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寓話:少年ロイの物語

時は西暦2060年。
ここ数年で、ロボットの製造工場が多く設立され、東京・神奈川にまたがる工場群は「マルタ工業地帯」と呼ばれるようになった。その工業地帯の向こう側と隔てるようにして巨大な工場群が壁を作っており、その壁の裏には貧困層や身寄りのない子供たちが住む貧困街が形成されていた。いわば、社会は、それから隔絶されたマルタ工業地帯の裏側と、委員会による支配が行き届いた向こう側の二つに分断されていた。

 マルタ工業地帯の裏側に住むその少年は、名を「ロイ」といい、今年10歳になる心優しき少年であった。ロイには親がいず、自分が5歳の時に養護施設に預けられていた。若い施設長のもと、彼女のことを「お母さん」と慕う二人の兄弟と共に暮らしていた。しかし、施設長の子供たちは、全員血がつながっていなかった。8歳のメイ、15歳のショウは幼い時にリンに引き取られていた。二人とも学校に通っていず、メイは自分より幼い子供たちの面倒をみており、ショウは近くの工場で働いていた。


 男性は労働の義務が与えられ、女性は地域奉仕の役割を担い、この町は成り立っていた。国の法律で児童労働は禁止とされていたが、ロボットの製造には必ず一人や二人の人間の判断力を必要としたため、常に雇用口に欠くことはなかった。「マルタ工業地帯」の裏側にあるこの地域は、法の目の行き届かない地域でもあり、地域の決まりとして10歳以上の男性は誰もが工場で働き始めなければならなかった。

 少年ロイは、今日で10歳の誕生日を迎えていた。いつになく早起きをして身支度をしていると、ショウが話しかけてきた。
「お誕生日おめでとう。今日からロイも僕らと一緒に工場で働くんだ。楽しみか?」
年長のショウは、腕っぷしが強く面倒見の良い青年であった。
「うん、兄さん。すっごく。」
児童労働が当たり前となっていたこの地域では、子どもたちは皆10歳を迎えるのを楽しみにしていた。働き手の多くが20代や30代の若い層であったため、子どもたちは彼らに憧れ、自分たちも彼らのようになることを夢見た。

「兄さん、ロイにそんなに期待させちゃだめだよ。」
冷静なメイは、いつもショウをそうなだめていた。
 ロイは計算や細かい作業が得意であったが、体力には自信がなかった。工場で何年も働けば慣れるようになる、というダンの言葉を信じ、兄と共に工場へ出かけて行った。マルタ工業地帯には、数百ともいえる工場が並んでいたが、ほとんどがこの地域の若年層や子供たちが管理していた。ショウは優秀なリーダーであり、すでに複数の工場の生産管理を任されていた。

 工場では、入ったばかりの者はライン作業に回された。ロイの仕事は、目視でロボットのパーツの不良品や故障がないかを確認することだった。ロイは始め、簡単な作業だと高を括っていたが、時間が経つにつれて集中力が途切れ、ミスを連発して工場長に何度も叱られ、しまいには泣き出してしまった。どうしたらよいかわからず、その場にただ立ちすくんでいたその時だった。
「ロイ、こっちに来て。」

誰かが自分の名前を呼ぶ声がした。驚いてあたりを見回すと、ショウが小さな声で奥の部屋から顔を出し、自分を呼んでいた。泣き出したロイの手を引き、ショウはロイを工場の裏に連れ出した。
「ほんと、お前はよく頑張っているよ。」 
ショウはぴったりとロイのとなりに座りながら、そう言った。兄は、あとからあとから零れ落ちるロイの肩を抱きながら、泣き続ける幼き弟を慰めた。よく見ると、ショウも今に泣き出しそうな顔をしていた。

「俺さ、時々思うんだ。なんでメイとか、お前みたいな小さい子供が働かなきゃならねんだろうって。おかしいだろ。俺この前聞いたんだ。この工場の監督に来る親父さんと娘の話。あっちの世界では、子どもたちは、学校行って、家族と食卓を囲んで、習い事だったり旅行だったりって、いっぱいしてもらってるんだって。何で、俺たちはそうじゃないんだろうな。」
ロイは、ショウが悲しそうにしている姿を初めて見たので、心配になった。

