健常者として過ごす私の「理想」と「現実」② 朝活夜活無理ゲー気味じゃない?
ASDとADHDを併発し、アダルトチルドレン要素もある私が感じている理想と現実。
今回は、生活リズムの中に取り入れたいことを。
朝活がはやり始めたときから「早起きしてフレッシュな活動をしたい」子どもが産まれたら、「寝かしつけの後に自分時間をとれる!」と思っていましたが、、、
現実は、無理じゃない?
ということについて考察してみます。
取り入れようと思ったこと
取り入れたいと思っていることはこんなことでした。
実際はどうなったかというと・・・
【考察】なんでそんなに取り入れるのが難しいのか
そもそも、生活に取り入れようと思ったからには、「実現できるかも!」という思いがあってのことだと思います。
実際、朝活は「朝起きて自分の時間を」という話を聞いて、夜更かしするよりいいなと思って取り入れたいと思っていました。
また、寝かしつけの後の自分時間については、
「子どもは寝るのが早い。私はいつも11時くらいまで起きている。だから寝かしつけしたら好きなことができる時間が持てる」
と思っていました。
そんな考えに、誤算があったのです。
誤算①「子育て大変!」
子どもが産まれると、1人でいたときよりも、体力と精神力をよく使います。
よく使えばそれだけ疲れます。睡眠時間がより必要です。
しかしこちらの思惑通りに動いてくれないのが子ども。
着替えや歯磨き、入浴など、ぐずったり嫌がったり渋ったりでなかなか進みません。その対応に体力と根気と精神力を使います。
そして就寝時間がずれ込んでいきます。その結果、朝活や寝かしつけ後の自分時間は、睡眠時間へと変化を遂げました。
いわゆる「ふたを開けてみたら…」状態でした。
しかし、世の中には実際に朝の時間も夜の時間にも自分時間を持てる人たちがいるのです。
その人たちと私の違いは何なのか?
そこに二つ目の誤算がかくれていました。
誤算②「もともと発達民は精神力を使っていて疲れやすい」
子どものころを振り返ると、結構疲れやすくて、バイトや遊びもそんなに入れられずにいました。
特性はあるけど軽度です。とかグレーゾーンです、みたいな人は、必然的に健常者の中で健常者として過ごす必要が出てきます。
特にASDの特性のある人は真面目な人が多いらしく、私も真面目の部類でしたので、「みんなと同じにならなきゃ」といろんな神経を研ぎ澄まして対応していました。ずっと緊張状態でした。
それは社会人になっても同じです。経験で積み重ねたスキルのおかげで楽しく感じる時もあるけど、根本的にはやはり疲れを感じます。
・・・そんな私が睡眠時間を削って朝の時間なんて、レベルが高すぎるのかも。
そう考えると、朝活できた日なんてあったら「ブラボー」と言いたくなります。
朝活や夜の自分時間は「できなくて当たり前」と思ってもいいんじゃないでしょうか。
発達民にとって睡眠を削って取り入れるものは難しい
朝や夜、睡眠時間を削ってできる自分の時間は、発達障害者にとってはレベルの高いことなんだという考察ができました。
自分の要領が悪い「だけではなかった」
これに気付けたのが私にとってとてもいいことでした。
ただ、そうはいってもないと困る「自分時間」
どうやって確保していったらいいのか、はまた別の機会に考えてみたいと思います。
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