好きとか嫌いとか、そういうものを越えた曲。
時折、というよりは、いつも、私の頭の中には、音楽が流れている。
別段音楽が好きなわけではなく、かといってもちろん嫌いなわけでもなくて、流行にはとんと疎いけれど、気に入った曲は何度も何度も繰り返して聞いてしまう。その良し悪しについてとなるとまたとんと解らなくて、ただ好きと嫌いくらい大雑把にしか分けることができないありさまで、そんなだから、音楽の話題にはいつもついていけないでいる。
そんな私だけれど、日常過ごしていて、特に歩いているときが多い気がしますが、往々にして考えなければいけないことがある時に、頭の中で音楽が鳴っていることが多い。ほとんどの場合は、それに乗ってしまって、考えることが疎かになってしまうので、良くないなと思ってはいるのだけれども、どうにも停止ボタンが見つからず。電気代はかからないけれど、思考力が奪われていっているような気分になる。
どんな曲があって、どんな人のものが多くて、というのは、またそのうちに書ければいいなと思っている。今日は、どうしても、頭から離れない、とあるバンドの話。
EASTERN YOUTH 知っていますか。
正直なところ、私もほとんど知らず、懐かしさから調べてみると、今もなお活動されているロックバンドのようで。私が知ったのは、MDが出回り始めたころ、まだ録音にカセットテープを使い、いわゆるデモテープというものがバンドの中で出回るような時代。音楽好きな兄が聴かせてくれた、一本のカセットテープからだった。
「口笛、夜更けに響く」
その中に収録されている、『たとえばぼくが死んだら』
たとえばぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
悲しいときは ぼくの 好きな
月の光に 泣いてくれ
強烈だった。よく調べてみると、森田童子さんという方のカバー曲だったようなのだけれど、その時はそんなことも知らず、もちろん今になるまでまるで気づかず、ずっと頭に残り続けていた。この曲のすべてを余すことなく覚えているわけではないし、なんとなれば、本当にこの出だしの一節ほどしか覚えていないのだけれど、かつて、これほどまでに、記憶に染み込むような言葉が、これ以上に、揺さぶり動かすような歌詞が、あったのか、私には、覚えがない。今思い返しても、いや、今思い返すからこそ、美しさや儚さ、覚悟、愛情、悟り、様々なものを感じ入るのだろうか。
当時の私がこれをどう思っていたのかは、もうすでに遠く解らないけれど。この歌の、歌詞の、出だしの部分を思うたびに、私はその強烈な、そして鮮烈な、それでいてある種の覚悟や悟りのようなものと、悲しいほどの愛を語るものを感じて、わが身をそこに置いてみたり、あるいは大切な人のことを想ったり、するのだった。
この歌を忘れることは、多分ないだろう。そしてこの歌を胸に持ったまま、最期の時を、いずれ、迎えるのだろうなと、なんとなく、思っている。
文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。
本城 雫
いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。