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誰かの幸せの、お裾分けの味。

 溢れる人を眺めて、その旅路を思う。行くのだろうか、帰るのだろうか。その先に、その人たちを笑顔にする何かが待っていればいいと、願いにも似た、思いがあった。


 私にしては長い休みが終わりつつある、やっぱりいくつになっても過ごしやすい実家には、そうなるように家族が用意してくれてるんだなと、ありがたみをしみじみと感じる。

 滋賀県を出て京都に向かう。新幹線は、滋賀にもとまる。実家へ帰るときは、滋賀で降りる。神奈川へ帰るときは、京都から乗る。6年間繰り返してきた帰省の、お決まりのパターン。

  京都駅は、それほど広くはない。地元の駅と比べれば、それはもちろん巨大な駅なのだけれど、東京駅や、新宿駅と比べると、少し、そう感じる。集まる路線が比べて少ないからなのか、それとも私が、それほど全容を把握していないだけかもしれないけれど。

 そしてその割に、人が、多い。盆や正月だけ見るからかもしれない、だけどここには決まって、大きなバッグを持った家族や、私のような帰省者、ときには、修学旅行生たちがひしめき合う。

  お土産を買うのに、人混みを縫って歩いていると、時折、まわりの話声が耳をうつ。


「ねぇ、これ!可愛くない?」

「〇〇さんところはこれがいいよ」

「新幹線に乗ったら食べようね」


 飛び込んでくる会話が、心地いい。大量のお土産を、邪魔にならないように、鞄の位置を動かしながら、思うのだ。

  人が多い場所は、もちろんあまり好きではない。だけど、この非日常を過ごす人たちの、楽しそうな顔を見たり、嬉しそうな声を聞いたりするのは、好きだった。

 行く先に待つのは、祖父母のお年玉だろうか。それとも、上げ膳据え膳の温泉地だろうか。いずれにせよ、休みの取りやすいこの時期に、集まる非日常を、皆、楽しみにしている。その雰囲気を見ているだけで、私は自然と笑顔になってしまう。

  中には、疲れてしまったのだろう、家族でうつらうつらとしているところを見かけることもある。でもその疲れは、楽しみ疲れであってほしいなと、密かに微笑む。


 私は周りからどう見えるのだろう、幸せな一人に見えるのかな、お土産を選んでいる間は見えるかもしれないな。

 ただ私は、私がその中に含まれていなくても、これだけの人が行き交う場所に、幸せが溢れているように見えて、それだけで、暖かくて嬉しくて、満たされたように思うのだ。

 神奈川に戻れば、仕事が待っている。だけどその前に、もう少しだけ、幸せを感じさせてくれて、ありがとう。幸せのお裾分けを噛み締めながら、私は、新幹線に乗り込んでいくのだった。

 


 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫


いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。