子供の可能性は無限大。では大人は?

いろいろなことをやってきて自分の得意不得意、趣味趣向がわかってきている。子供の時よりも。

したがって、当然可能性は絞られてくるし、それは悪いことではなく、それだけこれまでに様々なことに手を出し、そして判断した結果なのだ。

子供の可能性が無限大なのは当たり前である。まだ何もしていないのだから。

人生には、自分の特性を確認する作業がつきまとう。
大人になったら可能性がないように感じて嘆いていたが、何一つ嘆かわしい状況ではないのだ。

そう考えるようになって少し気が楽になった。

そしてまた可能性を絞ることに抵抗がなくなった。

当たり前のことだが、時間は有限だ。ここのところ、より一層身に染みて実感するようになった。
時間は有限だから、あれもこれもと手を出すことはできない。

だから可能性を絞るしかないのだ。私はそれが現実だと思う。
可能性を絞ったことで以前よりも時間が生まれたように感じている。これは気持ちの余裕を生む。

・とにかく可能性を広げたい。
・あれもこれもやらないと自分の未来が心配。
・できることが少ない自分が嫌だ。
・窮屈な人生を送っている気がする。

そんなようなことに思い当たるのであれば、可能性が絞られていくことを認め、あるいは自分で適切に可能性を絞り、時間を生み出してゆったりとした気持ちで生きてみるのも良いのではないだろうか。

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