学”はすべての女性のために

Column 新世代ラップミュージックから香る死の気配――地雷系・病み系、そしてエーテルへ

DISC REVIEWS Female Rhymers Work Exhibition 1978-2021

あとがき――わたしはフィメールラッパーについて書くことに決めた
解題 もっと自由でいい 文・新見直(「KAI-YOU Premium」編集長)

画像5

*  *  *

■著者つやちゃんのキュレーションによるSpotify公式プレイリスト「Female Rap (Curated by Tsuya-chan)」が公開中

■つやちゃん連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」の最終回〈女性ラッパーたちが提示してきた“粋(いき)”と、2009年という転換点について〉が公開(1/28更新)

■つやちゃんによるAwichさんインタビューが公開(2/4更新)

■つやちゃん新連載〈クリティカル・クリティーク〉にて、渡辺志保さんとの対談が公開(2/7更新)

■「TV Bros. WEB」にて、つやちゃんの対談が公開。お相手は音楽ライターの宮崎敬太さん(2/24更新)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?