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衣料品のカンバン

 むかし、服はどこで買っていたのでしょう? チクチクお家で針仕事。おばあちゃんや、おかあさんが手づくり。お家で洋服を縫っていたのです。
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洋裁・男子専科

 戦後、女性も和装から洋装へ。和服とちがって洋服をつくるのは、さぞかしたいへんだったと思います。それでも女性たちは、手づくりの洋服の本や、型紙がついた本を買い、なんでもお家で縫っていましたね。

男子専科

これはなに、男子だけの店?
男子だけの芸能事務所ではありません。じつは、わたしもあまり知らないのてす。「男子専科」というファッション誌がありましたが、本屋さんではなさそう。


たぶん「紳士用の衣料専門店」です。そう、洋服屋さん。
かなりむかしの看板でしょうね。男子専科と書いてあっても、もはや何なのか、わかりません。


スーパーがない時代、まちのお店は、すべて「専門店」でした。「魚屋さん」「米屋さん」「肉屋さん」……。あら、食べ物ばかり、失礼しました。

TAILOR テイラー

「テイラー」これは、わかります。スーツとかコートのおあつらえ、オーダーメードの洋服屋さん。「男子専科」



では、つぎの画像をごらんください。

洋裁教室

この看板は、くわしく書いてありますね。西洋の服飾・手芸の技術をひっくるめて、洋服をつくることを「洋裁」。
かつて、家庭内の衣類の管理やメンテナンスは女性の仕事でした。針仕事と言うぐらいですものね。

裁縫さいほうは女性の必修科目。結婚するため花嫁修行として、洋服をつくること「洋裁」を習いに行っていたのです。


洋裁教室・洋裁店の看板、ほとんど見なくなりました。
旦那さまの衣類は「男子専科」。「女性専科」はなかったのですね。時代を感じます。



手芸用品・毛糸店

手芸用品店

 手芸屋さんだ!こちらは現役のお店。まち針や糸、おさいほう。なつかしい家庭科。まさに専門店です。

毛糸店

毛糸だけの専門店、まだあるのです。
まちのどこかに毛糸店は、かならずありました。かぎ針や棒針で、マフラーやセーターを手編みしていました


色を変えたり、柄を入れたり。セーターが小さくなったら、毛糸をほどいて、くるくる。リユース。
まんまるの毛糸だまが、コロコロころがってた。


寒い時期、こたつで手編み。昭和の冬の風物詩。

手編みスクールも



ミシン

わたしの住むまちは、縫製業も多かったのです。下請けの町工場で、戦前は軍服などを。ボタン屋さんもありました。

だから、工業用ミシンと家庭用ミシンをあつかうお店が、けっこうありましたよ。

チクチク手を動かすより、断然はやく縫える魔法の機械。机のような大きさ。むかしのミシンは足を使ってミシンを動かしました。


重たい鉄のミシン。鈍くなると油をさしたりして大切に使っていました。なんでも、たいせつに。

ミシン商会という名前

電動ミシンや卓上用のミシンが発売されたのは、いつだったのだろう。なんでもコンパクトになりました。

商店街のミシン商会

思い出した。ミシンの実演販売がありました。おっちゃんがミシンに座って、小袋に名前を刺繍してくれる。筆記体のひらがなで。


はやい! ほしい!
月賦げっぷで、どうでっか?」
まだローンという言葉がなかったのです。


衣類のリフォーム

かけつぎ

「かけつぎ」の看板が残る。寸法直し・刺繍ししゅう・かけつぎ、衣類のリフォーム。
いろいろと仕事があったみたいです。ずっとミシンの音が聞こえてた。

刺繍店
既製服製造卸 

ここは、たこ焼き店の2階で服をつくっていた。ちいさな町工場は、だんだんとすくなくなっていく。


とうとう、まちからミシンの音が消えてしまった。


洋服を家で手づくりをするより、お店で買う時代へ。

衣服店 はしりでしょうか
婦人服・子供服店もできました
洋装店?
おしやれな衣料スーパー


まちのカンバン。
衣料のカンバン。


なつかしいにおいがしました。




毎週火曜日は
「フォト・イラスト」の日

いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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