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休学してまで「いろんな人の生き方を知りたい」と思った理由。

自分のやりたいことをやるんだ!と、

周りが就活を進めていく大学3年生の秋に休学した私。

就活よりもやりたいことやる!と書いた記事はこちら↓↓↓


ずっと海外に長期で行ってみたかったので、

それを叶えるために

4ヶ月国内でリゾートバイトをしてお金を貯め、

ワーキングホリデービザを使ってニュージーランドへ旅に出た。

リゾートバイト先での仲間。

ニュージーランドの旅先で出会う人。

色んなバックグラウンドを持つ人に出会い、

気づいた。

私が本当にしたかったことは、

海外旅行でも海外移住でもない。

今のうちに、いろんな人生を見ておきたい。

いろんな人生の在り方を知りたい。

人と繋がりたい。

これが、私の休学したいちばんの根本的な理由だったのたと。

なんで休学してまで「いろんな人の人生を見ておきたい」のかを考えると、

・就活でモヤモヤしたこと
・自分の育った家庭環境 

の2つが大きく関わっていることに気づいた。


1・就活でモヤモヤしたこと

私は高校も大学も、そこそこ勉強ができる人が集まる学校に通っていた。

そこでは「偏差値の高い大学に入ること」や「大企業に入ること」が大きなゴールとして掲げられていたのだが、

周りもそういう風潮が大きかったから、

特に深く考えることもなく、そういうものかと思って、自分がどうしたいのか分からないまま、とりあえずその風潮に合わせて頑張ってきた。

だけど大学に入ってから

バイト先、旅、大学での体験学習などで

「いい大学、いい企業」というレールの上ではなく、
自分のやりたいことを軸に人生を生きている
人に出会って、

その何にも縛られていない自由さと楽しそうな姿に衝撃を受けた。

「いい大学、いい企業」に所属して、「頑張る」ことが当たり前と思っていたけど

それは今まで、当たり前のように学校に通える特権を持つ人たちの世界の中で、

そういう風に刷り込まれながら生きてきただけだったのだ。

人生って、

偏差値を上げるために、とか

大企業の内定を勝ち取るために、とか、

そうやって何となく与えられたものをこなして、

もしくは楽しくもないけど頑張って、

そんなもんか。で終わらせるような、

そんなつまらないものじゃないんだ。

もっと、自分のやりたいことやなりたい自分をゴールに掲げて生きていいんだ!

と気づいて、

熱い気持ちを持って生きたい!と思うようになった。

、、のも束の間、

大学3年生になって周りから就活という声が聞こえてくると、

「とりあえず自分もES講座受けとこうかな、」

とか思って、

やりたい気持ちも起きていないのに、頭で考えた損得に従ってコソコソ動き始める私。

自分のしたいことをするんだ!とか

あんな熱い気持ちを持っていたはずなのに、

また周囲の声に流されて、

敷かれたレールの上でこなしていこうとする自分がいたのだ!!

