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【小説】『さみしがりやの星たちに』第1話

 あたしは昔から星を見るのが大好きだ。星なら何だっていい。夜空に瞬(またた)くカスみたいな小さな星でもいいし、夜の番人みたいに堂々とした顔で現れる月でもいいし、今真上に輝いて、あたしを照らしまくっている巨大な太陽でもいい。だから、あたしは眼鏡をかけている。小さい頃から太陽の見すぎなのだ。でも高校生になったらコンタクトレンズにして高校デビューする予定だ。
 そんなことを中二の新しいクラスになって、一人ずつ自己紹介をする時間にべらべらとしゃべった。中一は、この趣味を隠していたせいでいろいろとしんどいことになったから、どうせならもう言ってしまおうと思ったのだ。結果、今はなかなかの生活を送れている。中一の頃と比べたら、真っ暗闇のブラックホールと白く輝く北極星ぐらいの差がある。本当に、去年と比べたら今年は比べ物にならないほどいい生活だ。なんてったって、一緒に星のことを話せる友達ができたのだ。
 あたしはくいっと赤いフレームの眼鏡を押し上げて、屋上にぺたりと座り込みながらうんと背筋を伸ばした。去年の黒縁だった眼鏡は家の引き出しの奥底で眠っている。あの眼鏡ケースの中にあたしは全てを詰め込んで、押し込んで、ないものとした。
 そのとき、ちょうど屋上のドアが軋んだ音を立てて開いた。
「ごめーん、深(み)月(づき)、遅くなって! 保健委員会が長引いちゃった!」
「大丈夫、まだ時間あるから」
 腕にあるデジタル時計を指でつつく。お昼時間はまだ十分は残っている。これなら急いで食べれば間に合うだろう。日陰に置いてあったお弁当をどかして沙耶(さや)の場所を作った。沙耶はそこにすとんと腰を下ろした。それから暑そうに下敷きで仰ぎ始める。
「暑いねえー。もう夏だね」
「ん、昨日、天気予報も梅雨明けしたって言ってたしねぇ」
 ピンクのお箸でお弁当をつつく。今日のおかずは茶系ばっかりだ。いつもお母さんには色物を入れてって頼んでるのに。全然判ってくれない。
「梅雨明けかぁ……」
 沙耶の声が何だかとても幸せそうだったから、お弁当から目線をあげる。沙耶は下敷きでゆっくり髪を舞い上がらせながら空を見ていた。顔は緩みきっている。
「何? 急にそんなとろけそうな声だして。気持ち悪いなあ」
「気持ち悪いっ? いやいやいや、ちょっと待って。あたしのどこが気持ち悪いわけ? ちょっと、深月さぁーん?」
 沙耶がゆらりとわたしに近寄ってくすぐろうとした。慌てて、お箸を置いて降参の大声を上げる。
「問答無用!」
「わーちょ、くすぐったいよっ」
 きゃーきゃーわめきながら身をよじって沙耶から逃げる。あたしは笑っているし沙耶ももちろん笑っている。わざわざ日向に出てまで沙耶から逃げていると、急に下からぶわっと風が吹いた。
「やっ」「きゃぁっ」
 二人して慌ててスカートを抑える。お互い急に女の子らしい行動をした相手を見て、またお腹をよじって大笑いした。
「きゃっだって! 深月がきゃって!」
「沙耶だって、すごい可愛い声出してたから! はー、お腹痛いっ」
 二人で一通り笑って息をつくと、いそいそと日陰に戻った。やっぱり日向は暑くてかなわない。まだ半分も食べ終わっていないお弁当を脇に置いたまま、二人でコンクリートのドア側の壁に背中を預けて空を見上げた。
「……暑いねえ」
「……夏、だもんねえ」
 去年の今頃は、こんなふうに誰かと青空をぼうっと見上げている自分なんて想像できなかったな。心の片隅でそんなことを思う。あたしたちの真上を白い巨大な雲がゆっくりと移動していく。あんなにとろい動きじゃ、きっとあたしたちのことを何て素早い生き物なんだって驚いているにちがいない。そう、あたしたちはゆっくり歩くことも知らないし、止まることもわからない。時間を誰よりも濃密に過ごすことに頭がいっぱいで、一秒たりとも無駄な時がないように日々を過ごす。そうしないと、もったいないと思う。
「…………あっ! ねえ、沙耶!」
 二人に流れていた心地よい沈黙をばっさり破り、沙耶を横から覗き込んだ。沙耶は暑くてだれていた体をびくっと震わせた。驚いたらしい。
「な、何? 急に大声出さないでよ、心臓に悪いなあ」
「あたし、いいこと思いついた!」
「いいこと?」
 沙耶の耳に少しだけ赤みが差した。沙耶自身は知らない、だけどあたしだけが知っている沙耶の癖だ。嬉しいことや楽しみなことがあると、沙耶の耳はすぐに赤く染まる。
「あのねっ」
 あたしはぱっと立ち上がって、わざわざ屋上の中央の日向に出てからくるっと沙耶を振り返った。風でチェックの紺色のスカートがばさばさはためく。あたしはスカートを抑えもしないで両手を大きく広げた。
「夏休み、ここで、天体観測をしよう!」
「…………………………それ、のった!」
 沙耶はぱっと立ち上がって満面の笑みでそう叫んだ。ここで、えぇ、無理だよぉ、などと言い出さないところが沙耶のいいところなのである。

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