東京未遂

東京へ逃げたい、と一度でも思ったことがある人とは、深い関係になれると信じている。

行きたい、ではない。
逃げたい。
正確に言語化するなら、「ここではないどこかで救われたい」。

家出しても、行き場所なんてどこにもなかった頃。ネカフェは徒歩圏内にはなくて、コンビニすら遠くて、泊めてくれる人もいなくて。街灯のない夜道を、涙を流すのも忘れて徘徊していた頃。私は東京に行きたかった。ほんとうに行きたかった。口に出したら、ただの夢見がちな田舎者みたいになってしまうから黙っていた。東京なんて住むところじゃないよ、なんて強がった。東京に行きたかった。東京で生きたかった。

学生になって以降、その思いは具体性を帯びて加速する。新宿行きのバスに何回乗ったか知れない。新宿駅前の横断歩道が好きだった。自分の存在が背景に溶けていく感覚が好きだった。ここなら誰も私を見つけない。都会であればあるほど、人の母数が多いほど、ゆるしの範囲が広い気がした。どんな自分でもゆるされる気がした。

東京を離れてもうすぐ一年が経つ。人でごった返すアメ横の居酒屋、ぎらぎらした渋谷センター街、雨降りが似合う三鷹の市街、さみしい夕方が似合う後楽園。走馬灯のように、東京で過ごした日々を思う夜がある。毎日乗っていた満員電車。執筆のために通い詰めたPRONTO。マルチとマッチングアプリの出会いの場になっていたVELOCE。初めては大事にしたいという理由で、いつまでも行けなかったミニストップ。すべてがフィクションのようで。でもたしかに私は、東京で生きていた。泣いて書いて吐いて狂って、生きていた。

その後東京から離れて思うのは、結局のところ、どこへ逃げても自分からは逃れられないということだ。記憶も。感性も。傷も。全部背負って生きていかなければならない。東京だろうがロンドンだろうがケープタウンだろうが。自分の地獄は自分で背負うしかない。人は孤独であり、孤独は死に至る病なのに、特効薬はどこにもない。飼いならす他ない。それなのに、他人でしか埋められない孤独もたしかに存在していて。この世界は矛盾だらけで、さぞかし書き手は、売れない小説家なのだろうと思う。

酔いが回った頭で、一年前の春を回想する。上野公園の桜が綺麗だったこと。ビルの隙間に植えられた桜は、何かを諦めたような表情をしていて美しかったこと。

今住んでいる街にも、桜が咲き始めた。時は流れていく。ただいっさいは過ぎていく。この回想も明日にはぼやけて、私はまた、生活に戻っていく。

この繰り返しが人生なのだとしたら、愛してあげないと報われない。思いながら冷たい水を身体に流し込む。全部透過して、透過して、いつかたどり着く場所で、最高の文学を語りたい。そんな夜です。夜なんですよ

眠れない夜のための詩を、そっとつくります。