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会社員が辛いなら、会社内で自己実現をしてしまえばいいのではないか?そう思った話。

新卒で入社した外資企業に務めて2年目になって、初めてはっきりと
「会社が辛い」と思うようになった。(いや、「会社員でいること」が辛い。)

多忙と中長期プロジェクトの成功の命運が私の手にかかっており、プレッシャーと自分の力量への猜疑心にやられそうになりながら、毎日仕事を続けている。

だけど、前にも何度も書いてきたが一度「このまま会社員でいいのか」と思ったら最後、その疑問はいつまでも付きまとう。


最近気づいたのだが、嫌なことに私は既に外資営業の風潮に染まりつつある。

例えば、こんな感じである。

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自分のポジションを死守することで生き延びよ。
一年の成果と昇給はプレゼン次第。
昇進できるか否かは、全て社内政治次第。
何万人もの社員を抱え、何億もの人々の生活を支えながら、現場の社員のマニュアル・ワークがものを言う会社なのだ。
私の口調だって既に、ザ・営業みたいな話し方、
になってしまっているのかもしれない。

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著者自身、新卒で外資に入るくらいだ。その真面目すぎる性格が災いして、
企業戦士の烙印ともいえる、ゴルフさえ最近始めてしまった。
両腕両足の日焼けを見るたびに、皮膚も心も痛む。
会社で上手く生き残っていくためにネットワークを広げようと、
社内クラブも立ち上げてしまった。
来週はなぜか、皆の前でお笑いを披露することになっている。
「会社員としての生活が、つまらないと自覚してしまえば終わり」。
クラブも出し物も、糞真面目な私の悪あがきだった。
何やってるんだ、自分?無理に楽しもうとしちゃってさ。
でも、無理だったんだよ。手を抜いて働くことなんて。全力出しちゃうんだよ。いつだって。「置かれた場所で咲きなさい」でしょ?その時与えられた環境で、ベストを尽くすしかないじゃん。そんなに器用じゃないよ。

土日に作成する資料の負担に耐えられなくなって、こんなんじゃダメだと、敬愛する坂口安吾の「堕落論」などの古典を読めば、「戦後の日本対環境が変われどそこに生き続ける人々」という崇高な対比、「堕ちるところまで堕ちよ、結局人間、堕ちきることはできない」など書いてあり、巨大な組織相手に時間を削って毎日夜遅くまでプレゼン資料を作り、法人向け営業をしている自分が馬鹿らしくなる。好きな本も、読めなくなった。
思えば、「○○せよ」的な価値観が苦手になり、
1年前からビジネス本が読めなくなっていた。
だけど、何も行動出来ない自分に打ちひしがれ、ただ涙を流す。

2年前、あれだけ入りたかった、新卒など毎年1人採るか採らないかの大企業。確かに、内定を貰った時は舞い上がったし、2年間の成果が報われたともともと低い自尊心が回復したのは覚えている。
だが、あの時は、就活を始めた時点で、
私の思考は1度停止していたことに気づかなかった。
ああ、あの時、杉村太郎さんの「絶対内定 2021」の中の一言、「大企業に内定を貰って嬉しいのは、入るまでだ」という言葉を信じていればよかった。同時に崇拝してもいたけど。大企業に入ったことへの「顕示的価値」と自己欺瞞は、1年と続かなかった。

何も考えてなかったから、本当にとりあえず企業に就職しちゃったんだ、って、今となっては思う。思えば、私の人生、「とりあえず」「なんとなく」でできているのかもしれない。中学の時に進学先として県立の女子高を選んだのも、母親に言われてなんとなく。高校の時に一橋大学を目指したのも、担任に推薦されてなんとなく。落ちて滑り込んだ大学で社会学を専攻したのも、なんとなく役に立ちそうだから。
自分の確固たる意志で何かを決めてきたこと等、ない。

