明日のことを考える。
どうも、あたしです。
ここのところnoteに力を入れております。
といっても“記事”を書くのは2回目なんですけどね。
もともと文章を書くのは大好きなんです。めんどくさがりなだけで。
“ブログ”ではなく“note”。使い方の幅も広がりそうです。
今後は日記やエッセイ、歌詞など心の赴くままに更新していけたらと思います。
今私は人生においてとても大切な日々を過ごしています。
詳細は前回の記事をご覧ください。
1月18日(火)
父が入院している病院から「本人さんが家に帰りたいと仰っているので迎えにきて頂けますか?」と電話がかかってきて、すぐに迎えに行った。
たった4日ほどしか入院してないのに、久しぶりに見る父は以前より痩せ細っていて声を出すのもしんどそうだった。
せん妄の症状なのか、会話をしても支離滅裂でこのままどんどん酷くなっていくのかな…と想像してひとり不安になってしまった。
家に着くとすぐにベッドに横になった。寒かったので暖房をつけてあげた。
その日から私は父の隣で眠ることにした。
何年ぶりだろう。小学校低学年の頃以来かな?
しんどそうにしていて、まともに会話もできない状態の父だけど、隣で眠る私の顔を見ると笑ってくれた。そして私にやさしく布団をかけてくれた。どんなに記憶が曖昧になっても親としての自覚は消えないんだなと感心した。
それと同時に私は本当に愛されていたということを改めて知った。
1月19日(水)
家で一夜を過ごした次の日、朝起きるとすこし元気そうな顔をしていた。
やはり病床で過ごすよりも家族のそばで過ごす方が精神衛生的にもいいのかもしれない。
突然「レモンが食べたい…」と言うから何のことかと思えば“サーモン”。
お昼はお寿司を食べに連れて行ってあげた。
最近なにも口にしてくれなかったから、少しでも食事をとってくれて安心した。
そのあとはスーパーで買い物をしたり、マクドの新作ドリンクをドライブスルーで買ったりしたのち帰宅。
父が「今日は一日が長いな。」と呟いた。
最近は入院をしたりベッドで寝たきりだったり代わり映えのない日が続いていたからご飯を食べに行ったりスーパーで買い物をしたり情報量が多かったのかな。
今日だけじゃなくてこれからもずっと長い一日を過ごしてほしい。
ちなみにマクドの新作ドリンク(ホットチョコレート)をこれから飲む人は必ず最初によく混ぜてから飲んでね。笑
1月20日(木)
粉雪が降っていたこの日は、長男(義理の兄)の家に父を連れて行った。
24歳にしてはじめて長男と“会話”をした。
私の家庭は本にして出版すればベストセラーにでもなるんじゃないかというくらい複雑で事件も多かった。たくさん酷い目にもあったけど、お金には困らない環境で育った義理の兄・長男。お金はなかったけど、それを感じさせないくらい愛されて育った私。どっちがよかったのかな。どっちもそれぞれいい事も悪い事もあったんだろうな。…それについてはまた別の機会に話します。というか自分で書く自信がないので誰かインタビューしてください。笑
父と長男ももうずっと会うことも連絡を取ることもなかった。私はそれがずっと心に引っかかっていた。
母がしたことは本当に酷いし許せないことだけど、父はちゃんと長男のことを大事に思っていたし、悪かったと言っていたことを伝えたかった。
その話をしている時、長男の目が赤くなっていたのは気のせいかな。
そうやって父と長男、そして私の人生の清算を生きているうちにしてあげることもまた親孝行なのかなと思った。
色々あったけど長男は父を恨んでなんかいなくて、むしろ「この人には敵わない、本当にすごい」と尊敬してくれていたことを聞けただけでも本当に本当によかった。
窓の外を見てぼーっとしていたけど、お父さんもちゃんと聞いてくれていたよね。
1月21日(金)
朝から少ししんどそうにしていたけど、長男から連絡を受けた(父の)妹さんが様子を見にきてくれて少し元気になってくれた。
父とはずっと連絡を取っていなかったらしいのだけれど、数日前何故か携帯の着信に父の名前が表示されてもう一度確認すると消えているという不思議な現象が起きた矢先に長男から連絡を受けてすぐに駆けつけてくれたとのこと。
その気持ちが嬉しかった。みんな歳をとると自分の体調のことで精一杯だものね。
