見出し画像

白鳩の聖域。

 手を打ち合わせる音が、辺りに響き渡る。
 天井、壁、床、全てが真っ白に染まった、小劇場程の広さの部屋に俺はいる。
 俺を含め30人ぐらいの白色の装束を着た男女が、同じ方向に向かって拍手をしている。
 俺達の視線の先には、舞台がある。舞台上には、3人の男がいる。こちらを向くようにして立つ、白髪の男と白色のペストマスクを被った男。そして、ペストマスクの男の足元に蹲る、白装束を着たマンバンヘアーの男。
「皆さん」
 白髪の男が、美しい切長の目で山を作った。
 それを合図に、舞台下にいる俺達は拍手を止めた。しん、と不気味な静寂が部屋を支配する。
 数秒置いて、白髪の男、通称、「白鳩の麻薬王」が続けて口を開いた。
「今宵も『ペストマスクの白鳩』様が、この街に幸福を齎してくださっていますね。2度と味わうことが出来ない筈だった、大切な人との幸せな時間を」
 ペストマスクの男、通称、ペストマスクの白鳩は無言で立ち続けている。
 彼が着ている白装束も、右耳に付けている白鳩のピアスも、この空間に存在する白色の中で、最も高貴な白色に見えた。舞台下にいる俺達の白装束と白鳩のピアスとは、何か決定的な差があるように感じる。
 ペストマスクの白鳩はこの教団のシンボルだから、そう見えて当たり前だ。
 ここは、「白鳩の聖域」アジト。最近、年中湿度の高い街、「湿気の街」に現れた、カルト教団だ。「憂鬱に押し潰された街の住人を幸せにする」という、大層な目標を掲げている。この街の大半の住人は、今すぐにでも憂鬱から逃れて幸せになりたい。出来たばかりのこの教団は、物凄い速さで勢力を伸ばしている。
 だが、その手法は実に汚いものだった。白鳩の聖域が信者を増やす為のキーとなるのが、「鈴蘭の麻薬」だ。鈴蘭の麻薬とは、名前の通り、鈴蘭の見た目をした麻薬のこと。その麻薬を食べると、「過去に体験した幸せを、大切な人と共にもう一度味わえる」、もしくは、「理想的で幸福な時間を、大切な人と共に味わえる」。過去に固執して憂鬱になっている湿気の街の住人には、ぴったりの麻薬だ。
 白鳩の聖域は、信者である「白鳩」を使って、街の住人に鈴蘭の麻薬を販売している。初回は無料らしいから、尚更ジャンキーが増えていく。中毒者の中から、顔がいい人間を選んで入信を促す。幸せ中毒者を生み出し、信者と金をどんどんと増やしていっている。
 俺も白鳩の聖域に潜入する為、白鳩になった。ここでは、「グレーアッシュの白鳩」と呼ばれている。
 この教団の勢いは、湿気の街全体を乗っ取り兼ねない。いや、もう殆ど占拠したようなものだ。俺のバイト先である殺し屋管理組織、「胔」に所属している殺し屋、たまに行く煙草の店主、ペストマスクを被った湿気の街の救世主。気が付いたら、知っている人間が徐々に白鳩の聖域に侵され始めていた。今は、街中ジャンキーで溢れ返っている。
 俺が好きなのは、憂鬱でネガティブになった湿気の街だ。幸せであって欲しくない。幸福だったら、この街から面白みが消える。ここにいる住人には、程よい闇で包まれていてもらいたい。その為には、白鳩の聖域に潜入し、彼等の暴走を止める方法を探すしかない。だから、白鳩になろうと思った。
 顔が整っている自覚はあった。この街でグレーアッシュ色の髪をしたイケメンを見付けたら、俺のことだ(当然、口には出さないけどね)。案の定、白鳩に貰った鈴蘭の麻薬を食べ、感動した振りをしたら、入信を勧められた。白鳩のピアスを右耳に付け、白装束を着て、「グレーアッシュの悪魔」という通り名を捨てた。
「さて、ここに頭を下げている者は、先日失態を犯しましてね。裁きが必要となっておりますね」
 白鳩の麻薬王は、色っぽい笑みを浮かべて言った。でも、目は全く笑っていなかった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
 ペストマスクの白鳩の足元で、マンバンヘアーの男がぶるぶると震えている。たまに行く煙草屋、「樂」の店主だ。ここでは、「樂の白鳩」と呼ばれている。
「ここ最近、ペストマスクの白鳩様に対する冒涜とも取れる過ちを犯す『白鳩』が増えておりますね。その度、私が罰を与えておりましたね。ですが、あまりにも多過ぎますね。寛大なペストマスクの白鳩様の許容範囲が超えてしまいましたので、直々に裁きを下して頂くことになりましてね」
 樂の白鳩が失態を冒したのは、俺の所為でもある。と言うか、殆ど俺が原因だと言っても過言ではない。
「ペストマスクの白鳩様、お願い致しますね」
 俺達に演説していた白鳩の麻薬王が、ペストマスクの白鳩に顔を向けた。
 ペストマスクの白鳩は、無言で頷いた。
 あの夜、俺は白鳩を捕まえようとした。
