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アイスピックの浄化者。

 夜の湿った路地裏。
 黒色のフードを被って、両手をポケットに突っ込みながらどぶ臭い夜道を歩く。
 湿度の高いこの街には、廃墟区域と呼ばれる廃墟ばかりが立ち並ぶエリアがある。理由は分からないが、この区域一帯が人に使われなくなってしまった。それなのに、闇の中から何かの気配を感じるのは何故だ。
「ゲームセンター」と記された電飾看板が設置された、2階建ての建物。1階と2階の間に取り付けられた電飾看板は、今はもう使用されていない為、当然光を放っていない。だけど、その壊れて汚くなった電飾看板が、完成品のように思える。それぐらい、その退廃さが妙な魅力を放っていた。
 既にドアが撤去された出入り口まで来る。そして、様々な種類の古びたゲーム機が置かれた室内に向かって、言葉を発する。
「夜の生き物」
 右足で1回、左足で1回、泥濘んだ地面を勢いよく踏む。
「牙を剥き、爪で戦う」
 両手を3回打ち合わせる。
「夜行性様、黒猫様」
 こっ、と舌で音を鳴らす。
「おいでください」
 言い終えた瞬間、あれ程物寂しかった室内から、人の体温のような生温かさを感じた。
「呼んだ?」
 突如、目の前に黒猫のマスクを被った少年が現れた。黒猫のマスクは、ぎざぎざの歯を剥き出しにして笑っているような表情をしていた。
 僕はパーカーの左ポケットから3枚のがびがびの500円玉を取り出して、黒猫のマスクの少年に手渡した。
「何を知りたいんだ?」
 黒猫のマスクの少年は、ズボンのポケットに500円玉を突っ込むと尋ねた。
 彼は「黒猫少年」、又の名を「黒猫情報屋」。廃墟区域にある廃墟と化したゲームセンターで暮らす、湿気の街の情報屋。どこで情報を仕入れているのか、この街のことなら路地裏の裏の裏の裏まで知り尽くしている。
「『白鳩の聖域』」
 僕がそう言うと、黒猫情報屋は「ふんっ」と楽しそうに鼻息を鳴らした。

