年の齢 -トシノヨワイ-
ご来場ありがとうございます、ハルヤギです。
他愛もないお話です、聞いてください。
この前若い人と話をしていて、ふと気になることがありました。
年齢による自覚作用です。
僕が勝手に思い込んでいた、誰にでもあろう年齢による自覚ってものが、その若者にまるでなかったことに少し驚きました。
ましてそれは若い世代の年齢であるほど、色濃く感じるものだと思っていましたので。
もちろん一人ひとりの人生にはストーリーがあり、節目も違うハズだとは思います。
けどそれ自体がなかったのです。
僕の例を挙げてみますと
10歳になる時
「やったー!十年も生きた、ケタが増えた!人間として見てもらえそうだ」
15歳になる時
「ケッ、なんかめんどくせぇ事になったな」
18歳になる時
「やっと車乗れるぜ!ほぼ大人じゃん?よーし、ハタチになったらタバコでもやめっか」(早生まれの引け目をこの歳まで感じました)
20歳になる時
「なんだ、ハタチって大したことねーな。悪いことはしねーでおこう。堂々とスナック行けるぜ!やっぱタバコやめんの無理」
22歳になる時
「うわ、二十二だって。少し考えなきゃな、慎重に行こう」
(このあたりから歳は取りたくないと思うようになりました)
26歳になる時
「まずい、四捨五入したら三十!?仕事もプライベートも良い感じだけど、そろそろ結婚について意識しないとなぁ」
30歳になる時
「いよいよ三十かぁ、おっさんかよ。でもやっと一人前として、大黒柱として、なんとか切り盛りして行こう!」
40歳になる時
「もう四十!?まだ四十!? まぁそろそろ折り返しかな。幸せといえば幸せだけど本当にこのままでいいのか?今の延長の人生でいいのか?しかし年を取るのはなんとなく面白いな」
(静かに中年のクライシスへ)
※「」内は当時の語り口調です
こうして見るとかなりいい年まで自立できてなかった事がわかります。
われながら幼稚で、余計な経験ばかりしていました。
あえてネガティブな出来事は外してありますが、大変ありがたいことに大きな病気や怪我もなく、厄年なんてものは気にしたことがありません。
現在に至っては、お客さんなどと話す時にも自他の年齢など気にせず、
(聞かなくても概ね把握できる)
子供たちの成長のついでに、たまに自分がいくつになったか気がつく程度です。
(生年月日の記入を間違える)
ちなみに年齢ではなく、出来事としての大きな転機は、23歳の時です、それはやはり人との出会いでした。
…さて、次の節目はいくつかな、
定年を迎える65?
いやそのころには定年は70歳に引き上げか?
というか個人事業主だからリタイアできない?!
やっぱり親たちがよく嘆いている80の壁の時か?(そんな壁はない)
世のため人のため、なんて都合のいい事は言うつもりはありませんが(以前はそれが正義だと思っていた)
いずれにしても、ただ年をとるだけではなく、
自分の"ワガママっぷり"をどう表現してゆくのか、人間であることをどのように浸透させてゆくのか…
それと同時に明日死ぬかもしれない覚悟
百まで生きるかもしれない覚悟
いつでもそのような狭間にいるという難しさに翻弄されながら、もう少し年輪を重ねて生きたい。
そういった心境です。
あ、ひとつ忘れてはならないことがあります、
「未来は必ず明るい」
ということ
覚えておいてください。
最後に、
みなさんのこれまでの人生の中で、一番大きな節目となったのはいつでしたか?
よかったら聞かせてください。
おつきあいありがとうございました。
読んで下さいましてありがとうございました。サポート頂けましたら幸いですm(._.)m