15周年目にして初の劇場鑑賞感想~『サマーウォーズ』は何度でも夏の映画館で観たい~
1 これまでの私と『サマーウォーズ』との関わり
細田守監督の映画として有名な作品の一つである『サマーウォーズ』は2009年に劇場公開されたアニメーション映画である。2009年当時私は高校三年生で現役の大学受験生という身分であったことや、現在ほど(アニメ)映画に関心が無かったといった要因が重なり、映画館で『サマーウォーズ』を観る機会を逸してしまったまま時が過ぎていった。それから数年が経ち、金曜ロードショーだったかWOWOWでテレビ放送された『サマーウォーズ』を観る機会を得ることが出来た。幼い頃に『デジモンアドベンチャー僕らのウォーゲーム』を観ていたからストーリー展開が似ているなぁと思いつつ、家族を起点とした人間関係のつながりの強さを描いた『サマーウォーズ』という作品を面白い作品だと思った。終盤での花札対決で掛け金となるOZアカウントが足りなくなり絶体絶命のピンチが訪れたとき、一人のドイツ人から始まった世界中のアカウントが夏希先輩の元に集結するシーンで泣きそうになったことを覚えている。こういう『DRAGON BALL』の魔人ブウ編における地球中の元気を集めた元気玉のシーンのような、世界中の人たちの力を結集してラスボスに立ち向かうシーンは王道の一つのようで良いシーンだと思う(少なくとも私はこういうシーンに弱い)。テレビ放送版でも「面白い」と感じたので『サマーウォーズ』のDVDも買った(にもかかわらず何故か現在手元にDVDの存在を確認できないのが悲しい。どこかにあるはずなのだが、もし売ってしまったのなら過去の私は大馬鹿野郎である)。
そんな『サマーウォーズ』をテレビで観てさらにしばらく時間が経過した後、更に時間が経ち、今年2024年7月26日から2週間限定で『サマーウォーズ』が劇場公開されるという。そういえば映画館で『サマーウォーズ』は観たことがなかったなぁということで、思い切って先日初めて映画館で『サマーウォーズ』を観に行った。そして、映画館で観た『サマーウォーズ』がテレビで観たときとはまた違う印象を受け、何よりテレビで観たときの何倍も面白いと思ったので、今回衝動的にnoteに感想文的なものを投稿しようとした次第である。この投稿が世に出る頃には『サマーウォーズ』のリバイバル上映は既に終了してしまっているだろうが、それでも改めて夏に『サマーウォーズ』を観たいと思うきっかけになれれば幸いである。
2 今更ながら念のため『サマーウォーズ』のあらすじと主要登場人物紹介
このnoteの投稿に辿り着いた読者の中で『サマーウォーズ』を観たことがない、あるいは『サマーウォーズ』のあらすじを知らないといった人はいない、若しくは極めて少ないと思うが、念のため『サマーウォーズ』を知らない人のために、あるいは今後の話の整理のために『サマーウォーズ』のあらすじを紹介しておく。なお、『サマーウォーズ』は登場人物がとても多い作品であるが、本作はメインとなる人物数名(5名前後)の名前を簡単に把握できれば大丈夫である。
『サマーウォーズ』本編では陣内家の親戚一同が集結するので全員の顔と名前が一致するように丁寧に覚えようとすると、むしろ『サマーウォーズ』という作品を楽しむ上でかえって阻害要因になってしまうので、映画やテレビなど映像だけで作品のストーリーを楽しむ上で重要な5人を紹介する。余裕があれば、一度『サマーウォーズ』を鑑賞した後にパンフレットや小説版の冒頭に記載されている陣内家の家系図を見ながらもう一度『サマーウォーズ』を観るとより味わい深く人間関係が楽しめるようになるのではないかと思う。映画『サマーウォーズ』は何度も観て楽しむことを想定して創られた作品なのではないかと思う次第である。
さて、この『サマーウォーズ』の中心となる登場人物を紹介していこうと思う。『サマーウォーズ』初見時には主にこの5人を中心にキャラクターの名前や立ち位置を確認すれば十分楽しめるだろう。
私は上記主要キャラ5人の中では、ひたむきな主人公である健二と、どこか影のある侘助さんが好きである。また、主要キャラ以外の親戚の登場人物でいえば、栄さんの次男である陣内万助さんと、陸上自衛隊員でありどこかミステリアスな雰囲気のある陣内理一さんがお気に入りである。
3 15周年リバイバル上映を観て感じた感想
※以下、詳細なネタバレあり
初めて劇場で『サマーウォーズ』を観るにあたって、細かいシーンは忘れてしまっていても大体のストーリーは覚えていたので途中で飽きるのではないかとも思ったが、そんな不安は杞憂に終わった。まず、物語が始まってバーチャル空間のOZ世界が画面いっぱいに現れたシーンで改めて『サマーウォーズ』の世界観に引き込まれた。このOZの世界観は小さなテレビやタブレットの画面ではなく、映画館の大きなスクリーンで味わってこそだと感じた。一人称視点でOZの世界を案内される演出は観客自身がOZ世界の住人に、ひいては『サマーウォーズ』の登場人物の一人となったような感覚さえ覚える演出である。この作品への没入感が終盤における世界中のアカウントを夏希に明け渡すシーンへの熱さに繋がる導線だと思っている。
