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[本・レビュー] これからの「正義」の話をしよう

「正義」とは一体!?明確な答えを見つけるのは難しい。だからといって何が正義かを考えることを止めてしまえば、この世は不正で飽和する。

これからの「正義」の話をしよう  マイケル・サンデル著 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


この本は政治哲学についての本です。本文中に
"この本は思想史の本ではない。道徳と政治をめぐる考察の旅をする本だ。旅の目的は、政治思想史において誰が誰に影響を与えたかを明らかにすることではない。そうではなく、読者にこう勧めることである。正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろう―そして、自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見きわめてはどうだろうと。"
とあります。
 
サブタイトルに「いまを生き延びるため」とありますが、個人的な印象としては、この本を読んでも生き延びることにはすぐに役立ちません。
しかし、為政者がこういうことを考えなければ、社会はよくなりません。為政者までもがこういったことを考えないで過ごすことを防ぐためには、私達一人一人がこの内容を吟味し、それを政治に反映させる必要があります。
まさに「この国民にして、この政府あり」をよい意味とするためです。この(思慮深く、公正な)国民にして、この(思慮深く、公正な)政府ありとするのです。そうでなければ、この(愚鈍で無知な)国民にして、この(愚鈍で無知な)政府ありとなってしまいます。
 
正義とはいったいなんでしょう。また何をもって正義と判断すればよいのでしょうか。
 
筆者は正義へのアプローチとして三つ挙げています。"一つ目は功利主義者のアプローチで、福祉、すなわち社会全体の幸福を最大化する方法を考えることで、正義を定義し、なすべきことを見きわめる。二つ目のアプローチは、正義を自由と結びつける。これはリバタリアンを例に考えるとわかりやすい。リバタリアンは、完全な自由市場で財やサービスを自由に交換することが、収入と富の正義にかなう分配につながると考える。市場を規制することは、個人の選択の自由を侵すことになるので正義にもとる。三つ目のアプローチは、道徳的な観点から見て人々にふさわしいものを与えること―美徳に報い、美徳を促すために財をあたえることを正義とみなす。"
 
この本では、これこそ正義!と断定される明確な答えはありません。ひょっとしたら、明確な答えを出せる人など存在しないのかもしれません。
 
正義を「社会全体の幸福」、「個人の自由」「道徳的観点・美徳」でとらえようとしただけで、すでに全ての人々が同じ程度で等しく恩恵を受ける状況を設定することは困難です。あちらをたてれば、こちらは立たずです。

しかしながら、誰にとっても明らかな正義を設定できないからといって、その追求や議論をやめてしまうと、結局は無秩序な流れに社会をゆだねることになりかねません。
 
政治への関心の薄さは日本に限ったことでなく、アメリカでも大きな問題となっていることが見て取れます。政治的な問題として、様々な具体例が提示されます。その中には日本の慰安婦問題や代理母出産、同意のもとでの殺人・人食など多岐にわたる考察が含まれます。
 
「社会を生き抜く」ためではなく、「見て見ぬふりをせず、社会をよりよく変えていこう」とするために本書は一読の価値ありと考えます。
 
いじめに対する教師や教育委員会の隠蔽体質や、政治的責任について説明をしようとしない政治家たちの存在を許しているのは他でもない、私達国民一人一人なのかもしれません。



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