ご近所、大切に。

わたしのパン屋さん、この世界の片隅に、本屋さんのように、ずっと、いつもそばに居てください。

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こうべはパン屋が多い。

全国で一番パンを食べているのは京都だというデータを見たことがあるが、本当かなとおもう。

今日は、本のことや詩のことを書かず、服のことも書かず、パンのことを書こうとおもう。

今回のステイホーム週間(月間)で、いろんなお店が営業自粛していたが、パン屋は本屋と並んで、比較的開いていたようにおもう(2020春、わたし調べ)。

誰しも行きつけのパン屋があるのが神戸人だとおもう。わたしの行きつけのパン屋に聞いてみたけど、「どこも、あまりコロナの影響はなかったみたいです」と言っていた。パンは最強で、不動なのだ。

こうべ以外のことはわからない。

わたしの行きつけのパン屋は、家から一番近いところにあるわけではない。坂の上に住んでいるので、下り(行き)はまだしも上り(帰り)が大変なのだが、買っている街のパン屋さんが二軒ほどある。食パン(毎朝作るコロッケサンドのため)、バゲット(お昼や晩の夕食の付け合わせ)、それぞれ、店を使い分けている。

なぜ、一番近いお店に行かないのか?

坂の上り下りが少なくて済み、味も美味しいパン屋はあるが、観光地に入っているため、観光客が多くなり、いつからかかなり強気に大幅値上げされた。それから、消費税増税もあって、外税になって、さらに割高感が増していった。友人へのお土産には、近所のパンを買っていってたが、サーヴィスの美味しい珈琲もコロナ禍で出せなくなり、今は食べ物を人に渡すのも憚られるので、もう行かなくなってしまった。

もう一軒、2番目に家から近いパン屋があって、先の1番近いパン屋も同様に、開店した当時はよく通っていた。しかし、インバウンドで外からのお客が増えて、買いにくくなった。わたしがここで買うのは「カンパーニュ半分とエルダーフラワー水」に決まっていたが、その二つを抱えてレジに並ぶも、前のお客さんが3000円とか5000円とか(お土産だろうか)大量にパンを買っていくので、いつまでたっても清算ができない。スーパーだと、商品の点数が少ない人用のレジがあるところだが、こんな風だと、パンを日常の必需品として買う人間にとっては、いくら近くて美味しくても自然に離れていってしまう。

しかし、ステイホームの時期は、あまり遠出しないし、近所のお店も気になって応援もしたくなり、上記の二店舗に久しぶりにパンを買い求めた。一軒目は、以前(まだ割高でない頃、珈琲サーヴィスもあった頃)懇意にさせてもらっていた店長が店に戻ってきていた。しばらく長いこと不在だったが、空港に新店舗が出来て、そこへ転勤になり多忙を極めておられたが、今はフライトも激減しているので、暇になって戻ってきたとのこと。開店前に外で本を読みながら一人待っているわたしに、飲み物やパンを差し入れてくれた、優しい店長さん。色んなことを思い出して嬉しかったが、価格が上がってしまったパンは高いままである。少し懐かしい会話をして、バゲットを買って店を出る。

二軒目は、お店に入ると、お客が誰もいない。平日の夕方だった。行かなくなっても、通り道なので様子は知っていた。いつもお客が出入りしていたので、混み具合に時間は関係ない人気店だった。今はその風景は嘘のようだ。買いやすかった開店当初に戻ったような気もしたが、それはそれで静か過ぎて買いにくい。このお店は、外にイートインできるスペースがあり、遠方の友達が来たらパン屋案内も兼ねて連れていった。その時はデニッシュ系のパンとお茶(わたしはエルダーフラワー水)でゆっくりおしゃべりしたもんだ。パンの点数も減って、シンプルになっていた。どのくらい、ここに来ていなかっただろう。思い出せないくらいだ。近所に住んでいる友人も、住民には買いにくい店になったので行ってない、と言っていたので、観光客以外は離れていってしまったのだろう。ハードトーストを買って、店を出る。

家から近くて便利だし美味しいし、また応援もしたいのでお客に戻って買いに来たい。けれども、高騰してしまった価格、行き届かなくなったサーヴィス、は、また観光客が戻ってきたら同じようにわたしを見捨てるに違いない。つまり、一度裏切られてしまった感のある、いつもそばにいた好きな人、の、ところには、もう戻れなくなっている。こころとはそういうものなのだ。パンやパン屋に対しても同じだ。

大阪に住んでいる妹は言っていた。自粛期間で大阪はパン屋も結構閉まっていたらしい。唯一開いていることを知り、出かけた近所のパン屋は、長蛇の列で、予約券まで配っているとのこと。なぜ?他に開いているパン屋はないのか?そんなに大阪人ってパンが大切?と疑問が湧いて止まらなかったらしいが、覗いてみると、作っているのは、一種類のパンのみ。緊急事態宣言直前にテレヴィで紹介されたらしく、その効果らしかった。パン好きの家に生まれ育ったわたしたち。妹にとっては緊急事態。何も買えず帰ってきたらしい。無論、列を作っているのは、近隣住民ではない。本当に必要な時に、パンが買えない。きっと、この店も、近所の人は離れてしまうだろう。子供連れのお母さん、女子高校生、サラリーマン、お洒落な内装でパンの種類も豊富だったが、価格がリーズナブルで何を買っても美味しかったお店。わたしはここのワインの食パンとクロワッサンが好きだった。味見もできた大阪らしいお店だった。さようなら。

ほんとうに必要なときに側に居てくれないと。日々の暮らしに寄り添うのがパン屋だ。

そんな身近なパンだからこそ、信用を得るために地道な仕事が評価されるのだろう。変わらない味と買いやすい価格。そして、いつでも買えること。これがとても大切。並ばないと買えないとか、高いお金出さないと買えないとか。そんなのはわたしにとってはパン屋じゃない。高級洋菓子店とか高級レストランのような、非日常を提供するベーカリーショップやブーランジュリィになってしまったことが、招いた悲しい運命なのかもしれない。

アンコール:

わたしのパン屋さん、この世界の片隅に、本屋さんのように、ずっと、いつもそばに居てください。

(すずさん?より)



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