周りの声ですぐに揺らいでしまう、

その自分の軸の弱さを、

心からダサいなと思った。

「自分は何を大事にしていて、何を心から人に届けたいのか。」

が、まだ全然分かっていないのだと気づいた。

だから、自分がしたい!と思うことにもっともっと飛び込んで、

自分にとっての大事なことや好きなことに、もっと手ごたえのようなものを感じたい。

それに、今までの人間関係は、学校なりバイトなり、

ある程度お膳立てされた世界の中で出会った人たちとの繋がりだった。

自分の生きてきた世界観以外のバックグラウンドを持つ人や、

もっといろいろな世代の人と出会って、

その人たちがどう生きているのか知って、

自分の視野を広げていきたい。そう思った。

まとめると、

・自分の生き方の軸をはっきりとさせるために、まずはやりたいことに挑戦する。

・そのためにはもっといろいろな人の生き方を知って視野を広げていくことが必要だ。

この2つの理由から、

やりたいこととして、海外長期滞在

自分に必要な経験として、
留学よりも多くのバックグラウンドや幅広い年代の人と交流できるワーキングホリデー

をするに至ったのだ。


2. 家庭環境


幼い頃からの家庭環境の影響を受けて、

私はずっと自分の人生を他人軸で生きてしまっていた。

私が幼い頃から高校生になるくらいまでの話だが、

私の母は心の病気を抱えていて、

気持ちの浮き沈みがとても激しくなってしまう人だった。

普段はとても優しくて、私のことも愛してくれているのは分かっていた。

でも、少し物事が思い通りに行かなくなったり、何かの発言が癇に障ったりすると、

一瞬で気が狂ったように暴言を吐いたり、物を投げつけたり、叫んだりしてしまうのだ。

主に父への当たりが強かったけど、

矛先が私や姉に向くこともあった。

誰も悪いことをしている訳じゃないし、母がいちばん辛い思いをしているのは分かっている。

旅行に連れて行ってくれたこともあるし、
いろいろ経験をさせてくれたりもしたし、
家族には本当に感謝はしている。

だけど私の中では、

家族で過ごしてあったかくて楽しい記憶みたいなのが、

本当に薄い。

毎日、母の気が狂わないかとても怖くて、

母の機嫌を伺いながら、

幼いながらもせめて自分は元気に振る舞っていなきゃと思って、

自分の本音にも欲求にも蓋をして生きてきた。

家でも、学校でも、

私はまわりに「いい子」と思われようとすることでどうにか自分を保ち続けた。

私の友達がこれを読んだらびっくりするくらいには、隠し通せている自信があるくらい。笑

母は興奮状態が落ち着くといつも謝ってくれて、

私は全然大丈夫じゃなかったけど、大丈夫だよと言い続けて、

こんなのなんてことないんだと言い聞かせ続けて、

心の奥底に本音をしまい続けた。

さすがに辛かったから、大学は実家から遠く離れたところに行って、

家族と物理的に距離ができたのは気が楽だった。

遠くに行けば、環境も変わって自分も変わるんだと思っていた。

だけど、家族が近くにいなくなっても

高校生活までと同じように、

人からどう思われるかばっかり気にして、

自分の本音を隠して人に上辺だけ合わせて、

そんな風に生きているから人から必要とされても感謝されてもなんだか満たされず、

自分の中身が空っぽで、

何をやっても、誰といても、虚しくて仕方なかった。

でも大学1年生の時、ある大学の先生との出会いをきっかけに

そうやって他人軸になっている自分に気付かされ、そこから自分の軸を探すようになった。

とはいっても、

自分の欲求を必死に抑えて20年近く生きてきたから、

なかなか他人軸の思考パターンからは抜け出せなかった。

自分で思っている以上に、

自分が家庭内で安心して過ごせなかったことに、私の心は執着している気がした。

自分の家族以外の大人と過ごして、擬似的に家庭内での安心感を得ることが必要かもしれない。それが私が欲していることかもしれない。

こう書くとなんとも欲しがりで自分勝手な言い訳に見えるけど、

それくらい、人と心から繋がってみたかった。

そして、もっといろんな生き方や考え方に触れて、自分の軸をはっきりさせていきたい。そう思った。

だから、休学中にいろいろな人と出会うことを大切にしてきたのだ。


以上が、私の「休学してまで、いろんな人の生き方を見ておきたい」理由だ。

だけど最初から、そこまで深く目的を定めていたのではない。

自分の興味の湧くこと、したいことに従って行動していくにつれて、

そうか、私は結局ここにモヤモヤしていたから今こうしているんだ。

という、腑に落ちるような感覚があったのだ。

家庭環境のところでも書いたように、

今までずっと本音と欲求を封じ込めていた自分が、

自分の声に耳を傾けて、それに従って行動して

そこからこんな気づきを得られていることが 

純粋に嬉しくて、

今読んでいるあなたに聞いて欲しかったから、今回はこんなことを書きました。

ずっとほとんどの人に隠してきた自分の家庭環境のことも、

これからは特別な痛みとしてではなく、

自分の人生の一部として、

人と共有していきたいと思うし、

noteにも書いていきたいと思う。

読んでくれてありがとうございました。


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