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Off Flavor入門〜⑫酵母の働き

前回からの続き
前回は代謝、ATP、酵素に関する一般的な内容に触れました。熱などのエネルギーによる無駄の多い化学反応と違って、生物は代謝ネットワークと酵素を駆使して精緻に狙いの産物を作っています。今回は実際にビール酵母がどのように産物(排出物)を作っているのか見ていきたいと思います。

糖代謝

解糖系とATP産生は好気呼吸とも言われ、代表的な代謝経路です。生物の教科書でも詳しく説明されます。大まかに見ると、解糖系で1つのグルコースから2つのピルビン酸に異化し、その後ピルビン酸の酸化によってできたアセチルCoAがクエン酸回路に入ることで水素原子(H)を運搬するNADHとFADH2を還元し、電子伝達系で大量のATPに「換金」する仕組みです。

酵母の糖代謝システムの概観

酵母は酸素があってもなくても生存できる真核生物ですが、それは上の図のように好気条件と嫌気条件で代謝経路を切り替えているからです。酸素があればクエン酸回路と電子伝達系を使ってATPを産生します。酸素がなくなるとアルコール発酵をします。
ここでは詳しくは触れませんが、この糖代謝システムはアロステリック調節などで高度に調整されています。アロステリック調節とは酵素活性や阻害因子をフィードバックしてシステム全体のスピード調整や経路切替をする仕組みです。つまり酵素の働きを制御します。代謝システムの主役は酵素なのです。

解糖系とクエン酸回路

解糖系は10ステップ、クエン酸回路は6ステップの反応がありますが、すべてのステップにそれぞれ特異な酵素が関与します。

解糖系のステップ6と7

例えば解糖系のステップ6はグリセルアルデヒド-3-リン酸デヒドロゲナーゼ、ステップ7はホスホグリセリン酸キナーゼという酵素が触媒となって反応を前に進めます。こういう酵素がすべての工程で働いているわけです。
解糖系やクエン酸回路で登場するNAD+/NADH、アセチルCoAなどは補酵素と呼ばれ、酵素と一緒になることで基質に対して働きます。このように酵素は機能するためにパートナーを伴うことがあります。永久的に酵素に結合して機能するものを補欠分子族(ヘム、フラビンなど)や補因子(鉄などの金属)といい、一時的に結合して機能するものを補酵素といって区別します。

アセチルCoAとNADH

赤い丸で囲った部分は酵素と結合することで変形します。アセチルCoAはアセチル基(CH₃CO-)をクエン酸回路に引き渡す役割を担っています。一方、NADHは補酵素であるとともに電子担体としても働きます。電子(e-)とプロトン(H+)を電子伝達系に運ぶキャリアです。同じような電子担体にクエン酸回路で登場するFADH2があります。
NADHやFADH2はカジノのコインや麻雀の点棒のようなもので、それを電子伝達系に持っていくことでATPに換金できる仕組みです。(ギャンブルは日本では違法なので不適切なたとえですみません)

電子伝達系とATP収支

電子伝達系はミトコンドリアで起こる反応系です。酵素を使って基質や補酵素を反応させていくことで発エルゴン反応を起こす他の代謝系と違って、電子伝達系は担体から回収した電子とプロトンの濃度勾配を使ってポンプを動かしてエネルギーを得ます。

グルコース1分子のATP収支

このときにNADHとFADH2から受け取るHの数によって得られるATPが変わってきます。解糖系だけだと2つのATPしか得られないですが、電子伝達系まで進むと理論値では合計32のATPが得られます。なので酸素が使えるときは酵母は積極的に酸素を使ってATPを産生します。成長して出芽して盛んに細胞分裂するためには大量のエネルギーが必要です。健全な発酵のために元気な個体がたくさん必要なので、発酵の立ち上がりに酸素を入れる必要があるわけです。酸素がなくなると「しゃあないなあ」と言いながらアルコール発酵に切り替える感じでしょうか。

アルコール発酵

アルコール発酵

アルコール発酵は2ステップの反応です。このステップにも特異的な酵素が使われます。このように酵素は代謝ネットワークのあらゆる反応で特異的に利用されています。ステップ1ではピルビン酸からCO2が抜け、これがビールの炭酸になります。ステップ2でアセトアルデヒドがNADHによって還元されエタノールになります。重要なのはこのときNADHが酸化れてNAD+になること。これによって再び解糖系に必要な補酵素であるNAD+が産生されます。

その他の代謝システム

解糖系をはじめとする糖代謝は生物の代謝システムの中でもメインのシステムです。人間などの多細胞生物だと骨格、皮膚、伝達物質など様々なものを作るためにタンパク質代謝や脂質代謝も重要な役割を占めます。そのために「糖質、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルなどバランスよく栄養を摂りましょう」と言われるわけです。
酵母は単細胞生物なので、人間よりも糖質以外の代謝活動は少ないでが、それでも糖以外の栄養素は必要です。砂糖と水だけの溶液の中では酵母は健全な発酵はできません。麦汁に含まれる様々な有機物、無機物は酵母が活動するために必要な栄養です。

代謝とオフフレーバーの関係

ざっくりとした計算ですが、10プラトーの糖が発酵するとABV5.5%で、エタノールだと44g/L、CO2は49g/Lできます。これに対して、オフフレーバーとして問題にされる化合物の官能閾値は通常ppmやppbオーダーです。つまり0.001g/Lとかそれ以下の単位でしか存在しないマイナーな化合物ということです。

酵母の代謝と産物(排出物)のイメージ

上の図はざっくりとした酵母の代謝システムのイメージです。オフフレーバーは主にマイナー産物が原因となります。糖代謝やそれ以外の代謝システムから排出される微量の化合物が単体あるいは何かと結びついてオフフレーバー物質になったものが、ビールを台無しにしてしまう構図ですね。
ある種のオフフレーバーは代謝のバランスが崩れることで発生します。不適切なタイミングでのエアレーションとか、発酵タンクの温度と圧力、麦汁の糖組成などで代謝による産物が変わってきます。微量でもオフフレーバーとして感知されてしまうので、醸造工程の管理はとても大事なのです。

次回へと続く

今回は酵母の代謝についてざっくりと見てみました。糖代謝もその他の代謝も詳細部分は触れませんでしたが、一つ一つの反応ステップも大事なのですがきりがないので泣く泣くカットしました。代謝システムの主役が酵素であること、糖代謝がメインの経路だがオフフレーバーの生成には他の代謝システムが関わっていることが要点と思います。
今回の投稿でも酸化と還元という言葉を使いました。ビールのオフフレーバーを語るときにも良くでてくる「酸化」という言葉。この基本を押さえる必要があると思うので、次回は酸化・還元についてです。

お読みくださりありがとうございます。この記事を読んで面白かったと思った方、なんだか喉が乾いてビールが飲みたくなった方、よろしけばこちらへどうぞ。

新しいビールの紹介です。今年もラードラー造りました。今回は山梨産のレモンを使ったフレッシュな仕上がりになっています。

Far Yeast RADLER2024

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