舞台が東京から長野の陣内本家に移り、健二を交えた初めての陣内家の食事シーンにおける陣内万作(栄の三男。内科医)のセクハラ親父発言は「もし『サマーウォーズ』が令和に劇場公開されていたら初めからカットされていたりしたのだろうか」と思った。平成の時代でも駄目な発言だとは思うが、親戚一同が集まったときの生々しい嫌な親戚描写から逃げなかったことはむしろ好意的に評価したいとも思った。それに、万作さんはその後内科医としてキッチリ仕事をしているシーンもあるから(悲しいシーンではあるが)そこで多少なりとも株は上がっていると信じたい。
また、侘助の初登場から夏希が侘助に抱きついたシーンにおいて、主人公である健二は脳が破壊されたのではないかと不安に思った(初めて『サマーウォーズ』を観た時は「脳が破壊される」という感覚とは無縁の環境にいたはずである)。仮にも夏希の恋人役として健二は慣れない赤の他人との親戚付き合いも頑張っていたというのに、その割にはほとんど身体的接触もないお預け状態での我慢を強いられていたというのに、いくら初恋の人だからといって目の前で他の男に抱きついたら健二も気が気でないだろう。というより、この夏希の侘助への態度で「健二は夏希の恋人」という設定が嘘だとばれてしまいそうだが大丈夫だったのだろうか(その後結局別の理由で嘘はバレる)。まぁ、健二は夏希先輩のお風呂上がりの姿を一瞬でも見ることが出来たのだからトントンといったところかと思うことにした。
ラブマシーンがOZ内で猛威を振るい現実社会が混乱に陥った光景をテレビを通して知った栄さんが「ーこれは、あれだね。敵に攻め込まれているみたいじゃないか」と事件の本質を戦になぞらえて捉えてその後迅速にOZネットワークを介さずに手帳や葉書といったアナログなデータベースを頼りに方々へ激励を飛ばすシーンは何度観てもグッとくるシーンの一つである。健二がラブマシーン騒動の犯人ではないかと疑われていた時には栄さんは周囲のようにすぐに健二を犯人扱いするのではなく「何が起こって、誰が困っているのやら、あたしにはよく分からない」と判断を保留するといった慎重な態度に出ていたりと、陣内家16代目当主として説得力のある描写であったと思う。現実でもSNSの普及で国境を越えて人と人が簡単につながれるようになり、『サマーウォーズ』でもOZによってより密接に他人とつながれるようになる中、昔ながらの人とのつながりを忘れない栄さんの在り方は現代でも示唆に富んでいるように思う。『サマーウォーズ』ではハッキングAIによる社会の混乱が描かれていたが、日本においては自然災害によっても簡単に混乱に陥ることが多いので、いざという時の人のつながり方については一考する良い機会になると思う。地震や津波といった直接的な災害で被害を被る場合もあれば、災害に伴う停電により情報インフラや電子マネーを利用できなくなるといった二次災害、電気が使えなくなることにより流通が滞るといった三次災害…といったところまでを想像できるか、またこうした事態にどう対処すべきか考えるきっかけの一つになれれば良いと思った。
ラブマシーンによるサイバー攻撃は令和においてよりリアリティのある描写になったのではないかと思う。特に、今年はニコニコ動画がサイバー攻撃によって運営が2ヶ月ほど停止せざるを得ない状況になったので、ニコニコユーザーとしては気が気でなかっただろう。普段から当たり前にあると思っていた日常がある日突然無くなると人間は思っている以上に動揺し、混乱し、絶望するものなので、そういった状況に陥ってもいち早く落ち着きを取り戻すために個人に何が出来るか考えるきっかけになるのではないかと思う。そして、普段からインフラに異常が無いか点検したり、非常事態が起こった際に修復してくれる技術職の人に感謝の念を抱かざるを得なくなるとも思った。トラブルが生じていないときは経費の無駄遣いと(無能な)経営陣にみなされてコストカットの対象にされがちなインフラ整備部門の人たちが少しでも報われることを願わずにはいられなかった。
ラブマシーンの騒動を一度は退け、つかの間の休息を味わっていた陣内家にて侘助さんがラブマシーンを開発したのは自分だと告白し、その動機は陣内家に胸を張って帰れるように挽回しようとして、何より栄さんに認めてもらうためにしたということが発覚するシーンを見て、侘助さんと夏希先輩は似ているなぁと感じた。侘助さんが開発したラブマシーンが世間に混乱をもたらしたのは勿論のこと、夏希先輩が健二を自分の恋人と嘘をついて栄さんに紹介したこともどちらも程度の差はあれ悪いことではあるのだが、そのどちらも大好きな栄おばあちゃんを思ってのことというのに共通性を見いだしたのであった。劇場版で言及されたかは記憶がおぼろげだが、少なくとも小説版では夏希先輩は侘助さんから「お前、ババアに似てきたな」と言われたのに対して「へっ?よく言われるけど」と返答しているが、私はむしろ夏希先輩は侘助さんに似ていると感じたのである。少なくとも劇場版の夏希先輩は栄さんのように薙刀をぶん回して「今、ここで死ね!」等と過激な武士のような発言はしないしな。
