『本好きの下剋上』を今年中に読み終えたい人

『本好きの下剋上』を今年中に読み終えたい人

最近の記事

IT エンジニアの未来 〜一流のエンジニアと、AI のお手伝いとの二極化〜

先週の金曜と土曜、心に残ったことがありました。 金曜は、強い同僚とのペアプロです。 ローカル環境にてサービス間の連携が上手く行かず途方に暮れ、その方に相談したところ、見事に、しかも迅速に解決してくださいました。 どうやって提示してくださった解決策に至ったのかをお尋ねしたところ、今の自分ではいくら足掻いても辿り着けないような過程の調査を、あっという間にこなされていたことが分かりました。 あまりの見事さと力量差に、胃が痛くなり、嬉しく、気が引き締まりました。 自分なんかとペアで

    • 北野武さんの『首』が自分には合わなかった / ある作品を「おもしろい」「つまらない」というのは主語が間違っている

      Netflix での配信日である本日の朝に視聴しました。 まず、この作品がおもしろい or つまらないということではなく、自分とは相性が悪かっただけだ、ということを弁解したいです。 作成してくださった方々は、精一杯ご作成くださったのだと思うためです。 これまでの自分の人生で、得点付けや評価の際「おもしろい / つまらない」などと言って参りましたが、それはあくまで自分との相性での点数付けであるのだと、38 歳にして気付きました。 主語にすべきは、点数付けの対象となる作品では

      • AWS を一から学んで Udemy で講座を売りたい

        バカっぽさが極まったタイトルを付けられて、書き出す前から満足感が高いです。 先日、「自分にお金が無限にあったら、医者になりたい」と書きました。 言うだけなら無料だな、というようなフレーズですね。 「笑止千万」という言葉がマンガ以外で適切だと感じられる珍しい例です。 自分としては、死ぬのは怖くなく、また自分の残りの人生は他の人のために全部捧げたい、という気持ちです。 ただ、妻と子どもがいるため、子どもの教育費は確保したいですし、妻には老後の生活の心配をさせたくありません。

        • 映画を観ると考えるのが捗るのだけれども、そろそろ映画を観る頻度を減らして資格の勉強に充てたい / AWS の学習

          ここ数日、ほぼ毎日のペースで映画を観続けてきました。 自分はこれまで、映画を観ることがほとんどなかったので、よく頑張ったと思います。 今回、映画を観続けて、その効用に気付くことができました。 「病気で減退してしまった思考能力のリハビリ」となることを期待しての取り組みだったのですが、十分にその目的を果たせました。 自分にとっては、このように効果が出た理由の一つは、視聴後に妻に感想を伝えたことです。 聞いてくれた妻に感謝しております。 また、自分も、映画の感想を語りたいタイプ

        IT エンジニアの未来 〜一流のエンジニアと、AI のお手伝いとの二極化〜

          『浅草キッド』 / 『万引き家族』 / マインによる孤児院の劣悪な環境についての同情 / どう生きるか

          浅草キッド観られて良かった、感動した 正直、見終わった後は、それしかなかった。それで十分というか、語るのは野暮というか。ただ、感想の文章を記すために映画を観ている訳ではないと思っているのだけど、語らずに「感動した」で済ませるのも思考放棄のような気がするので、何かを記せるように努力する 師弟愛 日本的? だいぶ優しい師匠 一升瓶持って挨拶回り、随分優しすぎる 自分も師匠にどっぷりハマりそうなタイプだったかも?男惚れというか そう言えば、男惚れするような人にしばらく

          『浅草キッド』 / 『万引き家族』 / マインによる孤児院の劣悪な環境についての同情 / どう生きるか

          ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY

          まあ観て良かった ホイットニー・ヒューストンのことを何も知らなかったので 最も歌が上手い人、くらいに思えた 確かにめちゃくちゃ上手い もう「歌が最高に上手い」は少し前の時代に達成されていたのだと思い知った 聖書の内容が正しいというのが家族で共通の認識だった 父親の無理な引用は腹立たしかった ボビーのプロポーズ時の、他の女性の妊娠発覚は痛々しかった 中絶の意味が重みを増していた 崩れ始めた起点のように思えた クライヴが善良な人なのが救いだった 歌手でも喉が

          ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY

          『THE FIRST SLAM DUNK』 / 『娘は戦場で生まれた』 / 子どもへの教育で最も大切なことは、内発的なモチベーションに繋がる価値観を育てること

          THE FIRST SLAM DUNK別に観たくないと思う作品だと感じたからこそ、敢えて観ることに踏み出した 自分にとってはアニメは微妙だし、スポーツも微妙 人と話を合わせるための映画? アニメーションの技術の進化を体験するための映画? 観ても何も得られなさそう、と思ったけれども、自分がしなさそうなことだからこそ頑張って観てみる このチョイスを横目で見ていた妻も、私がアニメを選んだことに驚いていた ただ、自分は努力系(『ルックバック』など)に感動するタイプだから、

