「FootBall PRINCIPLES」を読んで、考える"言語化"、そして落合博満

日々の読書に記録を、メモ程度の備忘録として残していきます。

FootBall PRINCIPLES - 躍動するチームは論理的に作られる - / 岩政 大樹(著/文)

前回は野球だったが、今回はサッカー。野球よりもサッカーのほうが慣れ親しんでいる。最近は代表戦など、たまにテレビでやっている試合を観るぐらいだが、数年前は結構観ていた。

なので特にサッカーの本を読むモチベーションがあったわけではないのだが、自分が今最も興味深いと思っている文筆家のつやちゃんのこのツイートで、この本を知ったのが、読むきっかけになった。自分の中での岩政大樹という選手は、ヘディングが強いディフェンダーというイメージだったので、その岩政大樹がこういう戦術についてどういうことを語っているのかがめちゃくちゃ気になった。しかも、装丁が普通にカッコ良くて惹かれたので、前回の落合博満の本と合わせて読んでみることにした。

読み始めてみると、自分は岩政大樹のことを何も知らなかったんだなとすぐわかった。ここまで緻密に考えている選手だったとは。最近のサッカーの戦術の潮流などはほとんど抑えていないので、終始なるほどなぁという感じだったのだが、その一つひとつに納得感はかなりあった。

そして何より面白かったのは、サッカーという限られた世界の話に閉じた話ではなく、広く組織論といて読むことが出来るという点だ。「一つひとつのルールではなく、原則が重要であること」「"言語化"し過ぎないこと」という内容を、サッカーに落とし込んで考えていく展開はとても興味深かった。この話は、変化が速い現代において、広く様々な組織で今求められていることだろう。細かくは触れないが、例えば、自走という言葉を最近よく見るが、ここでも書かれている通り、自走する組織に必要なのは、ルールではなく、ガイドラインである。これは岩政が言う、"原則"と同義と見て良いだろう。

そして、この話を踏まえて、前回書いた落合博満について考えてみると、さらに興味深い。落合博満は、極端に"言語化"しなかった。言語化せずに、指示し続け、選手にひたすらに考えさせた。これはあまりに極端だとは思うが、オシムの考え方に近しいのかもとは感じた。オシムも、圧倒的な言葉の力を持っていながらも、現場でその言葉で選手を動かすようなことはせず、選手自身に考えさせていた。この方向性の一致は、決して偶然なわけがないだろう。スポーツを超えて、監督という立場の人間がやるべきことは何なのか?ということに関して、興味深い示唆が得られることが良く分かる。(余談だが、こう考えると、監督は日本人が良いか、外国人が良いかみたいな論争についても、違った見方が出来るのかもしれないと思った)

"言語化"のバランスについては、リモートワークが浸透してきた現代において、重要な観点になりつつあるだろう。関連した話で最近読んだのだと、あえて知見をドキュメントしないことを意識している会社もあるらしい。岩政大樹の言う通り、"言語化"は大事であるが、「"言語化"し過ぎないこと」というこのバランス、ニュアンスを丁寧に意識し続ける必要がある。この感覚を持っているか否かというのが、大きな差に繋がっていくのだろう。そんなことを考えることが出来た本だった。

参考

名将が実践した、強い組織の「言葉で縛らない」リーダーシップ

岩政さんの『FootBall PRINCIPLES』を読んでみた

【書評】FootBall PRINCIPLES 躍動するチームは論理的に作られる

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