 俺は、殺し屋管理組織、胔以外にもバイトをかけ持ちしている。「ペスト乙女展」という、悪人を展示している美術館だ。
 白鳩の聖域は麻薬の販売以外にも、少女を誘拐・拉致していると胔の殺し屋から事前に聞いていた。湿気の街では麻薬密売なんて当たり前に行われている。だが、未成年を危険に晒すのは極悪非道だと、ペスト乙女展の館長、「ペスト乙女」が判断した。だから、ペスト乙女展に展示する為の白鳩を捕まえるべく、ペスト乙女と夜の路地裏へ赴いた。
 そこに現れたのが、樂の白鳩と女の白鳩だった。彼等が運んでいたリヤカーの上には、いくつもの白色の袋が置かれていた。白鳩達を捕らえようとしたら、見知らぬ2人の盗人達が現れた。俺達が乱闘をしている隙を狙い、盗人達は白色の袋から何かを取り出した。そこから出てきたのは、身体中から鈴蘭が咲いた少女の死体だった。盗人達は死体をどこかへ持っていき、白鳩達は彼等を追いかけ姿を消した。
 どうやら、白鳩達は盗人達から死体を奪い返せなかったようだった。女の白鳩は白鳩の麻薬王に殺され、樂の白鳩は見せしめとしてペストマスクの白鳩に罰を受ける寸前だ。
「ペストマスクの白鳩様、幸福の制裁を」
 白鳩の麻薬王が、部屋中に響き渡る程の大声で言った。
「……」
 ペストマスクの白鳩は、無言で凸凹のバールを振り上げた。彼の足元では、樂の白鳩が諦めたように身を縮こませていた。
「……ごめんな」
 勝手に言葉が漏れていた。
 樂の白鳩と行動を共にしていた女の白鳩は、胔に所属する殺し屋だった。「毒歯の花子」という通り名の、鮫歯に毒を塗った女。何も喋らない子だったけど、彼女の笑顔は胔にいるどの殺し屋よりもキュートだった。殺し屋の待合室で飲み物や食べ物を作ったり、武器を手入れする俺の癒しだった。
 きっと、毒歯の花子にも、会いたい人、戻りたい過去があったのだろう。だから、「毒歯の白鳩」になった。彼女のやっていたことは汚い。けれど、柄にもなく、毒歯の花子の死に対する罪悪感と、白鳩の麻薬王に対する怒りがあった。白鳩になろうと決めた時、彼女の死も心にあった。
 どごっ、どぎっ、どがっ、どごっ、どごっ……。
 ペストマスクの白鳩が樂の白鳩にバールを振り下ろす光景を、白鳩の麻薬王と白鳩達はありがたそうに眺めている。
 鈴蘭の麻薬による、教団の拡大化。過去に囚われた湿気の街の住人を利用した、最悪で効果的な方法。この街では、他人の人生を使って利益を得るのは普通だ。今まで俺は、そんな街の理不尽な構図を面白がっていた。だけど、今回ばかりはどうしても楽しめなかった。
 ペストマスクの白鳩による制裁は終了した。
 彼の足元で、白装束を真っ赤に染めた樂の白鳩がうつ伏せで倒れている。背中が動いているので、まだ息はあるらしい。
「ペストマスクの白鳩様の裁きに、幸福の拍手を」
 白鳩の麻薬王が言うと、白鳩達は言われた通りにした。まるで表彰式で賞状を貰った人へ向けてするかのように、幸せと称賛に満ちた拍手だった。
 白鳩の麻薬王が右拳を掲げると、拍手は止んだ。
「これ以上、ペストマスクの白鳩達にご迷惑をおかけしないよう、また、白鳩の聖域に泥を塗らないよう、より一層、幸福を齎す白鳩であることの自覚を強めて自らの使命を果たしてくださいね」
 白鳩の麻薬王は、ぐったりと横たわる樂の白鳩に近付いた。そして、玉葱のように結ばれた後頭部の髪を掴むと、無理矢理持ち上げた。顎が上を向き、呻き声を漏らす樂の白鳩の左耳に、白鳩の麻薬王が口を近付けた。
「てめぇ、いつまで寝てんだよ。戻れ、塵」
 色気のある笑みを浮かべて、白鳩の麻薬王は囁くように言った。切れ長の目から覗く瞳は、ブラックホールみたいに真っ黒だった。
「……ごめん……なさい……」
 血塗れの樂の白鳩は震えながら立ち上がると、覚束ない足取りで舞台上から降りた。
 白鳩の麻薬王は、優しく微笑んだ。
「では、本日の『肥料』を見送る儀を行いましょうね」
 彼の言葉を合図に、俺達の後ろにある白色の鉄製のドアが開いた。
 2人の男女の白鳩達を先頭に、綺麗に2列を作った白鳩のマスクを被った白装束の少女達が部屋に入ってきた。1列5人。計10人の少女達。
「肥料を連れて参りました」
 先頭に立つ2人の白鳩達が、声を揃えて言った。
「円」
 白鳩の麻薬王がそう言うと、白鳩達は部屋の中心にいる白鳩のマスクの少女達を囲むようにして、円を作った。白鳩のマスクの少女達は、外側を向くようにして円になった。
「前」
 白鳩の麻薬王の言葉に合わせ、10人の白鳩達が白鳩のマスクの少女達の前にそれぞれ立った。
「歌」
 指示に従い、白鳩のマスクの少女に向かい合わせになるようにして立つ10人の白鳩達が、声を揃えて、歌い出した。

