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電車にさえ乗ってしまえば

世に蔓延る不安を数えていたら、東京で電車になんか乗れない。

通り魔に刺されるかもしれない。硫酸をかけられるかもしれない。感染症に罹患するしれない。東京ではそんなことを考えていたら、一生電車に乗れないまま、不安症で死んでしまう。

昨日、久しぶりに電車に乗った。乗ってみたら、何てことはなかった。乗り換えもちゃんとできた。刃物も劇薬も目にすることはなかった。運がよかった。今日を生きるということは、それだけでラッキーなことなのかもしれない。

大好きな街、神保町で降りた。本とカレーの匂い。古本屋さんの店先でオードリー・ヘプバーンに微笑まれ、幸せな気持ちになった。額屋さんを覗いたら不思議なかたちの額を見つけて、絵を描く友達に教えたくなった。

路地をふらふら散歩した。酔っ払いのおじさんに「お嬢さん小さいね、アイドル?」と奇妙な絡まれ方をした。前者は是で後者は否だけど、渾身のアイドルスマイルを浮かべて逃げた。動悸の気配はアイスティーで飲み下した。大丈夫、大丈夫だ。

待ち合わせの喫茶店は、外観からして良い雰囲気だった。感性を刺激された人々が、店の写真を撮っていた。私はその逆を見た。ビルとビルの隙間から、太陽が窮屈そうに光っていた。その空をシャッターで切り取った。大勢が撮るものと逆のものを撮るのが、私は好きだ。本当に綺麗なものは、多くの人が綺麗と言うものの逆に存在したりするのだ。


待ち合わせた先輩と、赤いクリームソーダを飲んだ。私のミニストップ処女を奪った、最高に悪くて綺麗な大人。けれどお会計が間違っていたら「払い足りません」と言いに戻り正しい額を払う、最高にかっこいい大人。

人生の話を沢山した。何も捨てられないんだね、人生の断捨離が苦手なんだねと言い当てられた。
そうだ、私には大切にしたいものが沢山あって、でもそのすべてを抱えられるほど腕力は強くない。何かを得るには何かを捨てなければならない。私は何なら捨てられるだろう。

私は色んなひとの話を聞くのが好きだ。聞いた上で、決める時は自分で決めたい。決断恐怖症に陥ってから、そのハードルがすごく高くなって苦しいけれど。自分で決めたことは、後悔したとしてもそれを正解にできると信じているから。

先輩はそんな私の性格をわかってくれている。だから、ちゃんと希望はあるよと背中を押してくれる。

今まで浴びた沢山の言葉を思い出す。言葉を呪いにしたくない。言葉の呪いに殺されたくない。浴びた言葉をなかったことにはできないけれど、呪いにするか救いにするかは自分次第で変えられる。苦しいけど、難しいけど、私は言葉を紡いで生きてきた人間だ、大丈夫。今は呪いでも、きっと救いにできる。

幸せとは何かの結論なんか出せないまま、ふたりで後楽園まで歩いた。私は一人で東京を歩くのが怖いけれど、先輩となら安心して歩ける。

東京ドームを初めて見た。よく「東京ドーム何個分」という比喩を耳にするけれど、実際見てもどれくらい大きいのか分からなかった。でも、静かに感動した。テレビで観ていた場所に自分がいるという感覚に、まだ慣れない。現実味がなくてふわふわする。でも私は確かにここにいる。

都内にぽっかり浮かぶ遊園地は、淡い夕暮れに染められて少し物悲しかった。恒常化した寂しさが、空気の中に溶け込んでいるような気がした。東京ディズニーランドが学級委員長なら、彼はきっと図書委員だと思った。


東京で学生時代を過ごしたら、私は友達や恋人と、この遊園地に来ていただろうか。別の世界戦で生きている自分のことを思う。向こうの世界の私は、別の世界の私の存在を考えることがあるのだろうか。

メリーゴーランドを眺めながら、今の悩みの因数分解をした。

ゆるされたい、とずっと思っている。「ゆるさない」と、人生を、存在を、思いを否定された日から。
でも、自分が自分をゆるせばいい話じゃないのか。
他人を変えようとするより、自分を変えることで生きてきたじゃないか。
でもやっぱりゆるされたい、ゆるされるだけでいいのに、という思いが拭えない。いつかこの苦しみが、晴れる日が来るだろうか。晴らしたい。

好きなことをして生きたい、好きなひとたちと生きたい、とずっと思っている。でも好きな存在と向き合うことは、それを失う恐怖と向き合うことでもある。その恐怖に、打ち勝てずにいる。

でも、もしかして、勝たなくてもいいのか?

恐怖ごと抱きしめていれば、いつか氷が溶けるように溶けていくものなのではないか。
そう信じたい。自分にとって大切なものであるほど、不安になるのは当たり前なんだから。
不安ごと受けいられたら僥倖じゃない。そう信じていたい。

自分のことを自分で「大丈夫」と言えるようになりたい。今はそれがすごく怖い。だから信頼できる人からの「大丈夫」が欲しい。それを受け入れられる心の感度を保っていたい。

大丈夫。

先輩と別れた後、都会の真ん中で回り続ける観覧車のことを思った。いつか一人で観覧車に乗ってみたいと思った。今度乗りに来よう。そのためには、一人で電車に乗って、一人で歩かなければならないけれど。

人間不信は、人間と関わることで治す。
文章への恐怖心は、文章を書くことで治す。

私の人生は荒療治の連続だけれど、今までもそうやって乗り越えてきた。苦しくても、苦しみと向き合う強さが、私にはある。それで潰れてはいけないけれど、潰れそうになった時に手を差し伸べてくれるひとが、私にはいる。大丈夫。

帰りも無事に電車に乗れた。停電も遅延もなく、時間通りに帰れた。ラッキーだった。

人生の忘れがたい日はこうして更新される。

もう何度思ったかわからないことを、また思った。
今度、ローマの休日のポスター、買いに行こう。

目的地に向かう電車に、乗ろう。



眠れない夜のための詩を、そっとつくります。