見出し画像

日本は平等を目指す?公平を目指す?

冒頭

社会に出るまでは、女性が優遇されていると思っていた。
だが、それは公平な世の中だったのかもしれないと今は思うのだ。

そして、この公平も当たり前と感じてはいけない。
公平というものを重じている者達が努力するからこそ保たれている世界であるという事実は社会に出るまでは意外と知らない。

社会に出てからは、男性が優遇されるように見えているかもしれない。
しかし、それも公平であることの事実であるのだ。

平等な世の中を目指すのか?

私は、平成生まれである。
昭和の時代は何も知らないが、過去の文献や昭和を生きてきた者達の話を聞くと思うのだ。
日本は今、平等な世の中を目指しているだと。

『男尊女卑』そんな言葉が囁かれたのは、随分前のように思う。
だが、世の中は未だに男尊女卑だと叫ぶ方々もいるのだと聞いた。

確かに、男性管理職の割合や政治家の男性割合は他の先進国と比べてもかなり偏ったパーセンテージになっている。

しかし、女性が起業する割合は増えたのだろうか。
法律や憲法で女性が社長になれないなどという法は見たことがない。
加えて、政治家だ。
政治家は女性でも男性でも条件を満たしていれば誰でも選挙の場に立つことが出来るのだ。
男性と女性の生涯年収の差を引き合いに出す方もいるが、それは女性が途中で家庭に入ることを選択し、専業主婦やパート社員という選択肢に進んでいるということがあるのも事実だと思う。

以前は子どもを産むという選択をしていただいた女性を男性が守ってあげるという構図が昭和の家庭だったはずなのだ。
今は子ども産まないという選択肢もあり、産む選択肢がある。男性は女性の生き方を気にしない。これが平成であり、令和の家庭になるのだろうか。

否、違うのだ。
男性は女性の生き方を気にしないなんてことは出来ない。
それは、子どもを産むか産まないかは私の自由だけど、あなたはしっかり私のために働いてね。という威圧と社会の仕組みがあるからである。

女性の年収が500万、男性の年収が500万で家庭年収1000万。
という平等はすでに破綻しているのだ。
以前はよかった女性は家庭に入り、子どもを育て家を守るという仕事をしていたからこそ、男性が年収1000万稼いできたら良いのだ。

しかし、現在の状況として私は専業主婦にはなるけど、家の手伝いは半分ね。給与は私と貴方の稼いだもので家のことじゃなくて私が遊ぶお金でもある。

男性もそうだ。
稼いできていないならは家の家事は男性も参加するべきである。
女性がパートでもアルバイトでも一瞬でも働いているのなら、必ず家事に参加するべきなのだ。
子どもの育児も家の家事も、そして家計の稼ぎも女性が参加しているのに対して、俺は家庭収入の8割稼いでいるから育児はしない、家事にも参加しない。ふざけるな!

本当の平等はそんな生優しいものではない!
皆が同じ苦労を同じだけ行い、心身共に分け合うことなのだ。

今の日本は公平でもなければ、平等でもない。
お互いが相手に依存する。共依存を美しい言葉に置き換えて平等などと吹聴しているのだ。そんな輩は『日本から出て行ってくれ』と私は思う。

楽なのは公平であること

話が脱線してしまった。申し訳ない。
結論をお話すると、結局は公平であることが1番楽なのである。

公平であるということは、お互いの弱点や不足をパートナーが補うことなのであるからだ。
女性に経済力という弱点があるなら、家庭を守るという力を行使する代わりに男性は女性の弱点である経済力を補い、家庭にいないから女性に守ってもらうことなのだ。

そして、子どもを産むことができる女性が産むことの出来ない男性と子どもを育むのだ。

公平なことほど、幸せな世界はないと私は思う。
私は女性の味方でも、男性の味方でもない。

どっちかの味方に見える方は、きっと自分のことを言われているのだろう

最後に

子育ては男女ともに参加し、子どもの夜泣きを一緒に悩み、勉学に励ませ、立派な社会人として社会に送り出せる人物を作るべきだ。

ここまで書いてきたが、正直私は平等でも、公平でもどっちでもいい。

世の中の子ども達が何にも囚われず幸せに暮らすことが出来れば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?