栄さんと侘助さんの言い争いが終わった後で、健二と栄さんが花札をするシーンが出てくるが、私は映画館でそのシーンを見たときに初めて自分でも思いがけず泣いてしまった。今までテレビ放映された際に同じシーンを見たときは別に泣きもしなかったというのに。何故自分が映画館で観た時はこのシーンで泣いたのか考察してみたのだが、今まで健二が持つことが出来なかった自己肯定感を栄さんが「あんたなら、できる」と認めてくれたことで、健二は心を動かされたのだろうと思った。健二は数学オリンピックに出場しうるほど数学力に長けているのに自己肯定感が低いという描写がなされていた。数学オリンピック出場という機会を逃してしまい自信を無くしてしまったと捉えることも出来るだろうが、私は失敗や挫折のフォローをしたり、そもそも数学力があることを認めるべき健二の家庭が機能不全を起こしていることが健二の自己肯定感の低さを助長させているのではないかと思ったのである。劇場版では健二の両親は共働きで自宅ではほぼ一人きりの時間を過ごしている(小説版では健二の両親は不仲でもあるらしい)という環境下にあり、客観的に見れば数学オリンピックに出場しうるほどの才能があってもそれを誇りに出来るほど自分で自分を認めることが難しい状態にあったのだ。そんな健二を救ったのが栄さんの「あんたなら、できる」という言葉である。そして、この栄さんの後押しが後で健二にラブマシーンの暴走を食い止めさせる活力になったのは間違いない。
健二と栄さんの花札勝負から日付が変わった明け方に事態は急変する。栄さんが急死したのだ。体調不良になった際はアラームが鳴る仕掛けが施されていたのだが、OZの混乱のせいでそのアラームが正常に作動しなかったせいである。残された陣内家の女性陣は粛々と栄さんの葬儀の準備に取りかかろうとする一方、栄さんの次男である万助さんは栄さんの死亡を間接的なラブマシーンによる殺人と捉え、ラブマシーンに対して仇討ちをすることが最優先だと息巻く。このシーンで一番栄さんの血筋を受け継いでいるのは万助さんではないかと感じた。陣内家の女性陣は万助さんに対して「こんな時に何バカ言ってるの」と取り付く島もない様子である。一方で健二を初め少なくない陣内家の男性陣はラブマシーン対策に奔走し始める。令和の世の中だとこうした男女の意識の差を見るとジェンダー論も論じることが出来そうだが、ここではそれは割愛する(私自身がジェンダー論に詳しくないため)。ただ、私個人の意見としては現実的に栄さんの葬式の準備を粛々と進める女性陣の在り方も、ラブマシーンに対して仇討ちを実行しようとする男性陣の在り方のどちらも正しいことだと思っている。どちらも大切なことであり、そこに安易に優劣や是非を持ち込むべきではないと思っている。仇討ちに夢中になることで目の前のご遺体の扱いや葬儀といった事務手続をないがしろにしていい理由はないとも思うし、かといって自分たちの都合だけに集中すると結果的に後で自分たちの首を絞めることになる脅威を放置して言い訳でもなく、その脅威をどうにか出来る手段を持っているのなら(しかも身内が元凶であるなら尚のこと)何とかすべきと思ったからである。万助さんが仇討ちをいの一番に主張した後で健二が万助さんに賛成する姿勢を見せたのは、直前で栄さんに認めてもらったことが大きいと思っている。結局、健二は女性陣の「なんでウチが、こんな時によそんちまで心配しなきゃなんないワケ?」という「正論」に引き下がることになるわけだが、そんな健二を「君の意見は正しい。人を守ってこそ、己を守ることもできる」と理一さんがフォローを入れてくれたことも特に気に入っているシーンである。
そして、そんなこんなでラブマシーン討伐計画が開始される。圧倒的なラブマシーンに勝つために健二達は念入りな準備を怠らない。OZ内のアバター「キング・カズマ」としてのスペックを最大限に発揮するために大学に納品予定のスーパーコンピューターを用意したり、そのスーパーコンピューター用の電源を(強引に)用意したり、さらには自衛隊松本の駐屯地からミリ波通信用のアンテナモジュールまで借り入れる始末。感情的な仇討ちではなくあくまで「戦」と捉えて勝つための準備を念入りに描写することに感心させられた。平野耕太原作の『ドリフターズ』という異世界偉人・武人戦闘漫画において織田信長は「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ。合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っとる。猿(ひでよし)以外本質は誰も理解せんかったがな」と言っていたが、『サマーウォーズ』におけるラブマシーン討伐の準備はまさにこの戦の本質を突いていると言える。『ドリフターズ』が世に出る前に戦の本質をエンタメという形で描写してみせたのは地味に評価されるべき事ではないかと思った。
