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はたてくらばし【端建蔵橋】大阪の橋


 「蔵のはじっこに建っている橋」
端建蔵橋、なんとなくイメージできます。読み方は「はたてくら・ばし」です。
(1232文字)


端建蔵橋(はたてくらばし)

お天気は、どんよりしています。ここは大阪市の北区かな、西区かな? 中之島なかのしまの西のはしっこ。

中之島は堂島川どうじまがわ土佐堀川とさぼりがわに、はさまれた東西に「ほそなが~い島」。
オシャレにいえば、パリのシテ島です。

中之島バラ園より土佐堀川をのぞむ


その中之島の西の端っこでふたつの川は合流し大きな河・安治川あじがわに。そのまえに木津川も流れています。川だらけの大阪。現在は橋がたくさん架かっています。

木津川と木津川橋(水色)
奥のアーチは昭和橋


江戸時代、中之島は大坂(大阪)の巨大物流センターでした。全国から船で米や各地の名産品が運ばれてきます。荷物の積み下ろしも、にぎやかに。
そして中之島の西のはしっこまで、各藩の蔵や屋敷が建ちならびました。

堂島川

あまりにも船が多すぎて、橋を架けられなかった安治川。船を監視する役人も大変だったことでしょう。船の番所の跡があります。

 「蔵が建ってる、はじっこの橋」

大阪市サイトより引用しました





小説「泥の河」舞台の地

端建蔵橋はたてくらばしでピンとくるかたは、この小説ですね。

宮本輝みやもとてる泥の河』

わたしがフォローさせていただいているかたが、大阪のはなし「宮本輝・泥の河」を教えてくださったのです。気になっていて、やっとこさ図書館に行ったしだいです。

湊橋(みなとばし)南詰にあります

堂島川と土佐堀川がひとつになり安治川と名を変えて変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋端建蔵橋それに船津橋である。

宮本輝『泥の河』一部より
端建蔵橋のあったところに
橋げたの土台が見える


◆昭和橋◆アーチ橋

昭和橋
(右はじまりで「橋和昭」)
ひらがな「しはわうせ」
空襲で柱がめくれる被害
昭和七年五月竣工 
大阪鉄工所 銘板


船津橋◆

2024年(令和6)
これしか撮っていなかったです



架けかえ工事中

 端建蔵橋はたてくらばしは大正時代に架橋されて、昭和になり架けかえ工事もされています。しかし、かたちあるもの朽ちゆく運命からは逃れられません。

2022年(令和4)撮影
通行止めと迂回路のお知らせ
工場まえの端建蔵橋

橋がいっぱいで、混乱してきました。通行止めの印がついているところが端建蔵橋です。

大阪市公式サイトより引用しました
2024年1月撮影

くわしくは大阪市のサイトをどうぞ

なんと2030年(令和12)まで工事期間は延長されました。想定外のものが発掘されたそうです。


わたしは、新しい端建蔵橋を見たい。

がんばって生きよう。


さあ帰って『泥の河』読みます。



昭和橋のようなアーチ橋になるそう……。

毎週水曜日は
「たてもの」の日

いつも こころに うるおいを
 水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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