「うしろめたさの人類学」から学ぶ、境界を揺さぶっていくことの意義

日々の読書に記録を、メモ程度の備忘録として残していきます。

うしろめたさの人類学 / 松村圭一郎(著/文)

この本の著者である、松村圭一郎は、ここで感想を書いたポッドキャスト「働くことの人類学」のホストをやられている方ということで知った。とにかくめちゃくちゃ面白いポッドキャストだったので、この本についても調べていて、いつか読みたいなぁぐらいに思っていた。が、松村圭一郎が最近刊行した「くらしのアナキズム」が、とにかくタイトルにそそられたので、「くらしのアナキズム」を読むために、その前段としてこれも読んでおくべきだろうということで、急いで手に取った。

単純にエチオピアに関する記述が、終始面白すぎたし、自分が知らなかったことがたくさんあり、勉強になった。日本に住み、普通に学校を卒業して、普通のサラリーマンとして働きながら暮らす自分としては、”普通”を揺さぶられ続ける内容であり、まさしく人類学を楽しむことが出来る内容だった。

全体を通して、面白かった箇所を、一つひとつ上げることもできなくはないのだが、この本のポイントは、以下の一節にまとめられているだろう。

「市場や国家という制度によって分断され、覆い隠されているつながりを、その線の引き方をずらすことで、再発見すること。そしてそこに自律的な社会をつくりだすこと。それが、この本でたどりついたひとつの結論かもしれない。」

—『うしろめたさの人類学』松村圭一郎著
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特にそういうつもりで読んだわけでなかったのだが、やはり生活のレベルの中で、個人個人が境界を揺さぶるような活動を、地道に続けていくことの意義を再確認することになった。これは音楽でもそうだと思う。これだけシーンが多様化する中で、面白い事をやっているアーティストは、皆既存の枠からはみ出して、境界を揺さぶっている活動を地道にしている。小袋成彬しかり、君島大空しかり、Dos Monosしかり、(sic)boyしかり、lyrical schoolしかり、自分が好きなアーティストは皆そういうアティテュードを持っていると思っている。こういうところまで全部繋がっていくのがめちゃくちゃ面白いなぁとも思った本だった。

最後に、これは参考記事を読んでいて知ったことだが、この「うしろめたさの人類学」というタイトルは、著者がつけたのではなく、出版社側が決めたものであり、著者は不安なままタイトルが決定したというエピソードは、めちゃくちゃ面白かった。そういうものなんだ、、、と自分も驚いたが、こういった流れがあったからこそ、著者としても新たな発見があったということだし、読み手としても「うしろめたさ」という、一見ネガティブな感情に対する見方・考え方が大きく変わる体験をすることが出来た。これもある種の境界を揺さぶる活動の一つと言えるのかもしれないなと思う。

参考

1747夜 『うしろめたさの人類学』 松村圭一郎 − 松岡正剛の千夜千冊

[書評]『うしろめたさの人類学』 - 渡部朝香|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

『うしろめたさの人類学』を書いて―松村圭一郎 | みんなのミシマガジン

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