「他者の幸福 我の幸福
 白鳩運ぶ 幸せの種
 血液で踊り 花咲かす
 美しきは 他者の幸福
 我の幸福 白鳩の元へ」

 そんな短い詩を、白鳩達は繰り返し歌う。
 白鳩のマスクの少女達は、ここで肥料と呼ばれている。肥料が白鳩の聖域を存続させる鍵となる。
 これから、肥料達はロリコン達の元へ連れていかれる。白鳩の聖域信者ではない、外部の人間のところへ。「1ヶ月間、1日1回以上肥料にキスをする」という条件で、ロリコン達は肥料を家へ持ち帰ることが出来る。何故、その期間だけなのか。1ヶ月後、肥料は絶命するからだ。肥料の身体に投与された、「鈴蘭の種」という種によって。鈴蘭の種は、他者の接吻と肥料の身体を栄養にする。栄養を奪われた肥料は衰弱するが、代わりに身体から花を咲かす。1ヶ月後には死んだ肥料の身体を覆うようにして、大量の花が生えている。そのタイミングで、白鳩達は肥料達の遺体を回収する。死体から採取した花を4日間乾燥させると、鈴蘭の麻薬が完成するのだ。
 あの夜、樂の白鳩と毒歯の白鳩がリヤカーに乗せていたのは、ロリコン達から回収した少女の遺体だった。
 歌を10回繰り返したところで、白鳩の麻薬王が口を開いた。
「種」
 10人の白鳩達は、白装束の右ポケットから注射器を取り出した。注射器の中には、白色の液体が入っている。
 この注射器に入っている液体が、鈴蘭の種だ。他者の接吻と肥料の身体を栄養に、白色の花を咲かす。
 10人の白鳩達は肥料の右手首を左手で掴むと、注射針を彼女達の前腕に刺した。白鳩達が注射器の押し子を親指で押すと、すしゅうぅぅぅ、と白色の液体が肥料の身体の中へ吸い込まれるように消えた。
 肥料達は終始無言だった。啜り泣くことも、怒ることも、痛がる素振りも見せなかった。彼女達は白鳩達に誘拐・拉致されて、ここにいる。自ら進んで来たわけではないのに、一切抵抗しない。もしかしたら、洗脳もされているのかもしれない。それか、元から商品として、人身売買されていたのかも。
「お疲れ様ですね」
 投与が完了するのを確認すると、白鳩の麻薬王は優しく微笑んだ。
「肥料を見送る儀は、終了ですね。幸福を咲かす農場へ連れていってくださいね」
 先程、肥料を連れてきた2人の男女の白鳩達がドアの前に立った。男の白鳩がドアを開け、女の白鳩が部屋から出た。その後に続くようにして、再び2列になった肥料がドアの向こう側へ姿を消した。男の白鳩も部屋から出ると、ドアが閉じた。
 これから肥料達は、アジトに来ているロリコン達に自宅へ連れていかれる。命と引き換えに、他人を喜ばすだけの、大人の玩具を咲かせる為に。
「では、本日の『白鳩の集会』は終わりにしますね。皆さん、各自の使命を果たしてくださいね。ペストマスクの白鳩様に、白鳩の聖域に、恥じることのない行動を、期待しておりますからね」
 白鳩の麻薬王が、樂の白鳩を一瞥した。血塗れの樂の白鳩は分かり易いぐらい、びくっと肩を震わせた。
「散」