こうして、第二次上田合戦もとい、ラブマシーン討伐作戦が開始される。PCのスペックを格段に向上させたキング・カズマはラブマシーンと互角以上の立ち回りを見せる。そして、巧みにラブマシーンをポイントに誘導しラブマシーンを幽閉することに成功する。あとはラブマシーンを水攻めして事件は解決かと思いきや、スーパーコンピューターが熱暴走したことが原因でラブマシーンを閉じ込めていた城塞は崩壊し、形勢逆転される。スーパーコンピューターが熱暴走を起こした原因は、スーパーコンピューターの周辺にあった大型の氷を陣内家の親戚の一人である翔太が勝手に栄さんの遺体の周辺に運んでいたためであった。『サマーウォーズ』という物語において翔太のこの行動が「戦犯」と糾弾されることも多いが、ラブマシーン討伐の詳細を知らない翔太が栄さんの遺体が傷まないように配慮した上での行動であるので、完全には翔太の行動を非難できないなぁと個人的には思っている。あるいは、翔太のこの「戦犯」とも呼ばれる行為は、陣内家が栄さんの死をきっかけにバラバラになっていることの暗喩なのかもしれないと思った。陣内家が葬儀にのみ集中するか、あるいは最初から全員がラブマシーン討伐を優先していれば、こうはならなかったのではないかとも思ったからである。
そして、陣内家だけの問題かと思われたラブマシーン騒動はいよいよ世界の危機を引き起こそうとしていた。キング・カズマのアバターまでも取り込んだラブマシーンは人工衛星「あらわし」の軌道コントロールをハッキングし、任意の原子力発電所に落とそうとしているのだ。もし「あらわし」が原子力発電所の真下に落下しようものなら放射線が拡散し周囲の人間や自然環境が汚染されるという甚大な影響が出る。こうした事件を仮に人間が引き起こそうとするならば、その動機は世界を憎むほどの私怨か、テロリズムなり革命思想を実現させるための手段としてなされることが予想されるが、ラブマシーンというAIはあくまで「ゲーム」としてこのような事態を引き起こしているのが心底恐ろしいと感じた。AIに「心」や「人格」があるのか、あるいはこれらが芽生えるのかは不明だが、ラブマシーンは並の人間以上に無邪気な悪意を世界に振りまけるというところに心底恐怖を覚えたのである。ラブマシーンが「ゲーム」と捉えて世界を混乱に陥れる様は平野耕太原作漫画『HELLSING』に登場する「少佐」のようである。「(戦争という)手段のためには目的を選ばない」という信条から(しかも勝敗に関係なく)戦争を愛しておりイギリスを戦火に突き落とす漫画界・アニメ界における有名なナチスの残党のデブメガネのあの人のことである。ラブマシーンの純真な狂気はそんな彼を彷彿とさせるものであったと個人的には思っている。
栄さんの葬式の準備を進めていた陣内家の女性陣も世界がただ事でない事態に巻き込まれていること、佳主馬を筆頭にしたラブマシーン討伐作戦が失敗に終わり万策尽きようとしていたことを悟る。そのような中で栄さんの遺書が発見される。「家族へ。まあ、まずは落ち着きなさい。人間、落ち着きが肝心だよ」と栄さんらしい言葉で始まる遺書で陣内家は落ち着きを取り戻し始める。死してもなお、あるいは死んでしまったからこそ生前栄さんが残した言葉は強力な言霊となって残された陣内家に力を与えているのだろうと感じた。ラブマシーンが「絶望」を人間に感染させる存在であるとするならば、栄さんの言葉は「勇気」を感染させる存在であると感じた。家族をはじめとした人と人とのつながりを破壊しようとするラブマシーンと、家族をはじめとした人と人とのつながりを大切にする栄さんは対比される存在だと改めて感じたシーンであった。そして、栄さんの遺書の中の言葉で特に印象に残っているものを引用する。「人生の名言」として誰かが取り上げてもおかしくはないと思われる至言であると同時に、『サマーウォーズ』の根幹を形成している価値観であると思われるからである。
夏希先輩から栄おばあちゃんが亡くなった知らせを受けた侘助さんも合流して、皆で食事をする。どこかバラバラであった陣内家がついに一体となってラブマシーンと対峙する前の最後の栄養補給シーンである。戦に詳しくない人の中には「こんな大事な戦いの前に食事なんてしてる場合か」と思うかもしれないが、戦においては武力だけではなく補給も確保することが肝要なのである。『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーなら間違いなくそう主張するだろう。それはさておき、改めて陣内家と健二が揃ってのラブマシ-ン討伐作戦が改めて検討される。
こうして、最後のラブマシーン討伐作戦は、ラブマシーンが「ゲームをすること」を目的としている習性を逆に利用して、カジノルームに誘い込みギャンブルで人工衛星「あらわし」の操作に有効なアカウントを取り戻すという作戦である。ギャンブルの内容は花札の「こいこい」、プレイヤーは陣内家の中でも特に天性の勝負感のある夏希先輩が選ばれた。そして、賭けの対象となるOZアカウントとして陣内家全員分をベットすることになった(まるで花京院の魂のようにOZアカウントがベットされるなぁと思ったのはここだけの話である)。ラブマシーンが取り込んだOZアカウントの数と比べるとノミのような数であるが、それでもラブマシーンは夏希先輩との勝負に乗った。順調に勝利を重ねていく夏希先輩。わずかな時間で数千・数万のアカウントを取り戻していくが、それでもラブマシーンの圧倒的な物量には遠く及ばない。そして、一瞬のミスにより逆にラブマシーンにOZアカウントを乗っ取られてしまい、ベットできるアカウントの数が足りなくなってしまう。そんな絶望的な状況の中、陣内家のこいこいの様子を視聴していたドイツ人の少年のアカウントから始まり、世界中から夏希先輩の元へOZアカウントが集結していく。このシーンは何度見ても涙を流すことをこらえきれなかった。
