緑色の世界
緑の手、という言葉があるらしい。
植物を育てるのが上手な人のことをそう呼ぶのだという。
人によってはまるで魔法のように視えるその世界の持ち主を、私は1人知っている。
その人は、いつもなんだかんだとぶつくさ言いながら几帳面に花鋏を持って世話をしていた。
腕が使い物にならなくなると言いながら、家の半ばまで響く剪定鋏のばちんという鳴き声とよく一緒にいた。
丸い剣山に咲いた花々や木々を活けて玄関先に設置したり。
わっさりと咲いた大輪の紫陽花や百合を向日葵を、朝早いうちに庭に出て間引いたものを新聞紙にくるんで学校にも持っていった。
一時期畑のような区画も設けていて、春先に苺、夏にはきゅうりやトマトに茄子、大きくはならなかったがスイカも横たわっていた憶えがある。
玄関横には鉄製の黒く簡素な柵扉が設置してあった。
その扉を開けて中へ進むと咲き乱れる菊、鈴蘭、椿に出迎えられ、小さな曲がり角に高さを変えて作られていた築庭では薔薇や南天、そして立派な百日紅と紅葉が腕を広げて静かに佇んでいた。
部屋の窓に網を垂らしてフウセンカズラや朝顔もよく元気に這っていた。
笹にプランターのオジギソウにマリーゴールドにサルビアと数種、樫の木と柿の木、葡萄棚に桃の木に、木瓜の花に菖蒲、水仙、山茶花、松の枝にアロエにフリージアと多種多様の花々を、木々を、それらの名前を私はこの庭で覚えていった。
1年中どこかで必ず何かが咲いている場所だったのは密かに誇っていた。
正面玄関にも花壇があった。
チューリップやヒヤシンス、クロッカス、アネモネやパンジーあたりはよく咲いていた。
種や球根を植えるのを手伝ったような記憶が薄らぼんやりと眠っている。
懐かしい風景。
いつも緑に寄り添い、緑とともに在る世界。
あの庭はもうない。
居を移さざるを得なくなり、新たに入ったご一家はあまり庭に手を入れていないようだった。
永遠に揺蕩う記憶の中で、今も心の奥底に咲き誇り生い茂っている。
次の場所でもその人は緑を彩った。
そこは長く人から遠ざかっていたらしく、それはもう荒れ果てていて手入れが大変だと呻いていた。
あの広大な庭とは比べ物にならない箱庭のような狭さだった。
手入れを放棄すると虫が上がってくるのだと、大の虫嫌いなその人はぶつくさとよく言った。
そう言いながらも肥料を撒き水をやり黒い鉄製の花鋏を手にとった。
その人の手によってみるみるうちに蘇っていった緑の世界は、艶々と眩しい黄緑と鮮やかな緑に溢れていた。
株分けで連れてきたアロエも元々植えられていた立派な金木犀の黒々とした緑に受け止められ、しかしそれでも寂しいのだとその人は言った。
緑はあるが花がない、色が少ないのだと。
私たちはそんなその人のささやかな願いを叶えようと密かに行動した。
なけなしの駄賃を出し合ってまず記念日に紫陽花を贈り、誕生日には紅葉の木を贈った。
どちらもあの庭の中で、その人の記憶の多くを占めていた緑だった。
土の質によってマゼンタや薄青色に染まる紫陽花と、真っ赤に燃える紅葉。
きっとこれなら寂しくないねと思ったものだった。
その人は大層喜んでくれた。
どちらも思い入れのある花木を前に、手入れが大変になるだのちゃんと根付けばいいだのと口ではぶつくさと言いながら、浮かべる満面の笑みが全てを物語っていた。
幸いなことにそんな懸念も杞憂となり、紫陽花は強かに育ち庭の一角を占めるほどによく殖えた。
正面に植えた紅葉は幹がほっそりとしたまま肥らなかったものの、しっかりと腕を広げてくれるようになった。
しかしそれらを抑えて最もよく育ちよく咲きよく殖えたのは、私が小学校の卒業式で配られた鉢植えのカランコエだった。
ちんまりとした可愛らしい見た目に反して植木鉢から庭に地植えした途端、そう月日もかけずにわっさりと殖えたあまりのしぶとさに腹を抱えて笑いながら、これは強いわ手入れも要らん、とよく話題に上ったものだった。
更にはその数年後、私が部活の関係で出演したイベントで配られていたのでなんの気なしに1つもらって帰った椿の苗木もそれはそれは強かに育ち何度も鉢を変え毎年いくつも花をつけたので、私たちの間では
『花屋で買ったものより紫水がもらってきた花の方が枯れずに育つ』
というジンクスが出来上がってしまい、以降、花配ってたらもらってきてと言われるようになった。
こうして金木犀以外緑1色だった箱庭に、青紫と赤と紅、そして淡いピンクが加わった。
その後も何かと花には縁があった。
鉢植えの小さな薄黄の薔薇が仲間に入り、遂には知人からの株分けで重みのある鉢に立派な月下美人が降臨した。
朱がかった大きな紅い蕾が膨らんでいくのをそわそわと見守りながら、いざ花が開き始める夜がくると、みな揃ってカメラを真剣に構える一大イベントとなった。
真黒い夜の帳に咲き乱れる大輪の純白は見事なものだった。
色とりどりになったあの箱庭も、今は亡き夢の花園である。
深く微睡む睡りの中で、ふっと湧いては沈んでいく。
その次の場所に、庭はなかった。
株分けで連れてきたカランコエとアロエと、贈られた観葉植物の僅かな鉢植えが、私の中に根を下ろした最後の緑の景色だった。
その人は段々と疲弊していった。
緑の手を持つその人は、私の母である。
人間関係についてはてんでだめであり、もう2度と会うつもりのない緑の手の持ち主は、1人帰った故郷でもまた緑の世界を築いているのだろうか。
私にそれを知る術はない。
知る術はないが、そうであればいいと願う。
花鋏を握り、ホースで水を撒くその姿は、いつだって楽しげで、とてもいきいきとしていた。
そんなその人の様子を見るのがずっとずっと好きだった。
私の知る、数少ないその人の明るい姿である。
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