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鮨やの大将と,野暮な客と,現実原則について

昨日診察を終えてから
ふらふら,自転車を押しながらxx病院を出た
交差点で信号が青になるのを待ちながら
心の中で一斉に鳴っていた言葉,それは

現!実!原!則!

心の中の密室で,私の中の,
いつもは全然役割もキャラクターも異なるエゴ・ステイトたちが
パンクバンドのライブみたいに頭を縦にふりながら
ジャンプしながら(けれども,サイレント・モードで)叫んでいた

現!実!原!則!

現実原則をつきつけられるとき,
私はなぜか,快感みたいなのを感じている気がする
(自己内に自己がたくさんいて,
認知や思考にズレがあるから,いつもざわざわしている
けれども,その全員が現実を受け入れるという瞬間があると,
独特のスッキリ感が伴うためだと思う)

先生は,きのうは私から目を逸らさなかったし
ああしろ,こうしろとは言わなかった
ただ,できることとできないことを伝えていた
私の中のヘンテコな意見を言う人々の言葉も一応,
聴く時間もとってくれた

きのうのハイライトは,先生が
うちはサービス悪いんだ,と言ったところ
あれを言ったときは自虐とか諦めみたいな雰囲気はまったくなくて
むしろ自信というか,なんだろうね?
風格?格好良さが出てたんだよねえ

どういう意味だろうなぁと,あのあと
考えてたんだけど,そういえばさ
あれって鮨とか蕎麦の名店の大将が言う台詞みたいだったよね

うちは,サービス悪いんだ
と自ら言う人は
何か別の,もっと価値あるものを提供していると
自負してる人だ

あなたが最も欲しいもの,よそでは得られないものを
私は提供しているはずだと
つまり先生は,そういうことを言ってたのだ
サービス求めるならよそ行きやがれぃ,
とまでは言ってないけど
そうね,偉そうにはきこえなかったけど

だけど私,そもそも,
そんなにサービス悪いと思ってないんだよね
私がたくさん質問するのは,
むしろ情報が不足してるところを補おうとして訊いてるだけなんだけど
だいたい,野暮なんだよねきっと私の質問って?

なんかあるじゃん,何も看板出してない店
で,いつあいてるか,いつ閉まってるか,
何のメニューがあるかもよくわからないわけ
でもツウの人が通ってるわけ,
いろんなルートでそのお店の常連さんになってさ
季節がきたからって,その季節のもの食べに行ったりしてるわけ

そのツウの人も,昼間はそのお店の話なんかせずに
普通の顔して仕事してるの
そういうお店にのこのこ行ってさ
だいたい水曜しかあいてないなぁって分かってるのに,あえて
「日曜あいてないですよね?」
「チーズかけてもらえないですよね?」
なんて質問するのは,野暮の極なんである

なんか話がそれたな
つまり,何がいいたいかというと

現実原則をつきつけられるのは,
実は気持ちがいいことである

それを気持ち良く感じるのは,
私の特性なのかもしれないけど

ああ,ここうごかないんだ,
行き止まりなんだ
って分かったら,すっきりする,次へ行ける
でもそれ,自分で確認して,
ほんとにそうだなって納得しないと次へ行けなくて,
苦しいの

なにがあきらめるべきことで
なにがそうじゃないかを見極めるのも,
自分の中の誰かが納得してなかったら,
その子を納得させるのも
私にとっては,長期的に考えて心の健康を保つために必要なんだ

だけど,洞窟で迷ってるみたいな状況で,
何回も「ここ開くかな?」「こうしたら開くんじゃない?」
ってやってみてても,体力も資材も消耗して,
どっちにしても時間切れで死んじゃう,みたいなことが起きる

そんなとき,ここは動かないよ,本当に動かないよ,ほらみてごらん,開かないっしょ,さわってみていいよ,けっとばしてもいいよ
ね,あきらめた?残念だけどよそへまわってくれ,
って効率的に教えてくれること?あきらめる手助けをしてくれること?
っていうのが,むしろ気持ちのいいことなんだよね
変な言い方だけど,

命に関わるような重大な意思決定については
yesです,noです,って一言、結論だけ言われたくらいじゃ
納得できないのが当たり前のような気がする

それは,これまでに
(なんかおかしいな,そんなはずないな)
って思ったとき,自分で確認してみると,やっぱりそっちの方が正しかった
っていう体験があるからなんだろうと思う

そんな中で,情報を信じられるとすれば
その,現実についての情報を伝えてくれてる人が
私の味方で,私の健闘を祈ってくれてると分かることが
もしかしたら1番大事かもしれないと思う

話をしていて,私にとって不都合なことを話す間も
そういう(先生が私の味方であるという)雰囲気が感じられた
(それは会えるときにちゃんと会って,これまでの処置もしてくれてるから,チューニングが,わりと合ってたおかげじゃないか
そうそう,チューニングってやっぱり大事なんだ,
手術してもらったり,処置してもらったりすることでも
チューニングは合ってくる,だから,手術した病院で,
これまでのじたばたに立ち会ってくれている先生と
治療を続けられるのが,長く安心して治療を続けるには
大切な気がする)

先生は,この日も私がひととおりじたばたするのを一応きいてくれて(忙しいのにね),でも,現実原則をつきつけてくれた
このちょうどいいところまでじたばたさせてくれるさじ加減
(パーソナリティ障害治療のお手本みたい,
がん患者とパーソナリティ障害の精神状態には共通点があるのかも)

ともかく「もう一度考えて」「来週も来て」と先生が言ったから,
(そのときは,くらくらしたが)
そのおかげで,自己内でもだんだん,意見が一致してきた
よく眠れたし,ちゃんと回復した
おかげで私は今朝,安心してるんだなと思う

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