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2024/7/15週|現代における人生戦略の考え方、に関するmemo

先週の 2024/7/8週|ハイデガー哲学で考える、今を生きるためのヒント💡 という記事にて、どう生きていくかについて、ハイデガーの哲学からの学びをまとめました。

最近、マーケティング関連の記事というよりは「どう生きるか?」のような記事が続いていますが、、現代において "どう生きるか" (大袈裟にいうと人生戦略)は自分自身もそうですし、周りで「生きづらさ」のようなものを感じている人も多い中で、ほぼ全ての人にとって重要なテーマになりうるのではないかと考えておりまして。

この記事も含めて置いておくことで、今じゃなくてもいつかそういうことを考える方にとって少しでもお役に立つヒントになれば良いなぁと願います。

したがって、今日はそこから先、現代において実際にハイデガーの哲学を人生戦略にどのように応用できるのか?について書いてみたいと思います。

先週の記事はこちら↓

先週の振り返りですが、ハイデガー哲学からの学びを3行でまとめると、
①死と向かい合う(先駆的な覚悟)ことで、世間が大事と決めた物事の優先度が下がり、自分本来が大事にしていることが浮かび上がってくる。
②時間の捉え方について、自分ならではの過去を反復することで、オリジナルの未来が見えてくる。
③現在はそうした未来を自らの意志で選び取り、実践する場である。
と、いうものでした。

デフォルトのシステムに組み込まれた我々

先週上記の記事を書きながら、自分に当てはめてみるとどうだろう、というのを並行して考えてみていました。

特に下記の一節。

社会で生活する上では、自分一人が自分に向けた視線よりも、他者から向けられた視線の方が数そのものも多い状態です。
したがって、自分が決めるべき「自分が何者か?」を他者すなわち世間が決めてしまい、それを受け入れてしまっている。それが非本来的な生き方であると指摘されています。

2024/7/8週|ハイデガー哲学で考える、今を生きるためのヒント💡 より

特に、小学校以降でしょうか、横並びの競争やそれを可能にするシステム(テストとか受験とか)の中で育ってきた我々は、どうしても他の人からの目を気にする特性があるように思われます。さらに、受験をとっても、会社に入っての人事制度をとっても、外からの評価や比較に晒され続けていることによって、意識・無意識の両面から、自分が何者かについて他者が決めている状態にだいぶ浸かっている自覚が芽生えました。そして自分の場合はその状態にすらやや無自覚な節さえありました。
(皆さんはいかがでしょうか?)

ここに、生来の性格や育ってきた環境が相乗効果となって、こうした "システム下に生きる" ことに違和感を持たなくなっている状態はありうるのかなとも思います。

例えば、人の期待に応えることで褒められたりする経験を重ねるうちに、人生の中におけるそうした経験を得ることの優先度が高まって日々の時間をそれに使っているのですが、それを他者が決めた生き方と認識しておらず、その前提のもとで色々と悩みを抱えている状態、などがこれに当たるでしょうか。

とはいえしかし

他人からの視線を回避する方法として、よく、「人と比較しないで生きよう」というアドバイスを見聞きします。

そのアドバイス自体はもっともですし、上記のハイデガー哲学からの考え方と矛盾するものではありません。

ですが、個人的には以下の2点が気になっています。

まず一つ。
自分が「人と比較しないようにしよう」、と思っても、社会のデフォルトのシステムが変わらず、そのシステムの中の住人である限りは中々難しいのが実態ではないでしょうか。

もう一つ。
ハイデガー哲学であるように「死の先駆的覚悟」をもとに考えると、自分が本来的に大事にしていることについて真剣に考えることはできますし、大事にしたいものの輪郭も浮かび上がってきます。
ここで、基本的には世間(他者)が良いと決めたもの(例えば、学歴、社会的地位、経済的自立度(お金)等)は落とされるはずです。
しかし、現代においては死の先駆的な覚悟をしたとしても、多くの人の人生は明日も明後日も(喜ばしいことに)続いていきます。
一つ目と関連するのですが、デフォルトのシステム下に生きる我々にとって、本来的な価値を自分の物差しで決めたとしても、結局世間からの目からは中々逃れにくいのではないでしょうか。

加えて、SNSなどで発信することを誰もができることが、デフォルトの社会システムを強化しているとも思いますし、それにより同調圧力が強まっているように感じる側面もあるでしょう。
(細かいこと書くと、ハイデガーが生きた1889~1976年と現代では経済システムの影響度や社会的な前提が2024年とは異なるであろう点もあります)

まとめると、、
「とはいえしかし、このシステムの中で人生はしばらく続いていくという現実はありますよね…?」
という問いはあるのではないかと。

そして自分としては、この現実的な問いをどう取り扱うかが重要ではないかと考えます。

中道を往く、という人生戦略

現代において、ハイデガーの哲学を応用しながらどう生きていくか?