 白鳩の麻薬王は、ペストマスクの白鳩と共に舞台の傍に設置された階段から降りた。白鳩達は彼等が通る道を開け、拍手を始めた。ドアの近くにいた白鳩がドアを開ける。白鳩の麻薬王とペストマスクの白鳩は、そのまま無言で部屋を後にした。
 拍手を止め、白鳩達はそれぞれの仕事の準備を始めた。鈴蘭の麻薬を配る者、鈴蘭の麻薬を販売する者、花を咲かせた肥料を回収する者、鈴蘭の麻薬を製造する者、金を管理する者……。それぞれの使命を果たす為に。
 俺は毒歯の白鳩の跡を継いで、樂の白鳩と共に遺体となった肥料を回収する係になった。
 血塗れの樂の白鳩が、ふらふらとこちらに近付いてくる。
 白鳩の聖域。「憂鬱に押し潰された街の住人を幸せにする」という目標を掲げた教団。大切な人に再び出会える夢を見させてくれる。過去の幸せを求めて、実現したい妄想を求めて、現実世界を蔑ろにさせて。
 分かってる。現実世界なんて糞だ。この街の住人なら、尚更そう思っているだろう。生きているのは辛いのに、死ぬ勇気も気力もない。だけど、俺は、糞みたいな憂鬱に支配されたこの街を気に入っていた。へらへらと気持ち悪い笑みを浮かべて、住人が街中をスキップしている光景なんて見たくない。彼等が怪物みたいな負の感情に押し潰されて俯き歩く姿を見たい。あぁ、まだ俺の方がましだなと思いたい。彼等が悪人に利用されている姿を見たい。
 だけど、俺の人生に踏み込まれるのは許せない。バイト先の可愛い子、たまに行く煙草屋の店主、街の安定を維持する変人……。
 今更善人ズラするなんて都合がいいなと思いつつ、利用されてきた人々はこんな気持ちだったんだと初めて彼等に同情をした。周りで見て楽しんでいた俺も、彼等から見たら利用する側だっただろう。きっと、これからもその生活は変わらない。でも、気持ちが分かった分、ちょっとばかりは、街の住人の役に立ちたいと思った。今まで嘲笑ってきた謝罪と罪滅ぼし。それに、周りの人間が被害を受けたから許せないという気持ちも、毒歯の花子の死に対する罪悪感も大いにある。自己中心的な偽善者なのは、言われなくても分かっている。
 俺は走り出していた。
 計画もないし、頭も回っていない。ただひたすら、肥大化してぐちゃぐちゃになった感情が身体を突き動かしていた。
 ドアを開ける。
 3メートルほど先にある階段を、白鳩の麻薬王とペストマスクの白鳩が上がっている。最後の段に、白鳩の麻薬王が右足を乗せた時、俺は叫んでいた。
「白鳩の麻薬王様!」
 白鳩の麻薬王とペストマスクの白鳩が、ゆっくりと振り返る。まるで下民を見る暴君のように、彼等は俺を見下ろした。
「どうしましたかね。グレーアッシュの白鳩さん」
「俺達の」
 白鳩の麻薬王の冷たい声に被せるようにして出た俺の言葉は、それはそれは情けないものだった。
「俺達の負けです。もう、止めにしてくれませんか?」
 それでも、心からの叫びだった。


【登場した湿気の街の住人】

・グレーアッシュの白鳩(グレーアッシュの悪魔)
・「白鳩の聖域」信者
・白鳩の麻薬王
・ペストマスクの白鳩
・樂の白鳩
・肥料

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?