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「わたし」と「あなた」の異文化

今週、ある試みをしていて。
それは、「スマホの使用を一日二時間以内にする」というものです。

日々の履歴をみてみれば、毎日三時間以上はスマホを使っていたわたし。
『スマホ脳』という本を読んで、「スマホがあると集中しづらくなる」というのに共感しまして(賛否あるとおもいますが)。減らす努力をしてみました。

そして、今週の使用時間はこちら。

月曜 33分
火曜 45分
水曜 1時間2分
木曜 52分

こんなに減らせたの!?
やればできるんじゃん、自分。

で、気付いたことがあるんですけど、わたしの場合、週のなかばに使用時間がふえる傾向にあるんですね。
どんなときにスマホを長時間触ってしまうんだろう?と自分の行動をよくよく観察してみると、仕事で人にイライラして、気分転換したいときに、スマホをさわっているな、と思いました。だいたい土日は誰にも会わずにゆったり過ごしているので週のはじめは落ち着いていて、ミーティングやチャットを重ねてどんどんイライラが溜まっていく・・・。

「あの人とは、いっつも話が噛み合わないんだよな」
「あの人は、こっちの言うことあんまり聞いてくれないんだよな」
「あの人は、仕事が雑すぎるんだよな」

些細なことで、イライラが募っていく。イライラすると、それだけで自分の容量が食われるというか、仕事が進まなくなるのがよくわかります。それで、気分転換しようと、スマホで無料マンガを読んだり、SNSを開いたりしているな、ということに気づきました。


ひととの小さな「差」によるもやもや。

今日、その認識をあらためるきっかけとなる話をききまして。ポッドキャストで配信していた、「メルカリのダイバーシティ」のはなしです。


ひととの差分を、「ダイバーシティ」として捉えて、会社全体の取り組みとして改善していこうという話でした。

「なんでこのひとはこうしてくれないんだろう」
「普通に考えて、こうするはずでしょう」

自分が考えることを、どこかで「普通」だと思ってしまっている自分がいる。しかし、それはおそらく、相手にとっては「普通」じゃなくて、ある種の異文化理解をする必要がある。

ここでいう異文化理解とは、
「わたし」と「こういうコミュニティのひと」ではなく。
「わたし」と「わたし以外のひと」でもなく。

「わたし」と「あなた」の一対一の関係であるべきなんだろうな、と考えました。

ここで重要なことは、「自分もふくめ、ひとりひとりが唯一無二の文化であること」です。

「このひとは体育系出身だから」「このひとはエンジニアだから」などなど、小さなことばかりですが、無意識にひとを特定の「コミュニティ」に当てはめてみてしまうことが多いなと思いました。
わたしは、いまの会社では珍しく、総合コンサル出身なのですが、それをもって自分を見られるのが苦手で。「コンサル出身だから」といわれると、たしかに合っていることもあるのですが、世の中のいわゆる「コンサル」とは違うところもたくさんあって。べつにハキハキもしてないし常にロジカルなわけでもないし。その前提で自分をみないでくれって思ってしまいます。
けれど、よくよく自分の思考をふりかえってみてみれば、自分はされていやなのに、相手を「箱」にいれるようなことをよくしてしてしまっているな、とはっとしました。

ひとりひとりを見極めるのは、たしかに大変な作業で、「箱」にくくってしまえば、楽なことも多いんですよね。
けれど、箱に閉じずに、「わたし」と「あなた」の一対一の関係に目を向けるようにしよう。そんなふうに人との関係を捉えたら、小さな差が「イライラ」ではなく、「そのひとを知るきっかけ」として、前向きに捉えられるんじゃないかな、と思いました。

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