幸せに生きる道、模索中

今この本↓を読んでいます。
小さな文庫本ですが、転職活動の面接対策とか、ボランティア活動とか、このnoteの記事案作成とか、本業とか、筋トレの合間に読んでいるので、思ったより時間がかかっています。

読んで思うのが、「幸せな人生」のアドバイスの共通点を実感しました。

ありのままの自分を否定しない
他人に与える、感謝する
自分も他人も大事にする
諦めない
定期的に運動する、そして休息する
「仕事」を「苦痛」にしない
「完璧主義」を捨てる

こうやって書いてみると、去年の休職中に100冊以上の本を読んで学んだこととかなり近いなぁと思います。同時に、全てが真逆だった休職前後の全職場、昔の義務教育、実家は「人」を破壊するだけの環境だったと、改めて恐怖感とともに納得してしまいます。

ありのままの自分や相手を全否定
弱い相手から奪う、感謝は下に要求するだけ
上から大事にされなかった分、下に八つ当たり
「周りと違う」生き方を諦めるよう強いる
部活で運動(=苦行)を強要、就職後は運動する時間すら与えない
仕事は「我慢大会」
完璧主義(というより減点主義)

そんな環境で人間性を破壊された人が周りに溢れかえり、常に感情のはけ口を探し、ネットで叩いたり、パワハラをしたり、クレーマーと化したり。
かつての自分もその一人だったし、ASDでコミュ障だった筆者は40年間標的にされ、また筆者も自分より弱い相手に暴言を吐いた記憶もあります。負のエネルギーの再連鎖です。

19年前に入社した零細ブラック商社で直属の上司に言われた言葉が、「〇〇君(=筆者)が周りと合ってないから、監視して叩いて直させろと社長から指示を受けた」でした。
そして現職で入社半年後から苛烈な5年間パワハラを繰り返した上司が筆者に浴びせた言葉の一つが「徹底的に鍛えなおしてやる!」。

そんな「負の連鎖」が昭和はたまたま経済成長したので「成功体験」になってしまい、そのまま「勝ち逃げ」した上の世代。少し下(今の上司)の世代は入社後すぐ「右肩下がり」な中、上から受けたパワハラを下に向かってそのまま再連鎖しているのでしょうね。
その下の世代は「右肩下がり」の「落ちぶれる日本」しか知らず、しかも職場はパワハラが蔓延。絶望的な環境でメンタル不調者が大量発生し、筆者もその一人。

12/18の午後はボランティア活動の会合では「『ありのまま』が否定されない社会はどうしたら実現するか」という意見交換を、学生を含めた老若男女のメンバーとしていました。筆者はそんな異常な環境を体験談を交えながら話しつつ、「中の人は異常性に気づけないから、『外の目』を組織の中に入れるしかない。それも外の人に決定権を持たせる形で。」とコメントしました。

ちょうど最近の上場企業で流行りの「社外取締役」とも共通する考えですが、現職含めて単なる「お飾り」状態で機能不全なところがほとんどのようです↓。たぶん社外取締役もあっちこっちで掛け持ちしつつ、楽して役員報酬をもらえるような無難な対応しかしないし、経営層も自分たちの責任を追及しない無難な「お飾り」しか選ばないのでしょう。

だから「外の目」は完全に経営層から別のところ(いわゆる「人権派」の弁護士とか、NPOとか)から選ばない限り変われないでしょう。それも組織の内部まで入って行って、最終決定する権限まで付与することも必須な気がします。
今の現職も大半の日本企業も、自ら進んでそこまでやる可能性はほぼゼロでしょう。逆に上の世代は「逃げ切り」に汲々とし、下の世代だけが犠牲になってパワハラと生活苦でボロボロになり、そのまま勤務先が潰れたら放り出されて絶望と貧困の中で泣き寝入り… という図式が目に浮かんでしまいます。

現職もまさにそんな道を爆走しているので、自分で「サバイバル能力」を伸ばすしかはなさそうだな、と思う日々です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?