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客観的な主人公っていないかな?

朝井リョウさんの『風と共にゆとりぬ』の一節。

客観性、これが宿った途端、主人公としてのスター性は消滅する。
世界中で愛されている主人公たちは、客観性など持ち合わせていない。

なるほど。
無自覚にずば抜けた能力をもつ主人公と、「こいつはんぱねえ」と呆然と眺める観衆。その対比はおもしろく、いろんな物語で見受けられる。たしかに、スター性と客観性は、相容れない存在かもしれない。

しかし、断言されると反例を探したくなるのが人間である。

スター性も客観性も持ち合わせた、魅力的な主人公はいないか。
『風と共にゆとりぬ』を読んで以来、くだらないことに全力を注ぐ精神が芽生えたので、知識を総動員して考えてみた。

ドラゴンボール。
ハンターハンター。
ブリーチ。
ワンピース。
銀魂。
名探偵コナン。
らんま。
タッチ。

・・・だめだ、なかなか出てこない。とくに、恋する主人公は客観性を失いがちだ。

うんうん考えて、3人ほどピックアップしてみた。

トップバッターはこのひと。

夜神月

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ライトくん。最愛のエルを失ってからは客観性を見失いがちであるが、それまでは客観性が高い人物と言えるだろう。

他人が自分のことをどう思うか?を踏まえて、相手の行動まで計画にいれている。また、記憶をなくしたとき自分はどう動くか?という自己分析まで完璧である。

ライトを通して「客観的なひと」をもう少し具体化してみようと思う。
頭のよいひと・・・という表現は、あまりにもざっくりしている。もう少し噛み砕くと、客観性がある人間とは、こんな性質を持つのではないか。

・視野がひろい
・記憶力がいい
・分析力がある(いろんな可能性を想像できる)

その結果として、「自分を含めたひとの思考・行動パターンを観察・予測できること」イコール客観性があることだと考えた。


ライトみたいに、常に考えている頭脳派の主人公はいないかな・・・と考えて、思いついたのがこの人。

矢口八虎

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『ブルーピリオド』の八虎くんはどうだろうか。
他人をよく観ているし、絵に対する観察眼もある。状況を分析した上で、「自分はなにをすべきか?」を判断することができる。(ただ、八虎くんには、「努力する才能が半端なくある」という自己分析力が欠けているが…)

ただ、客観的な分析力はあるものの、画家や歴史に関する「知識不足」により、たびたび正しい判断できていないことがある。「客観的であること」には、「分析するための知識があること」も条件に含むのかもしれない。


最後はこのひと。

青井葦人

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『アオアシ』のアシトくん。
彼は当初、自分とまわりを客観視できない、典型的な主人公として描かれる。
試合でのミスは多い。しかし、ときどきミラクルなプレーを起こす。
その彼のプレースタイルは、エスペリオンに入ってから徐々に変わっていく。

それは、「言語化」という能力を身につけはじめたからだ。

なぜ自分がこのポジションに行こうと思ったのか。なぜ自分はあっちにボールを蹴ったのか。
「感覚」ではなく「言葉」として噛み砕き、再現性の高いものへと落としていく。

アシトの観察力と、言語化能力。ここにこそ客観性があると思う。


***

はい。長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。
『デスノート』のライト、『ブルーピリオド』の八虎、『アオアシ』のアシトの3人を、「スター性と客観性をもった主人公」として挙げた。

客観性のある主人公。ひまなときに考えるとおもしろいかも。

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