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静かな大地・池澤夏樹



ー静かな大地・池澤夏樹ー

この物語りは、著者の曽祖父である三郎さんという和人の、アイヌと共に生きた実話をもとにした物語。



「滅びゆく民という言葉が私は嫌いだ。
まるで放っておいたら滅びたかのような言いかた。
滅ぼすものがいたから滅びたのではないか」

この言葉は三郎さんの姪で、和人である由良さんの言葉。

和人にだって、三郎さんや志郎さんのように、アイヌに心を寄せてくれていた人達がいたのだけど、それは本当にごく僅かだっそう。
日本に人種差別はない、奴隷制度もなかったなんて事を聞くことがあるけれど、そんな事はなくて、少なくとも北海道ではそういうことが行われていたと言う事を、しっかり受け止めなければいけないなって思いました。

だけどそんな事があっても、アイヌは、アイヌ民族として誠実に生きていた。もっと言うと、元々持っているアイヌ民族としての誠実さに加えて、それ以上に和人に誠実でいないといけなかったのだと思う。
反発したい時だって、やり返したい時だってあっただろうけど、その気持ちを抑え込まないと生きていけない。
和人からの仕打ちが怖かっただろうから。

例えば、「アイヌは働きを横から取ったりしない」とオシアンクルさんは言う。
だから、相手が和人だろうと誰だろうと、何かを独り占めしようとは考えない。
鮭は、鮭の神様がちゃんと数をかぞえて、必要な分だけを送ってくださるから、だからアイヌだけで欲張ったりしない。
アイヌだけではなくて、狐も狼も熊も梟もみんなで分けるもの。そういう思想を軸にアイヌは生きていた。

一方で和人は、全部自分のものだと思って独り占めして、アイヌにはほとんど何も残らない。

だけどそれでも、逆らわない。逆らえない。
和人にはより誠実に、より忠実に、言われた事やされた事の全てを受け入れるしかない。
「何度か和人と戦ったけれど、力では勝てても、卑怯さでは勝てなかった。」
確かオシアンクルさんがそう言っていた。
(もしかすると別の本で別の誰かが言っていたのかもしれない)

こんな事がしばらく続いて、食べ物を奪われ、慣わしを奪われ、言葉を奪われ、思想を奪われ、子孫を残さぬよう仕向けられ、奴隷のような扱いを受け、そうやって明治から昭和までの苦しい時期を生き抜いてきた。

そんな時代の中で、和人とアイヌのはざまで生きた三郎さんは、どれだけの重圧を背負っていたのだろうと、そんな事を考えてみたけれど、私には分かるはずもない。
だけどその答えが、きっと三郎さんの最期なのだと思う。
きっと誰にも分からない。
何が正解だったのかも、きっと誰にもわからない。



私の高祖父は、アイヌ民族として議員をしていたのだけど、ちょうど三郎さんやオシアンクルさんと同じ時代を生きていたようです。(多分高祖父は、ニプタサさんと同じぐらいの年齢だと思います。)
この時代に、高祖父もアイヌのために奮闘していたのかなと思うと、誇らしくもあり、自慢の高祖父だと思う一方で、居た堪れなくて無念でもある。

本の終わりに由良さんの言葉で
「叔父が最も心を注いだのはアイヌのことだった。
それは全くなんの成果も生まなかった。
大きな力の前に押しつぶされた」
と書かれてあって、本当に本当に無念で胸がギュッとなる。

だけど私はアイヌの血が入っているとは言え、いわゆる和人として日本人として生きて、何不自由ない暮らしをしている。
だから無念だなんて、私なんかが言ってはいけないのかもしれないと思いつつ

もしかすると、アイヌの方達も無念だと感じたからこそ、下の世代のアイヌ民族には、和人として、日本人として生てほしいと願ったのかもしれないと思ったりもする。

アイヌであるオシアンクルさんも、アイヌには関わらない方が良いと、和人である由良さんと旦那さんに言っていた。

色々なことを考えながら読んで、今もまとまらないけれど
多くの人に読んで貰えたら嬉しいなって
自分が書いた本でもないのに、そんなことを思ったのでした。

627ページという長編にも関わらず、ぐいぐい引き込まれて止まらなかった。後半はなんとなく読み進めるのが辛くて、手を止める事もあったけど、とっても読み応えのある、心に残しておきたい物語りでした。

どうしてこんなに素晴らしい本が絶版なのだろう。
Kindleでは買えるけれど、本好きの方は紙で読みたい人が多いと思うんだけどな。。。

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