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夏の果て

三叉路を右に曲がるか夏の果て 白月

季語 夏の果 《晩夏》

 日頃からお世話になっているインターネット歳時記「きごさい」には、このように書かれています。

夏果/夏終る/夏の限り/夏の別れ/夏の名残/ゆく夏/夏惜しむ/暮の夏
夏の終りである。果てる、終る、の語には物悲しい思いがつきまとう。帰省や避暑などが終わり、去り行く夏が惜しまれる

 確かに子季語の「夏の終わり」とか「夏の別れ」なんていうと、物悲しい感じが漂いますね。

 でも、僕は「果て」って言葉に、何か浪漫的なものを感じるんですよね。

 例えば世界の「果て」なんていうと逆に終わりのない広さを感じませんか?

 果てを突き詰める行為って冒険心がなければできない気がします。

 いつもの帰り道、三叉路に差しかかったとき、いつもは左に行くんだけど、今日は右に行っちゃえ!とささやかな冒険心がうずいて、遠回りをしてしまうような、そんな感じをのせたかったのです。

 ただ、そんな冒険心を持てる夏も、もう終わり。確かにそんなほのかな寂しさもある気がしますね。

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