夏希先輩のOZアカウントも勝利確定のメタモルフォーゼを起こし、勝負に出たラブマシーンを正面から圧倒する。こうして、「あらわし」が原子力発電所に落下するという事態は未然に防がれた。しかし、物語はそう簡単には終わらない。ラブマシーンは最後の抵抗として「あらわし」を陣内家本宅直上に落下させようとしているのである。往生際が悪いが、AIとして、あるいは敵として人間臭いところがあるのが憎みきれない自分もいるのが悔しい気がした。そして、今度は健二が瞬時に新たな作戦を実行しようとする。それは、「あらわし」のコントロールを正常に戻すことは諦めて、管理センターからGPSの原子時計に偽の補正状況を送ることで被害を免れるという方法をとることにしたのである。管理センターのパスコードを書き換えるラブマシーン。それにめげずに計算を続ける健二。何度となく計算が解かれてもその度に新たなパスコードが生み出される。そして、いよいよ時間が無くなった時、健二はついに暗算でパスコードを突破するという荒技に出る。あまりの脳内処理によって無意識のうちに鼻血がたれてしまうほどの常人にはできない計算をやってのける。こうして、ネットミームになっていることも知らないであろう健二は「よろしくお願いしまぁぁぁぁすっ!」と叫ぶ。同じ頃、ラブマシーンの解体作業に当たっていた侘助さんから「ラブマシーンの防御力をゼロにした」という報告を受けた佳主馬は取り戻したキング・カズマのアバターの全力パンチをラブマシーンにお見舞いさせたのだ。こうして、「あらわし」の衛星軌道がずれたおかげで陣内家近くの山に「あらわし」は不時着した。その衝撃で陣内家本宅はめちゃくちゃなことになったが、幸いにも死傷者は出なかった。こうして陣内家は、人類は、ラブマシーンという脅威から救われたのである。
こうして慌ただしいラブマシーンとの死闘は終わり、何事もなかったかのように8月1日が訪れる。栄さんの弔問客が訪れている最中、栄さんのバースデーを祝う陣内家一同。そんな中、世界と陣内家を救うのに一役買った健二と夏希先輩は周囲に押されてキスするような雰囲気が作られる。勇気を出して健二からキスしようとするが、鼻血が出てキスはいったんお預けになる。すると、夏希先輩の方からキスをしたことで健二はいよいよ鼻血が止まらなくなりぶっ倒れる。世界を救った英雄としては締まらない姿だが、青春真っ只中の男子高校生にはこれ以上無いご褒美だろう。そんな様子を天国で見ていたかのように、遺影の栄さんも表情がにっこりとした笑顔になっている。夏希先輩の恋路について栄さんは不安と責任を感じていたことから一安心したと言うべきだろうか。そんなわけで『サマーウォーズ』はハッピーエンドを迎えながらエンドロールが流れる。
現代において家族の価値観も多様を極めて一様に昔ながらの家族ないし親戚観が無条件に肯定されるわけではなくなった昨今においては、「これが理想の家族の在り方」と押しつけるわけにはいかないだろう(それこそ、「毒親」だの「親ガチャ」だのといった言葉が市民権を得ているように、家族だからこその苦痛を感じたり息苦しさを感じている人も少なからずいるだろうし、そういった人たちの存在を忘れていいわけでは勿論ない)。しかし、それでもあえて真っ正面から「家族って面白い!」というメッセージを描ききった細田守監督は一流のクリエイターだなと感じた。おかげさまで、こうしたnoteを初の劇場公開から15年越しに書くに至ったのである。「オモチロイ作品を世に生み出してくれてありがとうございました」という感謝の言葉しか見つからない。
4 小説版『サマーウォーズ』との差異
映画『サマーウォーズ』はノベライズされており角川文庫から刊行されている。このnoteの投稿をするに当たって細かい台詞もなるべく忠実に再現しようと思って角川文庫から出版されている『サマーウォーズ』(原作:細田守著、岩井恭平著)を購読した。勿論、ストーリーの大枠は劇場版『サマーウォーズ』と変わりは無かったが、細かいところで劇場版の『サマーウォーズ』とは異なる描写がなされている。冒頭の始まりからして、劇場版と小説版とでは異なる。劇場版は最初からOZという仮想ネットワークの世界観の紹介デモムービーから始まるが、小説版はそのシーンの前にオリジナル描写として夏希先輩が久遠寺高校物理部部室へ行く前のシーンが追加されている。その道中で栄さんと夏希先輩との間でメールで「恋人を連れてくる」というやりとりがなされている。こうして、夏希先輩は「後に引けない」状況になっていることが明示されるのである。
