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ペスト乙女。

 全身が痛い。
 脳天から足の裏まで、余すところなく激痛が走っていた。
 上手く身体を動かせない。痛いからというのもあるけれど、何だか狭いところにいるような。身体の周りを押さえ付けられている感じだった。
 朧気だった意識が段々とはっきりしてくる。それに伴って視界もクリアになっていく。
 そして、違和感に気が付く。
 どうやら俺は部屋にいるらしい。薄暗い部屋。仰向けで倒れている。気になるのは、天井ははっきり見えるのに、それ以外がぼやけていることだ。 
 天井に張り付いた黒い斑点を眺め、身体を痛みに慣らしていく。
 状況を整理する。俺は見知らぬ部屋に仰向けに寝ている。ここに来た記憶はない。思い出そうとすると頭が痛くなる。着ているアウターはいつも通り、黒色のハイネックジャージ。スマホとアイコスの有無は不明。確認出来ない。首以外の部位を上手く動かせないから。
 首だけで辺りを見回す。
 どうやら俺は、大きな水槽の中にいるようだった。ちょうど、自分の身長、横幅と同じぐらい。だから窮屈に感じていたんだ。天井以外がぼやけている理由もそう。蓋のない、小汚い水槽に入れられているから。水が入っていないだけましだ。呼吸が出来る。自分のポジティブさに笑ってしまった。
 突然、辺りが紫色の光に包まれた。
 あまりの眩さに目を瞑る。
 俺はこれから何をされるんだ? どうなってしまうんだ?
 恐る恐る目を開けた。
「な……」
 部屋の照明が点いたわけではなかった。水槽自体が光を放っていた。前後左右、背面まで。硝子で覆われているところ全てが紫色に発光していた。
「うわっ」
 頭上を見て、悲鳴を上げた。
 紫色のペストマスクが俺の顔を見下ろしていた。正確に言えば、紫色のペストマスクを被った少女が。
 身体が自由に動かせるなら、一目散に逃げ出している。いかんせん、痛過ぎて無理だ。
「ははははははは」
 ペストマスクの少女が笑い出した。「は」を1文字1文字しっかり発音した不気味な笑い方。どんなに大根役者でも、もっと上手く出来る。どっちかって言うと、演出家に「この笑い方をして」と演技指導された感じ。
 急に笑い止む、ペストマスクの少女。
 沈黙が、怖かった。
「……『女売りのケンジ』」
 この街で使っている通り名を呼ばれ、思わず固まってしまった。
 ペストマスクの少女は幼い声で静かに続けた。
「街の女を惚れさせて自分の物にした挙句、『人身ブローカー』を通じて金を稼ぐ。……お主は乾いた悪だす」
 そう言うと、再び「ははははは」とあの気持ちの悪い笑い声を上げた。
 何でこいつは俺のことを知っているんだ。通り名から、金の稼ぎ方まで。
 頭上で笑い声を上げる彼女を見上げていたら、ふとある都市伝説を思い出した。年中湿度の高いこの街で恐れられる、血生臭い都市伝説。
「『湿気の街』で悪いことをしている人間をバールで殺す、紫色のペストマスクを被った制裁者」。
 最近聞かなくなったと思っていたが、まさか本当にいたとは。ってか、俺が狙われるなんて。この街には、俺より悪い人間なんていっぱい……。
 気が付くと、笑い声は止んでいた。
 ペストマスクの少女は、無言で俺を見下ろしていた。
「乾いた悪には、乙女の制裁を」
 ペストマスクの少女が両手で持った紫色のバールを振り上げた。
 思わず目を瞑る。同時に記憶が蘇った。ここに来る前女子高生を捕まえようとしていたこと、突然金棒を持った女に襲われたこと、意識を失うまでぼこぼこに殴られたこと。……そうだ。そうして、目覚めたらここにいたんだ。
 水槽に入れられて、ペストマスクの少女に見下ろされ、バールを振り上げられた。また痛め付けられるのか?
 が、なかなか次のアクションが起きない。
 沈黙に耐え切れなくなり、目を開けた。
「ひ」
 水槽を囲むようにして、何人もの女が立っていた。全員、鼻と口を紫色の布で覆い、紫色のネグリジェを着ていた。こちらを見下ろしている。
 ペストマスクの少女はバールを右手で持ち、腕をぴんと伸ばして前方へ向けた。
「祝祭」
 突然、紫色のネグリジェの女達が笑い出した。あのわざとらしい不気味な笑い方で。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
 気持ちの悪い「は」が部屋中に響く。
 ペストマスクの少女が俺にバールの先を向けた。
「献花」
 ネグリジェの女達は笑うのを止め、それぞれが手に持った紫色の花を俺のいる水槽へ入れた。
 まるで、これから火葬されるみたいだ。狭い水槽で動けない俺の周りに、紫色の花が添えられた。
 花の匂いが辺りに漂っている。嗅いでいると、何だか気分が安らぐ。恐怖と困惑で乱れていた心を、ニットを着た巨乳の女に抱き締められる感覚。蕩けるような眠気に襲われた。
 最後に俺の両目が捉えたのは、水槽に透明な蓋が近付いてくる光景。

*

 宇宙を漂う塵のよう。
 確かに意識はそこにあるのに、何かをしようという意思がなかった。
 ふわふわとする脳内。何も考えられない。どれぐらいの間、こうしているのだろう。
 チャイナ服を着た少女がこちらを覗いていた。水槽の中で花塗れになった俺を、物珍しそうに眺めている。
「死んでるみたいアル」
 満足したのか、チャイナ服の少女はどこかへ行った。
 足音が近付いてくる。
 次に俺を見下ろしたのは、見覚えのある女だった。
「へっ、いい気味だわ」
 真っ赤なワンピースを着た女は鼻で笑うと、金棒を右肩に乗せた。
「ほら、見てみろよ」
 後ろにいる誰かに話しかけている。
「……つまらない」
 赤ワンピースの女の後ろからぬっと現れた美しい女子高生は、俺を見るなり冷たい言葉を放った。
「次の方が面白そうです」
 女子高生の指の爪は、全てが紫色だった。
 朦朧とする意識の中、分かったことがある。
 俺は展示されている。水槽に入れられたまま。そして、この部屋以外にも展示物が置かれている。何がどう置かれているのかは、さっぱり分からないけれど。
 紫爪の女子高生が先に姿を消した。
「乙女って怖いだろ」
 赤ワンピースの女が、勝ち誇ったように右側の口角を吊り上げた。
「乙女に喧嘩を売るとこうなるんだ。覚えとけ」
 そう言うと、はんっと大きく鼻で息を吐き出した。
「まぁ、覚えたところでもう意味ないがな」
 乙女を嵌めて乙女を売ったら、乙女に殴られ乙女に展示された。
「じゃあな、『ペスト乙女』のコレクション」
 あぁ、やっと分かったよ。
 乙女って怖ぇ。



【登場した湿気の街の住人】

・女売りのケンジ
・ペスト乙女
・紫ネグリジェの女達
・肉饅乙女
・金棒乙女
・毒爪女子高生

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