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2024/7/8週|ハイデガー哲学で考える、今を生きるためのヒント💡

最近内省するというか、立ち止まって、俯瞰して考える時間が取れています。自分自身を客観視したり、思いっきり目の前のことに主観的になってみたりを行き来しているわけですが、自分自身を客観視・相対化する際に有効なことの一つは、やはり本ですね。

先人が考えに考えたモデル・フレーム・論理をお借りすることで、自分では到底考えられない水準で物事を捉えることができます

最近読んだもので個人的に刺さった本を紹介しておきます。

★発売即重版! 売れてます!
★20世紀最大の哲学者に学ぶ「限りある時間の使い方」
もし、あした死ぬとしたら、今までの日々に後悔はありませんか?
世界的名著『存在と時間』を著したマルティン・ハイデガーの哲学をストーリー仕立てで解説!
ハイデガーが唱える「死の先駆的覚悟」(死を自覚したときに、はじめて人間は本来の人生を生きることができる)に焦点をあて、私たちに「人生とは何か?」を問いかけます。

★超難解なハイデガー哲学をストーリーで読み解く!
舞台は中世ヨーロッパ。傲慢な王子は、ある日サソリに刺され、余命幾ばくかの身に。絶望した王子は死の恐怖に耐えられず、自ら命を絶とうとしますが、謎の老人が現れ、こう告げます。
「自分の死期を知らされるなんて、おまえはとてつもなく幸福なやつだ」
謎の老人との出会いをきっかけに、王子は、ハイデガー哲学を学んでいきます。
老人との対話、かつて自身が暴行を加えてしまった物乞いの少女との交流を通じて、「存在」「時間」、そして「死」について考える旅に私たちをいざないます。
なぜ幸せを実感できないのか、なぜ不安に襲われるのか、なぜ生きる意味を見いだせないのか、残されたわずかな時間のなかで、王子が対峙するさまざまな出来事や湧き出る感情を通じて、ハイデガー哲学のエッセンスを学べるとともに、限りある時間をどう過ごしたいか、どう生きたいかを考えるヒントが本書には詰まっています。

Amazon上の書籍紹介より

個人的に刺さったポイント

①自分は本来的に生きられているのだろうか?という問い

ハイデガー哲学といえば、難解すぎて大学の図書館で手に取り、すぐ本棚に戻した記憶があります。笑
そんな複雑な哲学をわかりやすく理解する一歩のきっかけをくれる本でありつつ、自分だけでなく、現代を生きるすべての人に刺さるテーマのように思えました。

特に、「自分という存在はなんだったのか?」という、少々重たい?でもともすれば "契機" がないと向き合うことのない問いについてです。

ここでの "契機" として出てくるのが死です。

ハイデガーの主張の一つとして
「本来的に生きる( = 自己の固有の生き方を問いかける)ためには、死と向かい合わなくてはならない。死の先駆的な覚悟が必要。」
というものがあります。

これは有限の反対である無限を考えてみると理解しやすいです。仮にこの世から死がなくなり無限に生きられたら、トランプゲームも終わりがなく無限に続くようだったら、、?
人の人生やゲームについて真剣に考えることはないだろう、ということです。

②世間が決めたことを受け入れると非本来的な生き方になる(そうはなっていないか?)

また、本来的に生きる、の反対の、本来的な生き方についても解説がされています。

まず横道から入るのですが、人は小石を見た時に、武器として見るか火おこしのためのものとして見るか、なんらかの道具としてみることができます。
この "視線" というのは人間に対しても向くし、自分自身にも向けることができます。

「自分が何者か?」

という問いをされた時に、思わず、自分の所属するコミュニティ(会社)やそこでの肩書きで自己紹介をするケースがあると思います。
しかし、ハイデガーはこうしたものを決めたのは自分自身ではなく「世間」が決めたものであると説きます。
社会で生活する上では、自分一人が自分に向けた視線よりも、他者から向けられた視線の方が数そのものも多い状態です。
したがって、自分が決めるべき「自分が何者か?」を他者すなわち世間が決めてしまい、それを受け入れてしまっている。それが非本来的な生き方であると指摘されています。

非本来的な生き方がなぜ悪いかは、論理的には『世間』すなわち『他者の視線』による自己規定はすべて間違っていると言える、から、となるのですがそれを理解するには道具体系の議論を理解する必要がありますのでそこは本書を読んでみてください。

③「ならでは」があればそれは正解になる

ハイデガーの時間の捉え方について。
過去とは「勝手に放り込まれた世界(被投性)」。簡単にいうとデフォルトの設定は自分で選べるものではなく、過去とは私にとってどうにもできないものと言えます。

未来とは、「ひとつしか選べない世界(企投性)」。不確定な未来に向かって自分自身を投げ入れることしかできない。

現在とは、「無力さを突きつけられる世界」。分かっているのに死や非本来的な生き方から抗うことができずに、無力さや負い目を感じる世界。

本書で面白いなと思ったのは、『死の先駆的覚悟』や『本来的な生き方』つまり、『自己の有限性に向かい合って生きる』ことで、上記の時間は捉え方を変えられるという点です。

つまり、
未来は「自分だけの、自分オリジナルの可能性をひとつ選択できる」
過去は「その状況に投げ込まれたのは自分だけ。つまり自分オリジナルの過去を持っている。宿命。その宿命から考えれば、未来において何をすれば良いかも自ずと分かってくる」

『その人ならではの過去』から『その人ならではの未来』を選択したのであれば、結果がどうであれ正解と呼んでいいはずだ。

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.170). ダイヤモンド社. Kindle 版.

人生に迷ったときは『反復』せよとハイデガーは言う。自分が今まで何をしてきた人間なのか、どんな環境に放り込まれた人間なのか。過去を反復することで、自分オリジナルの可能性が見えてくる。

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.170). ダイヤモンド社. Kindle 版.


以上のように捉えると、
現在は、宿命から導かれた自分固有の可能性を自らの意志で選び取り、実践する場。逃避の場ではなく、本来の人生を生きる場となる。

==

本書を読み通してまとめると、
有限性を意識することで自分ならではのオリジナルの可能性を浮かび上がらせ、現在で実践する
という前向きな心構えが得られるのではないかと思います。

大事なのは有限性(死)を意識すると、自然と大事なものが見えるのではないかということです。他者の目線もあって知らず知らずのうちに大切とされるものは有限性を目の前にするとそうではないのだと思います。

この辺りはもう少し考えを深めていきたいところです。

「彼らは──気づいたらこの世界に放り出され、そして、死ぬことが運命づけられ、何が正しいかもわからないまま、自分だけの固有のあり方を問いかけ、他と関わりながら、今ここに現に生きている存在──である」

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.185). ダイヤモンド社. Kindle 版.



📓この記事について

株式会社タイミーで執行役員CMOを務めている中川が、マーケティング関連の仕事をしている中で感じたことを綴り、コツコツと学びを積み重ねる『CMO ESSAY』というマガジンの記事の一つです。お時間あるときにご覧いただければ幸いです。オードリーのオールナイトニッポン 📻 で毎週フリートークしているのをリスペクトしている節があり、自分も週次更新をしています。
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