また、キャラクター造形も劇場版とは細かい点で異なっているところもある。先述したが、主人公の健二は家庭では両親が共働きであることから一人きりで過ごしていることが多いというだけではなく、両親が不仲であるといったことが追加されている(栄さんが存命の陣内家との対比として小説版で追加された要素なのだろうかと推察している)。そして、夏希先輩についても細かい点で描写が劇場版と異なる部分がある。夏希先輩の初恋の人が侘助さんというのは劇場版と変わりは無いのだが、小説版ではそれに加えて親戚以外の男の子とは手をつなぐこともできないという設定が追加されている。さらには、映画版では明示されていない登場人物達の行動の動機や内心の心情といったことも追加で描写されている。細かい点では劇場版の描写と異なるかもしれないが、健二が数学オリンピック出場を目指そうとした目的や、夏希先輩が健二をアルバイトに誘った理由や侘助さんを気にかけている理由、侘助さんがラブマシーンを開発しようとした本当の動機などは小説版の方で詳細に語られている。もし映画版『サマーウォーズ』を観て登場人物の心情考察をしたいと、より『サマーウォーズ』という作品を味わいたいのであれば、小説版の『サマーウォーズ』は貴重な資料となることだろう。
何より、ここで私がわざわざ小説版『サマーウォーズ』に言及した理由は小説版はラストが劇場版とは異なっているからである。栄さんの葬儀兼誕生会をするまではほぼ一緒であるが、健二と夏希先輩の恋愛模様の結末が異なっている。劇場版は夏希先輩が健二にキスをしてくれたおかげで健二は報われた感があるが、小説版はその辺りは「お預け」を喰らっている。というより、健二の方から告白やらなんやらを保留にしているのだ。小説版では健二はラブマシーン騒動の説明責任を果たすため警察に出頭することを優先するというのである。健二は理一さんの操縦するオートバイに乗せられて警察に出頭する道中でサイバーテロ対策にスカウトされたり女の子にモテる秘訣を聞いたりとオリジナルのエンディングになっている。個人的には劇場版のエンドの方が好きではあるが、映画で作品を観るのと小説として作品を読むのとでは物語の没入感やリズムといった諸々の感覚が異なっているからなのだろう。
映画だと90分ないし2時間という尺に収める必要があるが、小説ではそういった枷はなくなるので、文字だけで作品世界に没頭してもらうためにより詳細な描写が追加されていたり、細かい描写の変更がなされているのだろうと分析している。あるいは、映画版と小説版とで微妙に違う結末をそれぞれ楽しむというのが健全に作品を楽しむ上で大事なのではないかと思う。一つの作品で二度美味しいみたいな発想を持てれば映画版と小説版の違いが生じていることにある程度納得も出来るだろう。少なくとも、映画版を先に観てから小説版を何も知らずに読んで(あるいは、映画版と全く同じストーリー展開だということを期待して)読み終えた後で「映画と微妙に展開が違う!結末が違う!ムキー!」と解釈違いを起こして怒るようなことになるよりは、微妙に映画版と小説版では細かい部分が異なるということを予めお伝えしたかったのでここに記載することにしたのである。
5 『サマーウォーズ』製作・公開時における時勢の分析と令和の現在におけるリバイバル公開の意義
『サマーウォーズ』が最初に劇場公開された2009年は世界的に不安定な状況の真っ只中にいた。サブプライムローン問題を発端としたリーマンショックが世界的な不況を生み、日本では自民党から民主党(当時)への政権交代も起きた。先行きの見えない現実の中で多くの人が不安を覚える中、『サマーウォーズ』制作陣はいつの時代においても普遍的な価値を持つものとして「家族」を取り上げ、SNSをはじめとしたコミュニケーションツールを肯定的に捉えた上で現代の家族の在り方を汲み取った爽快なアクション映画として『サマーウォーズ』という作品を生み出した。
『サマーウォーズ』の舞台の一つとなる仮想世界OZが生まれた背景をひも解いていくと、懐かしさと時代の趨勢を読み取ることが出来る。『サマーウォーズ』のパンフレットに「仮想世界OZはどのようにして生まれたのか」という項目があり、細田守監督によると仮想世界OZを発想するきっかけとなったインターネット技術がいくつかあるのだが、その代表例が令和の世になると時代を感じざるを得ないのでここで紹介する。まず、2009年代においてもSNS=ソーシャル・ネットワーキング・サービスという言葉自体はあったようだが、その代表として取り上げられていたのが「mixi」であった。FacebookやLINE、TikTokといったものが出てくる前にmixiというものがあったのだというのが時代の流れを感じさせる。また、ビデオゲーム機の「Wii」もOZという世界観を生み出すのに取り上げられたゲーム機なのだが、これもまた時代を感じさせるコンテンツとなっている。Wiiは「家族の誰もが楽しめる」というコンセプトで開発されているから『サマーウォーズ』にはうってつけのハードゲーム機なのだろうが、令和の現代においては「ニンテンドースイッチ」という新たなゲーム機が普及するとは誰が予想できただろうか。まして、世界的なコロナ禍に伴う住み込み需要がニンテンドースイッチの普及に一役買うことになるなど誰が予想できただろうか。