だが、そのなんとなく、は、続きがある。
なんとなく「これをやっておけば人生上手くいきそうだから」。
余りに、自分の置かれた環境を最大限に活かして、人様の迷惑にならぬよう、少しでも安定した場所へ行けるよう、曲がりなりにも考えて選んだ結果、「なんとなく大丈夫そうだ」選んできた道を、私は歩み続けている。そこに、渇望やリスクテイキングは一切無い。

その結果、私という、社会の俗物が生まれてしまった。
会社員であり続けること自体で、ある程度人生は決まっているらしい。
そんなの、嫌だ。
それなのに、上手く何十年もうちの会社に勤続する人もいる。
会社のゴール(KPI)に貢献できれば、賞与が与えられるからだ。
まあ、うちの会社も勿論成果を出さないとクビになるので、
彼らはとても優秀な人たちだ。
だけどそれは勿論会社の言いなりであることを指す。

それは、やっぱ無理だわ。

じゃあ、どうするか?

私の今の会社での最後のあがきを、ここに記す。

それは、これから、今の会社で「絶対に自分しかできないこと」を達成すること。

「会社の中で」「自分しか」できないこと。
そもそもこの文章自体、矛盾している。
会社の社員は、同じ目的に向かって動いている。外資ともなると、ある程度のプロジェクトは自由に動かせるが、結局どこかで会社の利益に整合性がないと、そのプロジェクトは無価値である。だから、自分しかできないこと、など存在しないはずだ。

だから私は、考え方を変えた。会社の中で私は、プロジェクトの達成、でもなく、KPIへの貢献でもなく、「自己実現」だけを目指す。
主体を会社ではなく、自分とする。
私がゼロから考えたビジネスプランで、KPIを達成するための全ての道筋を構築する。7月には、単純に自分の限界に気づかず、ぶっ倒れた。

倒れた時、「あなたの変わりはいくらでもいるんだから」逃げてもいいんだよ、と言われた。
違和感を感じた。
いや、そうじゃない。
そんなメンタリティじゃだめだ。
会社の俗物なら俗物なりに、今自分にできることをしよう。

前に、どれだけ「戦略的に行ってきた1年の中期プロジェクト成功の兆しが見えない」ことが辛いか、という記事を書いた。

このプロジェクトが、あと3か月で成功するかしないか、というところまでついに来ている。2年目の私にしては、まあまあ上出来であると思う。
だから私は決めた。

このプロジェクトを成功させることで獲得した人間的な成長を全力で肯定しよう、と。

喩えその達成しようとしている何かが、大企業のペット・プロジェクトの派生物であってもいい。私がゼロから考えて、成功させれば、それは自分だけが達成できた功績となる。最終的に貢献する先が会社とそのテークホルダーにしか影響しないとしても。

その裏には私のブレインがあったのだ、と。

辛いことを何らかの形で乗り越える、という局面だらけの外資法人営業では、成長という言葉では言い尽くせないほどに、与えられた環境で自由にあがかせてもらえる。今はそれを楽しんでやろうじゃないかと。

ちなみに、私が辛いのに外資営業に留まっている理由は4つほどある。

1.ネーム・バリュー。自分を語るのが楽だ。

2.学歴コンプ。私の大学からIT外資に行けたことの社会価値。

3.収入。

4.辞めて他の道を探すリスクをとるのが怖い。やりたいことは見つかってはいるが、それに飛び移れない。

だが、いつかこの4点をもしのぐ、会社の外での自己実現をしたいと思える日が必ず来る。私は、その日まで力を蓄える。その兆しは見えている。

いつか、本当に本当にやりたいことが見つかるまで、「後ろ向きに前を向こう」…。私は昨今そう感じている。



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真剣に会社で自己実現ができるのか?私は身をもって検証していくつもりである。また外資営業について書く時は、辛いけど辞められない、逃げ道がない、または会社以外のことがやりたい、と思っている人達の励みになるよう記事を書きたいと思っている。


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