見出し画像

光としての魂の私たち

光とは癒し。

僕の心の闇は光で包まれたかっただけなのです。


僕は癒されたかっただけの話という事になります。


アダルトチルドレンからの見方をすれば、
私は母きっかけの傷を負っていて
母が尚、傷つける事で
母から距離を置きたくなって、
その事から
女性を遠ざけたのだと思います。

それにより
私は女性との統合による癒やしを得られず
さらに深傷を負って
大きく育った闇の今が在るのだと思います。


女性は男性にとって土台で、
その確かな土台が在るから
安心感を持って
叶えに行けるのです。

土台とは土壌とも言え、
豊かな栄養の在る土壌でこそ
樹はのびのびと聖長できますし、
堂々と枝葉を茂らせ立っていられます。


この事は一個人の内の
女性性と男性性も同じ構図です。


今までの私とは

闇と光のバランス
つまり
女性性と男性性のバランス
が偏っていただけ

ともいえます。


女性性と男性性のバランスが良いと

➖幸せ➖

を感じるのです。


それは
闇と光の統合が成されているのですから、

愛として➖幸せ➖

という事なのです。



私はかねてより

闇は光で包み込むもの

と申し上げて参りました。


それは

➖光とは癒やし➖

という事でも在るのだと実感します。


光という癒しで傷(闇)を包み込む。

この時、

私の中で興味深い逆転現象が起きているのです。


光が【癒す女性】
闇が【傷付いた男性】

になるのです。


元々の陰陽図では

陰(闇)が女性
陽(光)が男性

だったものが、
まるで逆転するのです。


統合ですから
一つに交わる過程で
このような事は起こるのでしょう。


それと

スピリット(魂)という光
マインド(思考)という闇

このスピリット(光)

マインド(闇)の統合で

➖愛に成る➖

という仕組みもようやく腑に落ちました。


私は
魂と愛を同じにしていましたが
どうもそうではないようです。

魂とは【純粋な光】なのです。

その純粋な光(魂)が
人間の心にこそ宿る闇との統合を経て、
愛に成るのです。


なので、

魂で在る私たちとは光なのです。



愛は魂(光)が【目指すもの】

愛とは私たち魂(光)が【目覺すもの】なのです。


私たち魂(光)は

愛に【目覺めたい】。

ですから

愛を【目指す】のですね😄


光の私たちは
愛を知りたくて(目覺めたくて)、
闇を有する人間になっているという訳です。


そして、

男性性と女性性でも
スピリットとマインドでも
傷と癒やしでも

闇と光のバランスという調和が取れていないと

愛は成り立たないのです。


私のように

男性性ばかりに偏ると

それは間違いなく不幸で在る事から

【愛とは調和】なのだ

と知ったのです。


つまり
【和他私】
という
➖ワンネス➖
とは
【愛の調和】です。


私個人として
なかなかバランスを取るのが難しい
という実感も在るのです。

バランスという調和が取れておりませんから
悲しみの日々や怒り狂う日々が在るのです。

間違いなく
それは不幸という実感が在ります。


そしてその事は

私には光が足りていないという事。


つまり
癒やしが足りていないのです。
女性性が足りていないのです。


傷(闇)を血の流れるまま放置。
それどころか
さらに傷(闇)を広げている。

男性性が行き過ぎると
それは
自傷行為となるのです。


『これでもまだか‼️』
と鞭を打ち続けるのですから、
傷(闇)は増える一方でした。


あめ🍬という光こそを求めていながら、
鞭という闇を与えていたのが私自身だったのです。




闇が大きければ
その闇の大きさだけ光も大きくなければ
包み込む事は出來ません。


日本人の闇は大きいですから
その分、光の大きさも必要になります。


この事は

日本人とはそれだけの闇を持てる器

という事でも在るのです。

つまり

日本人にはその闇以上の大きな光を持っています

という事です。


【越えられない試練はやってこない】

といいますが、
その試練(闇)を包めるだけの光の持ち主
という
いわば太鼓判を押してもらっている
とも見れるのです。


それは勿論、

その闇と光の大きさの分、
統合した愛が大きくなる
という事ですから❤️


ですので

今一度
➖日本人として在る事の誇りを➖


そして
一個人にもそのまま言える話ですから

今一度
➖あなた樣として在る事の誇りを➖




太陽の光とは無償の光です。

分け隔てなく照らします。


私個人の例を挙げると

例えば、

恋愛に限定した光を求めていました。

また

お金に制限を掛けた光を求めました。


『恋愛関係にならないとそれは光では無い』

『お金を稼げないとそれは光とは言わない』

という感覺が正直に申し上げて在りました。


このような光の求め方は

職場環境や居住地ですとか
家庭環境や学校環境もそうです。

つまり

人生全体に対して
光で照らされる所を限定し
太陽に求めていたのです。


太陽というのは遍く照らすものです。


それが太陽ですから

無償の光の在り方としても

何かに限定した光の与え方では在りません。


限定した照らした方をした時

それはもう

無償の光では無くなってしまうものなのです。


太陽が
光で照らした代償を得る得ないの話だけでは無く、

太陽が
照らす所を選ぶか選ばないかという条件を付ける付けないでも、
無償で在るかは変わってくるのです。



いわゆる

➖愛➖

というのは

闇と光を統合出來得る人間の目覺す(目指す)ところです。


闇というのは人間誰しも持っているもの。
そして
光というのは魂誰しも持っているものです。

ですから

➖無償の愛➖

もまた

人間が目覺す(目指す)愛の形になります。


魂という光

人間という闇
の統合で
愛は聖長するのです。





📒今日のおさらい📒

魂は光。

人間が持つ闇を魂(光)で包む時、
愛は聖長する。

愛は魂(光)の和他私たちが目指す(目覺す)もの。

というお話でした🖋️🤠



またね👋😄




【BIGLOVETIDE】

祭統 白宇(Shirow)


最後まで無料でも御読み戴けますが
もし御氣に召して戴けましたら、
有料記事にして在りますので
おひねり宜しくお願い致します☺️✨

3=天界
5=人間界
8=地上界
の意味で¥358としております💫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?