『サマーウォーズ』公開から15年が経過した2024年現在。日本の元号が平成から令和へと変わり時代はどうなったかといえば、2011年3月11日に東日本大震災という未曾有の災害が日本を襲い、2020年には新型コロナウイルスが世界中に蔓延し世界中の人間が行動を制限され世界の渡航や流通にも影響を与え、音楽やエンタメ業界は感染防止のために多大な苦労を強いられるようになるなど、『サマーウォーズ』公開時よりも更に先行きの見えない状況に陥られることになった。また、2024年現在においては個人情報はOZのような仮想現実にひとまとめにされ買い物や行政手続もネット空間で完結するには至らないが、ネット上のアカウントやサービスはグーグルに統一されるのが珍しくなくなり、日本の行政においてはマイナンバーが公布され徐々に行政の効率化が進められるようになるなど、徐々に『サマーウォーズ』の世界に近しい状況になっている。だからこそ、非常事態にどう対処すべきか『サマーウォーズ』から学べるところは多くあるように思う。さらに、『サマーウォーズ』ではラブマシーンというAIが猛威を振るうことになるのだが、現実でラブマシーンのようなAIが世間を騒がせることはないにせよ文章や画像を生成するAIが普及するようになるとは『サマーウォーズ』の公開当初は思いもしなかっただろう。今後もAIによる世の中の変化には注目が集まる中、改めてAIが世間を騒がせることになった『サマーウォーズ』という作品を取り上げる価値があるのではないかと思っている。勿論、『サマーウォーズ』を夏のエンタメ作品として難しいことを考えずに楽しんでも良いと思うが、社会論、家族論、SNS論、AI論、軍事論、戦略論…といったように、色々な考察なり論点が眠っている作品であると思っている。令和の世の中だからこそ、今一度『サマーウォーズ』という作品は見直されるべき時に来たのではなかろうか。
6 さいごに~『サマーウォーズ』復活上映が夏の恒例行事にならないかという願望~
ここまで『サマーウォーズ』という作品について長々と語ってきたが、私がもっとも伝えたいのは、『サマーウォーズ』公開15周年記念ということで2週間の限定劇場公開がなされたが、出来れば2週間と言わず8月いっぱいまで公開して欲しかったということと、来年以降の夏も復活上映をして欲しいということである。『サマーウォーズ』という作品は私の中では「新古典」的作品となっている。今や配信という形で映画を自宅に居ながら手軽に視聴できる時代にはなっているけれども、あえて劇場に足を運ぶという労力を費やす価値が『サマーウォーズ』という作品にはあると思うのだ。既に語ったことではあるが、OZの世界観やそこで繰り広げられるラブマシーンとの戦、世界中のアカウントが夏希先輩のアバターに集まるシーンなどは映画館のデカいスクリーンとしっかりした音響で味わってこそ味わい深いものになると信じている。あるいは、テレビ放映や配信などで話自体は知っていても映画館で「体験」するとまた違った感想が生まれてくるかもしれない。そんな体験を一人でも多くの人にして欲しいと思っている。
私自身は8/6という終盤の上映回で観に行くことができた。それが初めての映画館で観る『サマーウォーズ』となり、最後の上映となる8/8にもう一度観ることが出来そうだったので最寄りの映画館に行ったが、その映画館に着いた時は『サマーウォーズ』のチケット販売欄に「SOLD OUT」という表示が現れ、私は結局最後の『サマーウォーズ』上映を見逃してしまった。2週間という期間は『サマーウォーズ』という作品を味わい尽くすにはあまりにも短すぎる。『サマーウォーズ』が上映されている間は、私の夏は楽しい極上の”ENDLESS SUMMER”になるのだ。どうか、私のような悲しい思いをしなくて済む人が一人でも増えるように、来年以降の夏にも『サマーウォーズ』を復活上映させて欲しい。単純に上映するだけでなく、現代の映画館は巨大で美麗なスクリーンと上質な音響が特徴のIMAXや座席が動くアトラクション型シアターの4DXといったものもあるし、上映形態によっては通常の上映回以外に観客が声を出してもいい「応援上映」といったものもある。『サマーウォーズ』で応援上映がなされれば、最後の「こいこい」のシーンで観客は劇場でより一層の一体感を持って作品を楽しむことが出来るようになるだろうと確信している。
そういうわけで、気持ちは早いが、来年以降の夏にも劇場での『サマーウォーズ』の復活上映がなされることを希望している。あの夏の物語の再演を今年で終わらせるのはあまりにももったいないと思うのだ。勿論、物語を楽しむだけなら自宅でいくらでも出来るだろうが、ただ自宅で観るだけでは味わい尽くせない「体験」をするには、やはり劇場上映という形が一番ふさわしい。『サマーウォーズ』という作品を味わい尽くせる可能性はまだまだ眠っていると思うので、どうか可能な限り早く、遅くても5年後の上映20周年記念くらいの年には再び映画館での『サマーウォーズ』の熱狂を復活させて欲しいと願うわけである。
7 2024.9.4追記~『サマーウォーズ』4DX上映を観た話~