「生まれた地域で運命が決まるってやつ。ああ、ごめんな。お前にこんな話してもわかんねえよな…。」

そう言って、ショウはポケットから小さなメダルを取り出した。メダルを太陽にかざすと、兄弟三人で撮った写真が浮かび上がった。

「どんなに世の中が不公平でも、俺らだけは絶対に引き離させない。お前に、これをやるからさ、また辛くなったら、これを見て頑張るんだ。」

ロイは、涙を拭いて大きくうなずくと、キラキラと光るブロンズ製のメダルを握り締め、ショウと一緒に工場へ戻っていった。その日、初めて長時間働いたロイは、家に帰るや否や、疲れ切って寝てしまった。
 来る日も来る日も、ロイは兄たちと共に工場へ出かけて行った。あっという間に1か月がたち、ロイは幼いながらに優秀な工員として、工場内でも一目置かれるようになっていた。工場へ行く身支度をしていると、ショウがにこにこしながら近づいてきて、ロイの肩をぽん、と叩いた。

「ロイ、今日の設計部のリーダー、頼りにしてるぞ。」

 ショウは、既に地域の大型工場の工場長となっていた。メイは、自分たちと同じような親のいない子供たちに施設で勉強を教えていた。

「ショウ、まかせてよ。」
ロイはそう元気よく答えた。だが彼は、一か月前に彼が話していたことが気になっていた。「あっちの世界」では、この地域とは全く異なる生活をしている人たちがいる。勘の良いロイは、ショウが言っていたことを理解していた。
―どうして僕たちは、毎日一生懸命働かなければいけないんだろう。外の世界は子供たちはもっと自由なんだ。この地域がそうじゃないのは、きっと何か理由がある違いない。外の世界を、見てみたい。


 そう思ったロイはいてもたってもいられなくなった。ある日夜中に家を抜け出し、工場内でこっそり設計した移動用ロボットに乗り込み、工業地帯の端まで、向かっていった。工業地帯は高い建物が壁となり、外の世界がほとんど見えなかった。だが、必ず資材の調達のため、外から通じているルートがあるはずであった。しばらく周縁を確認しながら進んでいくと、鉄の扉で固く閉ざされた通路を発見した。ロイは、工場の「作業員以外立ち入り禁止」と書かれたドアの近くに隠れ、中から作業員が出てきた瞬間、ドアから中に入った。夜中も動き続ける製造ラインを横目に場内を走り抜け、向こう側のドアにたどり着いた。そっとドアを開けると、ロイは目の前に広がる光景に息をのんだ。
 そこには、自分の住む地域では見ることのない、整備された道路と、白い壁の、明かりにともされた建物が並んでいた。
ロイは初めて見る景色に興奮した。暗く、煙っぽくて嫌な臭いが常に漂っている自分の地域とは異なり、空気が綺麗で、道が安全だった。


―兄さん、こっちの世界はこんなにきれいなんだ!みんなでこっちに引っ越ししよう!


あたりを何度も見渡し、心を弾ませながらしばらく道なりに歩いていると、高くて光り輝く建物が立ち並ぶ場所へ着いた。彼はそこで、一棟の高い建物の側面に取り付けられた光るパネルのようなものを見た。パネルに吸い込まれるようにして近づくと、そこには目を疑うような内容が書かれていた。


「これって…。」


 その夜、ロイは町に帰らなかった。次の夜も、また次の夜も、もうロイが町に戻ることはなかった。リンや兄弟を含め町のものが必死になって彼を探したが、とうとう姿が見つからなかった。住民たちは皆彼が死んだ者だと考え、嘆き悲しんだ。ロイがいなくなってから、1年が経った。


