お高いお言葉。
長いこと何かをやっている時なんかに、このたったひとつの為の全ての時間だったのだなあと思うような言葉をもらうことがあります。
その中のひとつ。
高3の時に、美大を受験するために画塾に通っていた時のこと。
粘土でつくる長方形の立体課題が出された時、わたしはこんな作品をつくりました。
日本建築の木組みをそのまま表した作品。
その時のわたしは、〝キレイ〟にできたんじゃない?とほどほど満足していました。
しかし、思わぬことを画塾の先生に言われました。
「これ、ほんとに木組みだと思いながらつくった?この合わさっている部分は、線をなぞったようにしか感じられないなあ」
「どうせ合わさってしまうからといって、ただ線を引くのではなく、合わさる前からのことを意識してつくらないといけないよ」
はっとした。
技術やスキルは、見えないながらもその下層部でそういった自分の意識であったり、在り方に支えられている。
画塾の先生には、そこの安易さを見抜かれたようです。
また、画塾の先生は続けた。
「ものをつくる人は、なぜそうするかを一つひとつ説明できなきゃなんだよ」
「ここでは、なぜそこに線を入れるのか」
「他にも、なぜそこに赤の絵の具をのせるのか、なぜそこに丸みを帯びたフォントを使うのか」
この日から余計に、なぜ?とか、なんのために?とかを考えるようになったように思う。
わたしはこの言葉をもらいに、高いお金を払って画塾に通ったのか・・・
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