          『THE FIRST SLAM DUNK』 / 『娘は戦場で生まれた』 / 子どもへの教育で最も大切なことは、内発的なモチベーションに繋がる価値観を育てること

          『あのこと』 〜人生で一番観ていて辛かった作品〜

          今朝観ました。 壮絶な作品でした。 本当は、今の時間はリングフィットアドベンチャーをすることに決めていたのですが、この作品の感想を書くことの方が自分の人生にとって重要だと確信し、優先させています(とか言って、書き終わったら、リングフィットアドベンチャーをやる時間があった)。 この自分に、中絶が合法であることに存在する妥当性を考えさせたほどの作品 自分は中絶に大きく反対の人間 クリスチャニティーというバックグラウンドもあり 中絶が殺人なのは間違いないと思うので 聖書が

          『あのこと』 〜人生で一番観ていて辛かった作品〜

          RBG / She said / 沈黙 / 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

          ここ5日間で、映画を一日につき一つ観ています(Netflix や Amazon Prime で)。 自分にとっては、異常事態です。 自分は映画が好きではなく、自ら映画を観ることはなかったと言っても過言ではありません。 映画館での鑑賞に関して言えば、付き合いではなく自主的に行ったのは、今思い出せる限りですと、約 20 年前、大学生時代に今の妻をデートに誘ったのが前回であり、高校生時代に試写会のチケットが当たって行ったのがその前です(他に、妻と一回何かに行ったような気もしないで

          RBG / She said / 沈黙 / 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

          「僕」という男性用の一人称を使うのを一旦やめることから始めてみたい 〜『バービー』を観て考えたこと(2)〜

          今回のテーマは、社会的意義が大きいものだという確信があります。 ですので、読みやすくまとめてバズりを狙った方が良いのでは、などとも思いました。 ただ、そうなると、自分の考えをまとめることと、読み手に意見を効果的に伝えることとで、焦点が定まらなくなるように思ったので、やはり自分用に書きます。 余談ですが、次の 2 つのどちらをタイトルにした方がバズりそうかで迷いました。 「俺」や「僕」は放送禁止用語にした方が日本が良くなる説 「俺」や「僕」は放送禁止用語にした方が日本が良く

          「僕」という男性用の一人称を使うのを一旦やめることから始めてみたい 〜『バービー』を観て考えたこと(2)〜

          『バービー』を観て考えたこと(1?)

          小生は本や映画について語るのが苦手です。 そういったものの感想を求められても「おもしろかった」に毛が生えたくらいのことしか言えないので、我ながらつまらない人間だと思います。 この点を改善したいので、読書や映画鑑賞を始める前には「この作品について少しは語れるようになるぞ!」と意気込むのですが、たとえ感涙しても、鑑賞後にはやはり「感動した」に毛が生えたくらいのことしか言えないため、無能感に情けなくなります。 ですが、今朝早起きして観た『バービー』は別でした。 感想を述べるのが苦

          『バービー』を観て考えたこと(1?)

          日常の考え事 → 人格形成 〜雑念を思考で置き換えたい〜

          自分の構成要素は何か? 自分を練り、作り変えるものは何か? 格好付けたような表現を並べていますが、「自分とは何者か」を作り上げてきているのは、一体何なのか、という問いです。 小生の考えでは、その主なものは、「日頃の考え」です。 つまり、日常生活の中で、頭の中に思い巡らせる内容が、その人を作り上げるのだと考えています。 自分の中ではこの考え方が腑に落ちているのですが、この考えに至ったのは、確か 35 歳前後の頃でした。 ただ、腑に落ちてはいるものの、この気付きを活かせてはい

          日常の考え事 → 人格形成 〜雑念を思考で置き換えたい〜

          思考のリハビリとしての文章作成 / 神の最高傑作としての自分

          前回の続きです。 「なぜ書き始めたのか?」についてです。 結論としては、「思考力を高めたいからです」。 以下、もう少し詳しい説明です。 前回の記事でも記したように、小生は今年、大きめの病を患いました。 2か月間の闘病(と言っても、終盤はかなり快復していたので、辛かったのは 1 か月半ほど)を経て、自分の活力や思考力が大きく損なわれた実感があります。 具体的には、次のようなことを経験しています。 難しいことを考えるのが苦手になった 読書が苦手になった 気が向かない 読み

          思考のリハビリとしての文章作成 / 神の最高傑作としての自分

          「考えることとは、書くことである」という説

          つい先日、ある方が一人称を「小生」としていらした。 凄い響きだ。 自分は人生で一度も使ったことがない。 この一人称を使うと、文全体に影響が出たりするのだろうか。 試しにしばらく使ってみよう。 表題の発言を耳にしたのは、小生が大学生の頃でした。 今は 38 歳なので、約 20 年も前のことです。 小生は大学でろくに勉学に向き合わず、教授達との関係もほぼ存在しないようなものでしたが、この発言をなさった高齢かつ快活な男性教授には、真摯なものを感じ、尊敬していました。 かと言って、

          「考えることとは、書くことである」という説