「兄さん、どこにいっちゃったのかな。みんな死んじゃったっていうけど、私は、兄さんは生きてると思うの。」

面倒を見ている子供たちの洗濯物を干しながら、高くそびえる工場の遠くの方を見つめるようなそぶりをして、メイが言った。
それを聞いたショウも頷いた。
「俺も死んだなんて思っちゃいないさ。あいつは頭がいいから、今きっとどこかで勉強してんだろうよ。大丈夫だ。またすぐに会えるさ。」
「そうだよね…。」
二人の会話はそれで途切れた。ショウがうつむいて、その場を離れようとしたその時だった。


「ねえ、あれって…。」


メイは、思わず声を上げていた。工場へとつながる細い道の遠くから、一瞬、ロイのような姿見えたような気がした。その人物は、しっかりとした足取りで、こちらへ近づいてくる。


「おい、まさか…。ロイか?」
「そうだよ!帰ってきたんだ!」
その人物は、ロイだった。1年前に見た少年らしい丸顔で背の低い彼の姿はもうなく、背が高く、髪をきれいに切りそろえ、口元には誇らしげに微笑をたたえていた。
「ロイ!」
ショウとメイは、思わずロイにかけよった。
「今まで、どこに行っていたんだよ!お前、だいぶ大きくなったなあ…。俺は、お前が死んでないって信じてたぜ。」
「兄さん!帰ってきてくれたんだね!もう、今まで何をしてたの!?」


「ショウ!メイ!二人とも僕の帰りを待ってくれていたんだね!僕は、1年前、あっちの世界に一人でこっそり行ったんだ。そしたら、僕たち、こんなに頑張って働いて、それって全部「搾取」されていたことに気づいた。兄さんたちをどうしてもあっちの世界に連れていきたくて、その時偶然見つけた「ロボット設計大会」に出たんだ。この町でさんざんロボットを設計する練習をしていたから、僕は優勝して、賞金をもらったんだ。その賞金で「働きたい人だけが働ける」会社を作った。お金も場所もあるから、今からみんなで、あっちの世界に引っ越しだ!兄さんたちが働きたいって言わなければ、もう、僕たち子供は働かなくても大丈夫だよ。」

「おまえ、それを全部ひとりで…。」ロイの言葉を聞いたショウは涙ぐんでいた。
「ロイ…。お前、もしかしてあの時、俺が言ってたこと理解してたのか…。それで、皆の為に…。」
「うん、兄さん。確かに、子供たちが働くのはおかしいよ。あっちで、みんなで学校の勉強するんだ。だけど、僕たちの技術力は、国に貢献できるレベルだからね。これからは、あっちの世界で、僕らはきっと感謝されると思うよ。今まで、一生懸命働いて、本当に兄さんたちは頑張ったんだ。」

それを聞いたショウとメイは、涙を流しながら、笑っていた。


「さあ、行こうか!」


それから、マルタ工業地帯に住む総勢2500名ほどの住民たちは、そびえ立つ工場を越え、反対側の世界へと移り住んだ。壁の向こうの世界では、ロイの言った通り、誰も日常を豊かにするロボットたちの技術についてほとんど知るものはいなかった。大人たちはロイの作った工場で、優秀なエンジニアとして活躍した。子供たちは、教育を受け、自分たちで未来を切り開く力を手にした。


子供たちがどの世界にいようとも、決して失われることがなかったもの、それは希望と信じる力であった。ロイは、二つの世界をつなげ、見事にそれを体現したのである。


今日も子供たちの笑い声が、響き渡る青い空が澄み渡っている。ロイは、ポケットに大切にしまい込んであったブロンズのメダルを、空にかざし、未来への希望をそのメダル越しに見た。


<あとがき>
この世の中には、生まれた地域や場所、環境によって命の危険にさらされ、平等に教育の機会を与えられない方々が多く存在する。だが、一人一人が持つ希望や活力や才能は、誰にも代えられない個性であり、生きる力である。働くことは喜びと機会を創出するが、同時に機会を奪うこともある。この話はそれを描いた寓話である。著者である私は、平等な世界の為に、自分ができることが何かと考える毎日である。

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