*

 湿気の街の住宅区域。
 一見、何の変哲もない2階建ての家の前で立ち止まった。
 フードを深く被り、高さ160センチ程の柵のような鉄製の門扉越しに家を見る。
 やはり、他の家と大差ない。普通の家族が、普通に暮らす為の庭付きの戸建て。1階と2階の窓をカーテンで閉め切っている為、中は見えないが明かりが点いているのは分かる。
 庭に犬小屋があるのに気が付いた。尋常じゃないぐらい暗い犬小屋の中から、2つの光が見えた。
 目を合わせてはいけない。理由は分からないが、直感的に思った。
 家を囲むブロック塀に身を隠す。パーカーのポケットに突っ込んでいる両手に、じっとりと嫌な汗を掻いていた。
 がちゃ。
 背後からドアの開く音が聞こえた。
 ブロック塀に背中を預け、顔を下げつつ、視線は門扉に向ける。
 静かに、両側に門扉が開くのが見えた。中から出てきたのは、スーツ姿の50代の中年男だった。
 別に変なことではない。普通に考えて、この家の主だ。彼の隣に、白鳩のマスクを被った少女が歩いていなければ。
 中年男に手を引かれている彼女は、体の大きさからして、幼稚園児〜小学生低学年の間に見えた。
 中年男は白鳩のマスクの少女と手を繋ぎながら、僕の前を通り過ぎた。
 間違いない。ここは、白鳩の聖域のアジトだ。廃墟区域の情報屋、黒猫情報屋の言う通りだった。
 しかしながら、彼から得た情報はそこまでだ。白鳩の聖域のアジトの場所と、この謎の団体の象徴が白鳩のマスクであることしか、教えてもらえなかった。誰が、どれぐらいの人数が、アジトで何をしているのか。いくらがびがびの500円玉を積もうと、何1つ明かしてくれなかった。知らないから言えなかったんじゃない。白鳩の聖域についての全貌を知っているからこそ、言えないように見えた。余分に積んだがびがびの500円玉は、全て持っていかれた。
 仕方がない。それでも僕はやらなくてはならない。教えてもらえないなら、自分で情報を掴みに行くしかない。
 フードを目元まで深く被って両手をパーカーのポケットに突っ込んだまま、中年男と白鳩のマスクの少女の後を付ける。湿り切った闇夜に同化し、ぎらりと輝く凶器を隠して。
 中年男と白鳩のマスクの少女が、人気のない路地裏に入った。僕も小走りで後を付け、両側を住宅に挟まれた狭い通路に入る。右側に並ぶ街路灯の弱々しい光に照らされて歩く2人。5メートル程先を歩く中年男に静かに近付き、襟を掴んで後ろに引っ張った。
「うわがぁ……」
 変な声を上げて、中年男は体勢を崩し、後ろへ勢いよく倒れた。僕は仰向けに倒れた中年男の膨らんだ腹に、馬乗りになった。
「『白鳩の聖域』って何だ」
 僕は小声で中年男に尋ねた。
「は……はぇ? 白……はぇ?」
 中年男は汗をだらだら流して、目を左右に泳がせた。
 僕は左手で中年男の口を抑え、パーカーの右ポケットから取り出したアイスピックで彼の左目を刺した。
 ぐぢゅ。
「んんんんっ、んっんんんっ!」
 男が痛みに叫んだ。
 左手に伝わる不快な振動に、舌打ちをした。
「何度もチャンスがあると思うな。次は右目だ」
 涙と鼻水と唾液で左手が汚れて、気持ちが悪い。
「もう1度聞く」
 それでも、高揚感を覚えている。
「『白鳩の聖域』って何だ」
「んんんっ、んんんんんっ」
 顔中に脂汗を掻きながら、ぐしゃぐしゃの顔で頭を横に振る中年男。
「そっか」
 白鳩の聖域。事前に知っていた噂では、かなり大きな団体だ。だからきっと、情報源はまだ沢山いる。
 昂る感情に任せて、アイスピックを振り上げた。
 僕はこれからもこれを続ける、徹底的に。だって、だって、僕はこの街の……。
 アイスピックを中年男の右目へ振り下ろそうとした瞬間、右手を誰かに掴まれた。
「ちょっと、何してるの」
 振り返ると、そこには濃紺色のペストマスクを被った男がいた。
「離せ! 邪魔するな!」
 僕は中年男の方を向き直り、アイスピックを持つ右手に力を込めた。
「駄目だって」
 それでも、ペストマスクの男の左手は離れなかった。
「糞!」
 立ち上がって振り向き、ペストマスクの男へ向けてアイスピックを振り下ろそうとした。その前に左頬を何かで殴られた。体勢を崩し、泥濘んだ地面に倒れる。
 顔を上げると、ペストマスクの男が右手に持ったバールをぶんぶんと振り回していた。
「駄目じゃん。両目潰したら何も見えなくなるよ」
 当たり前のことを言う彼に、いらいらした。
「だから、どうした。僕には権利がある」
 何とか左手で身体を支え、立ち上がる。
「……権利?」
 ペストマスクの男は首を傾けた。
「あぁ。この街を浄化する権利」
「浄化って?」
 少し喋り過ぎた。これ以上、お前に構ってやる暇はない。
「まだ子供なんだから、こんな夜中に」
「違う!」
 僕はペストマスクの男の声を遮り、ぴかぴかに磨いたアイスピックの刃先を、気怠げな雰囲気を放つ彼へ向けた。
「僕は……『アイスピックの浄化者』だ」
「あ」
 ペストマスクの男が道の先へ視線を向けた。
「え?」
 思わず、同じ方を見る。夜道の先に、小さくなった2つの背中があった。
「あれ」
 中年男と白鳩のマスクの少女がいる筈の場所を見る。彼等はもう、そこにはなかった。
「糞!」
 後ろを向き、怒りに任せて、建物にアイスピックの刃を突き立てた。
「糞! 糞! 糞!」
 何度も何度も。
 邪魔しやがって。白鳩の聖域の情報を得られなくても、もうすぐでその一部を浄化出来たのに。何枚の500円玉を積んだと思ってるんだ。
「糞! 糞! 糞! 糞! 糞!」
 ……そうだ。邪魔者も消してやる。浄化の邪魔をした者も、浄化の対象だ。
「浄化してやる!」
 振り返ると、もうそこには誰もいなかった。静かな路地裏。街路灯の光に照らされて、1人で佇んでいた。
 突然、そこら中から無数の視線を感じた。吐き気を催す程の、邪悪な視線だった。
 パーカーのフードを深く被り直し、両手をポケットに突っ込んだ。そのまま何事もなかったかのように、来た道を戻り、路地裏を抜けた。
 静かで湿った住宅区域を歩く。
 黒猫情報屋が白鳩の聖域について深く語らなかった理由、いくら痛め付けても中年男が情報を吐かなかった理由。何も分からなかった。だけど、今日はもう止めておこう。
「うん……そう。止める」
 段々と早足になる。
「止める。もう止める」
 やがて、全力疾走に。
「はぁ、はぁっ、はぁっ、ごめっ」
 自分の声が震えていることに気が付いた。
「ごめんっ、なさい!」
 両目から涙が零れ落ちる。
「ごめんなさい!」
 自分の情けない声が辺りに響く。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 それでも構わず、誰かに謝り続けた。
「ごめんなさい!」
 いくらあの路地裏から離れても、強烈な視線が僕を離さないんだ。



【登場した湿気の街の住人】

・アイスピックの浄化者(アイスピックの少年)
・黒猫情報屋
・中年男
・白鳩のマスクの少女
・ペストマスクの男

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