お昼はいつも車で前を通るたびにいつか食べに行こうと言っていたラーメン屋さんに行った。いつか、なんて自分で機会を作らないと一生こないからね。
ラーメンと餃子を注文した。
餃子を私のお皿に置いてくれる姿を見て、思えば父はいつも自分は梅干しひとつあればそれでいいけど、私にだけはおいしいものを食べさせてやりたいと言っていた。し、そうしてくれていた。毎日3食きっちり作ってくれていたし、中学生の頃は毎朝早起きをしてお弁当を作ってくれた。白ごはんじゃ淋しいからと間に海苔とかつお節を挟んでくれていたな。
…そんな感覚が今でも残っているのかな。
お父さんも食べなよ、と言って父の皿にも置いてあげた。
ラーメンも餃子もほとんど食べなかったけど、少しでも口にしてくれてよかった。
“いつか”がちゃんときてよかった。
この日の夜は、北堀江club vijonにて
『ドキッ!ハニトラちゃんのチン年会!2022〜お年ダマー争奪戦SP〜』が開催された。
私、枕芸者しとはソロ名義・ハニートラップ としてのライブ活動、Bar SuMiKaの出勤をひとまず2月いっぱいまで全てお休みさせて頂いているので、この日は相方のさおりんが一人で頑張ってくれた。
私は配信で応援していました。いつか同じメンバーでリベンジしたいな。
現場や配信でご覧下さったお客様、全ての関係者様、そして一人で頑張ってくれたさおりん、本当にありがとうございました!
もう少しだけ迷惑をかけます。ごめんね。
1月22日(土)
朝、そんなさおりんからお届け物がとどいた。
なにかと思えば冷凍の牡蠣の剥き身!
たしかに、お惣菜やお菓子ではなく“食材”だとこちらで好きに調理できるものね。
選択肢を作ってくれる想いやりに感謝です。
この日は父と一緒にアルバムを見た。幼い頃の私はずっと父の腕の中にいた。
遊園地やヒーローショーなどいろんなところに連れて行ってもらっていたんだな。
父が「これは誰?」と聞いてきたので「アンパンマンだよ。」と返した。笑
昼過ぎ、幼なじみのまなちゃん(プライベートの友達の名前は基本出さないのだけれど、まなちゃんは一緒にライブ配信をしたり、時々イベントのお手伝いもしてくれていて、知ってくれてる方もいるかな?と思い名前を出しています。)がお見舞いの果物やゼリー、ヨーグルトの盛り合わせを持って家に来てくれた。
まなちゃんともさっきのアルバムを見ながら思い出話に花を咲かせた。「おっちゃんはほんまに子どもが好きやったもんな。」まなちゃんのことも昔から大事にしてくれていて、一緒にいろんなところへ連れて行ってくれた。「まなちゃんきてくれたで。」と声をかけると首を縦に振ったのでちゃんと分かっていたんだと思う。
1月23日(日)
この日は朝から突然「いつ死ぬんやろ…」と呟いた。
そんな不安や恐怖をどうしたら少しでも和らげてやれるんだろう。
そばにいるしかできないことがとても歯がゆい。
「大丈夫やで。」と声をかけて背中をさすってあげた。
毎日寝る前に「明日はなにする?」と聞いている。
父からリクエストがあったことはまだないのだけど、私が一方的に「長男の家に行こうか。」「ラーメンを食べに行こうか。」と話しかけている。
目をあけてそこに呼吸をしている父の姿を見るだけで「今日も生きてくれていた。」とホッとするんです。
こんな日があとどれくらい続くんだろう。
父の笑顔を見ると私まで嬉しくなります。
今は一生分の恩返しをしている最中。
大きなことはできないけれど平凡な日常を、幸せを、噛み締めながら日々過ごしていきたいと思います。
そして1月24日(月)、今日。
あんまり息苦しそうにするから熱を測ったら38度台ですこし不安になり、
「救急車呼ぶか?」と声をかけたら首を縦に振ったのでそうしました。それが朝5時ごろ。
先日まで入院していた病院に送ってもらい、私はあとから車で向かいました。
数値などは正常らしいのだけど、体にばい菌が入ったらしくそのせいで熱が出たんだって。
精神的には家にいた方が楽そうだけど、やっぱり私一人じゃ完璧に身の回りのことをしてやれないし、何かあった時が不安だな。
また少しの間入院するみたい。なんともありませんように。
次帰ってきた時はなにをしようかな。
明日のことを考える。
明日のことを考えることを私は諦めたくないです。
ずっとね。
枕芸者しと
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