これは現代のようにデフォルトのシステムが強化されている状況や、寿命も延びている状況、、、だからこそ、多くの人にとって重要なテーマなのではと考えています。

自分だったらどうするか?という観点でこの1週間くらい他の書籍も読みながら下記のように整理しました。
あくまで現時点での考えになるので今後変化する可能性はあるのですが、参考まで残しておきます。

💡人生戦略 = 本来的な価値観は明確にしながら、非本来的な生き方(世間の視線)を一定受容し、バランスを意図的に変化させていく。

結論としては、他人軸と自分軸のバランスをとり、中道を往くことが生きるヒントになるのではと思います。(最終的には自分軸の割合を高められるのが理想)

前回の記事で書いた通り、「自分ならでは」を明確に言語化し、現在はそのならではの未来を実現するための時間に使うことはやった方が良いと考えます。ここがないと他人軸で生きることになり、かつ、そうしたもの(他人からの評価や地位やお金など)には際限がない特性があり、悩み続けることになってしまうからです。

前回の記事だと、この "自分軸" を設定し、それに沿って生きていくという論調でしたが、自分としては、自分軸を前提にしながら、同時に社会システムの中で生きていくために他人軸を受容しながら生きていくのが現代の処方箋なのではないかと考えています。

つまり、世間でよしとされている地位やお金なども自分が必要な水準までは追求するために他人軸である評価や関連する価値観を気にする。
しかし、同時に自分なりの価値観を深く見つめ、何を大事にするのかを明確にし、他人軸にとらわれない行動をしていく。

時が経つにつれて、必要な水準が得られるにつれて、他人軸で生きる度合いを弱め、自分軸を強めていく、、そのような考え方です。

社会的動物である我々にとって、他人の評価をある程度気にしたり、キャリアや経済的な成功を通じて自分の物質的な必要性を確保したりすることは、特に人生の初期においては、現実的かつ必要なことではないかと思います。

次第に人生が確立され、安心できるようになるにつれて、徐々に自分軸の視点を強化し、よりそれに忠実に生きることで、本来的に生きることの割合を増やしていきます。(中道という表現しているものは、渋沢栄一の書籍で出てくる中庸という考え方に近いものとして使っていますです。)

以上のようなことをどのバランスでやっていくか、どの水準まで求めるかは、あなたが置かれている状況・年齢・価値観等によって変化するものと考えます。

この人生戦略のポイントは、
・自分自身に忠実でありながら、
・外部の現実にも注意を払い、
・そのバランスは人生の過程で変化していくことを意図する
ということです。


参考書籍

並行して読んだり聞いたりしていて、考えるヒントになったものを載せておきますね。

宇宙飛行士の野口聡一さんのこちらの書籍は本記事のテーマどんぴしゃな本でびっくりしました。燃え尽き症候群から脱していくプロセスや考え方などそのまま真似できるところもありそうです。

ハイデガーの哲学とブッダの哲学って似ている部分多いなと個人的には感じました。記事では触れていないですが、「最高の納得を目指す」という考え方は自分軸(本来的な生き方)と一致するように思われます。
また、こちらの書籍だと本来的な生き方として「慈・悲・喜・捨」という心がけが紹介されており、これも参考になります。

こちらは前回参照した書籍ですね。

最近よく聞いているのですが、ZORNのリアルなリリックに心揺さぶられ、人生考えさせられています。
・Lost
・Walk this way
・かんおけ
・My life
・奮エテ眠レ
あたりをよく聞いています。


今週は以上です。
お読みいただいた方ありがとうございました🙇

📓この記事について

株式会社タイミーで執行役員CMOを務めている中川が、マーケティング関連の仕事をしている中で感じたことを綴り、コツコツと学びを積み重ねる『CMO ESSAY』というマガジンの記事の一つです。お時間あるときにご覧いただければ幸いです。オードリーのオールナイトニッポン 📻 で毎週フリートークしているのをリスペクトしている節があり、自分も週次更新をしています。
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