つい数日前、何気なく最近行かなくなってしまった方の映画館の上映スケジュールを確認したら(私の住んでいる地域では映画館が複数ある)、『サマーウォーズ』の4DX上映をしていることが発覚した。調べてみるとどうやら8月23日から1週間限定で『サマーウォーズ』の4DX上映をしているようだった。私の住んでいる地域では4DX版の上映開始時期が遅かった影響なのか、9月5日(木)まで上映する予定である。来年の夏にでも『サマーウォーズ』の4DX上映が実施されないかと8月中旬にこのnoteの投稿で主張したのが天に届いたのか、予想以上に早いタイミングで『サマーウォーズ』の4DX上映が実施されることになった。せっかくの機会なので、『サマーウォーズ』4DX上映を9月3日(火)に観に行くことにした。
4DX上映をしているユナイテッドシネマに長らく行っていなかったせいで会員カードも作っていたのにいつの間にか更新期限も過ぎてしまい、最初から会員登録をする羽目になってしまった。もっとも、新しくカードを作る際にカードのデザインの一つが最近上映が開始された『きみの色』仕様だったので、そのデザインのカードを選ぶことにした。不幸中の幸いであった。そんなこんなで会員登録も改めて済ませ、4DX版の『サマーウォーズ』のチケットを購入した。4DXの座席自体はそこまで数があるわけではなかったが、座席の残数には余裕があった。なので、真ん中辺りの席を選んだ。上映開始時間になると、今後の上映予定の映画の予告が数本流れた。ここまでは通常の映画の上映と変わらない。しかし、4DX上映の場合は本編映画の上映の前に4DXが具体的にどのようなものか、デモンストレーションが行われる。しばらく4DX上映を観に行っていない間にいつの間にかデモンストレーション映像が変わっていた。以前まではアクション映画のようなカーチェイス映像に合わせて座席が動いたりしたのだが、今回は海上から海中へ移動し、いつの間にか宇宙に移動するデモムービーに合わせて座席が動いたり水しぶきが出たりした。海洋恐怖症の人にはキツい映像かもしれないなぁと思ったりした。久しぶりに4DXを体験したせいなのか、あるいは初めての映像で体験したせいなのか、予想以上に座席が揺れ動いた用に感じたので『サマーウォーズ』本編を見ている途中で酔わないか少し心配になった。4DXのデモムービーが終わった後に観客席からどよめきの声が上がったが、このどよめきの声が思わず溢れるのが4DX上映の醍醐味の一つであると密かに思っている。
そんなこんなで『サマーウォーズ』本編が始まった。OZの世界観紹介ムービーに合わせて座席が揺れる。思いの外最初からグオングオン揺れ動くので個人的にはこれだけ座席が揺れ動くとOZの世界観に逆に浸れなくなるのではないかと思ってしまったが、人によってはまさに体験型アトラクションといったようにOZの紹介画面が移動するのと一緒に座席が揺れ動くのを通常の映画視聴のとき以上に楽しんでいる人もいるかもしれないとも思った。映画の世界観に静かに浸りたい・考察をしたい派と、とにかく刺激的な体験をしたい派で同じ4DX体験をしても意見が分かれるかもしれないと思った。私はどうやら前者のようであったのが今回の4DX体験で発覚した(『サマーウォーズ』に限った話かもしれないが)。せっかくの『サマーウォーズ』4DX上映だというのに否定的な感想から始まってしまったが、キング・カズマとラブマシーンの戦闘シーンにおける4DXはなかなか良かった。座席が揺れ動くだけでなく両耳の上を風がヒュンヒュンと発射される演出や背中がボコボコと叩かれる演出はより戦闘シーンの臨場感を際立たせるのに一役買っていると感じた。キング・カズマやラブマシーンといったアバターが縦横無尽にOZ世界を移動するのに合わせて座席が動くのも段々違和感が無くなってくるように感じた。話が進んで夏希先輩の元に世界中からアカウントが集まるシーンで涙というセルフ4DX演出イベントが発生するかと思ったが、流石にそんなことはなかった。流石に何度も観ていると話の流れも記憶しているので涙も自然と引っ込んでしまったようだ(それでもごく稀に何度観ても泣いてしまう映画もあったりするのだが)。もっとも、もし初見で『サマーウォーズ』を観ていたらセルフ4DX演出をする自信はあったと間違いなく言える。
そうこうしている内にあっという間に『サマーウォーズ』4DX版の上映が終わった。内容の詳細は上述の目次の通りなのでここで改めて説明は繰り返さない。4DX料金は通常料金より割高になってしまうが、それでも十分楽しめたと思う。もし映画観で『サマーウォーズ』を観たことがないという人が読者の中にいるとしたら、恐らく今年中に映画観で『サマーウォーズ』を観ることが出来る最後のチャンスかもしれないと思ったので今回の項目を急遽追加した。『サマーウォーズ』未視聴者は、あるいは『サマーウォーズ』を4DXで観てみたいという人は自分の最寄りの映画館の上映スケジュールを確認してみて欲しい。そして、もし運良く『サマーウォーズ』がまだ上映されているのなら、是非劇場まで足を運んで欲しい。今回私が伝えたかったのはそれだけである。
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