卑劣な心
訪問ありがとうございます、ハルヤギです。
突然ですが、他人(ひと)には無い、何か特別な事情や能力をあなたは欲しいと思ったことがありますか?
私は最近つくづく思います。
人生の折り返し地点を過ぎたであろう年齢にもなり、まだ人生をあきらめる事ができず、山を下る勇気が持てずにもがいています。
俗に言う中年の危機です。
時間的猶予も無く、ワラにもすがりたい思いでいる私は、人より優れた事じゃなくてもいい、たとえそれが病気や障害と区別されることであってもいい。
それだけで人の気が引ける、"その他大勢"では無くなり動機づけにもなる。
そんな事を心のどこかで思っていたりするわけです。
なんて姑息で意地の汚い臆病者なのか、そんな風に感じています。
しかし、それに関して全く心当たりが無いわけではないのです。
アダルトチルドレン。
簡易チェックを二種類ほどやってみたのですが、両方とも「可能性あり」となりました。
ただ自分がその結果を期待するがゆえに、チェック項目を意図的に選んでいたのかもしれません。
都合がいい、というか自作自演、かもしれない。
考えようによっては意図するもの全てが自作自演で、あとは圧倒的な割合を占めている無意識の決定に従う。
つまり自分の意思で執り行うことは所詮は卑劣だということ。
卑劣でしか生きられないのであれば、こんなに楽なことはない、人間的成長というのも何となく報われる気がします。
私は以前、自分の胸の内で起こる「葛藤」が素晴らしいと感じていたことがあります。
なぜ素晴らしいか、おそらくそこに人間味を感じ、生きているというか、自分の意志のようなものを実感することができたからです。
少し気持ち悪いですよね(笑)
ただそれは自分を俯瞰するというスキルが予め身についていたから。
言い方を変えてみると、自分が自分の中におらず外側にいるような感じ。
これはつまりアダルトチルドレンの特徴である自分の軸がない、とも似ています。
そしてもうひとつ、十代の頃から最近に至るまでとにかく周りの人の目を気にしてばかりいました。子供の頃は常に引け目を感じ、友達や兄弟と常に比較され、過保護に育てられたあげく、恩を着せられる。
思い起こせばそういった状況でもありました。
もちろんそれが良い悪い言うつもりは無いし、ありがたいと思うことも多々あります。
私が何を言いたいかといいますと、過去のことも今現在のことも、全て自分の都合のいいように意味付けをすることができる、ということです。
それはつまり卑劣(意味:することが正々堂々としておらず、いやしくきたならしいこと)なやり口であり、やれ恩返しだ、やれ感謝だ、やれ思いやりだ、やれギブ&ギブだと、いつでもどこでも気品に溢れたような幻想を作りだすことができる。
そんな幻想は子どもたちに刷り込まれ、やがて私たちのような醜い大人へと"成長"する。
家族のため、国のため、みんなのためだと思い込むけど行き着く先は己のため。
そう、人は自分のためにしか生きられない運命なんだよね。
そんな卑劣さを、私はもうしばらく愛してみようと思います。
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