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イスラム世界探訪記・パキスタン篇①
「05年9月18~19日(日本→ドバイ→カラチ→モヘンジョダロ)」
モヘンジョダロに行きたかった。思い起こせば高校時代、「大学に行って考古学を学ぼう!」と思った大きなきっかけの1つが、現在のパキスタンにある、インダス文明のモヘンジョダロ遺跡だった。そのくせ大学ではインダス文明と縁もゆかりもない「ネアンデルタール人の埋葬」を卒論のテーマにし、卒業後も考古学とは無関係の仕事についているあたり、われながら無節操だと思う。
とはいえ、一度はモヘンジョダロをこの目で見たい。それがパキスタンへ行く最大の動機だった。当時27歳の私は、知人が立ち上げた編集プロダクションの発足メンバーとして、主に経済と医療に関する複数の雑誌の取材、執筆、編集をしていたが、売り上げの大半を占めていた仕事をよその会社に奪われたことで、長い夏休みを取ることができた。当時の日記には「降って湧いたようなチャンス」と書いてあるから呆れてしまう。
05年9月18日、12日間のパキスタン旅行へ出発した。荷物は30リットルのバックパックひとつだけ。羽田から関空へ。関空からドバイへ。ドバイからパキスタン南部の都市カラチに到着したのは、現地時間で19日の正午ごろだった。暑い。重く湿った空気が肌にまとわりついて、得た水分の倍の汗をかくような、実に気怠い気候である。
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入国して最初にしたことは、カラチの空港でモヘンジョダロ行きの国内線チケットを入手することだった。モヘンジョダロ観光によく利用される「サッカル空港」行きではなく、本数は少ないけれど遺跡の最寄りにある「モヘンジョダロ空港」行きをタイミングよく買えた。18時発。金額は32ドルだ。
お金の話をすると、現金を米ドルで400ドル、加えてトラベラーズチェック(懐かしい!)で400ドル、計800ドルを持って旅立っていた。1パキスタンルピー(Rs)がどの程度の価値だったのか、当時のレートが残念ながら日記に残っていないが、調べてみると1Rs=約2円だったようだ。100Rsで200円程度の計算になる。
さて、カラチである。パキスタンを観光する場合、東の都市ラホールから入国するケースが比較的多いと聞いていたが(真偽は不明です)、私はモヘンジョダロ行きを最優先にするため、距離的に近い南部のカラチを選んだ。
遺跡行きの航空チケットが取れて安心したものの、搭乗時間にはまだ早い。空き時間を利用して、国立博物館へ向かうことにした。海外一人旅をした時は、できるだけその国の国立博物館へ行く。これは今でも、そうありたいと思っている。
足はタクシーだ。空港の前にびっしりと並んでいる黄色いタクシーを物色しながらうろつくと、ドライバーたちが、われ先にと声を掛けてくる。全員男、全員大柄、全員お腹がぽってり、そして全員が屈託のない笑顔。そんな人々に囲まれて、いい加減な英語でいい加減なコミュニケーションを取り、1台のタクシーを選んだ。エアコンはなく、窓を開けるとあっという間に砂埃が車内に充満する。数年前に訪れたカンボジアを思い出した。カンボジアは私にとって「太陽と砂埃の国」のイメージで、パキスタンにも通じるものがあった。
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博物館に到着すると、残念なことに、入り口に「ランチタイムのためクローズ」と無情な案内が出ていた。言われてみれば、そんな時間だ。飯でも食おうかと、ドライバーに適当な食堂を案内してもらった。髭面、太い胸板、笑顔というパキスタン男児の特徴を過不足なく兼ね備えたドライバーは、名前をシャフィックといった。
「この豆カレーは『ハリム』という料理で、オンリーカラチだ」
現地の安食堂で、いかにも自慢げに言うシャフィックの言葉を、本当かなあと思って聞いていた。様々な薬味を豆のカレーに混ぜて、ナンにつけて食べる料理だ。美味い。けど、結構どこにでもありそうな気がする。
食後、博物館へ戻り、ハリムが本当にカラチオンリーなのかどうか疑問に思いながら、モヘンジョダロに関連する展示を重点的に見物した。その後は、シャフィックの勧めで海へ向かった。パキスタンと聞いて、海はあまり想像できないかもしれないが、カラチのある南部にはアラビア海が広がっている。
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「アラビア海のビューポイントだ」
ビーチに車を停めたシャフィックは、満足げな顔を見せた。一条の縞のように伸びる白い波を眺めてから、もう一度こちらに目をやり、「凄いだろう」と言う。しかしそこは、綺麗、汚いの感想を持つのが難しい「ああ、海ですね」としか言いようのない平凡な、ちょっと暗めのビーチだった。
ただ、海辺にはカップルもいたし、ヒジャブを取っている女性も多かった。さすがに水着姿の女性はいないが、肌を露出しないまま、若い男女が楽しそうに浜辺ではしゃいでいる。カラチはパキスタン最大の都市、いわゆる大都会だ。男女の自由恋愛が困難な国でも、都会と田舎で地域差はあるのだと思う。
そんなことを考えつつ、早々にビーチの光景に飽きてしまった私は、空港へ戻ろうかとタクシーを振り返った。すると、いつの間にやらシャフィックが、ボンネットを開けて何やらごそごそと作業をしている。話しかけると「ノープロブレム」と笑う。実に不安をあおるノープロブレムをこの後、4~5回聞いてから、ようやく車は発進した。
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この後はトラブルなく空港に到着した。礼を言う。仰天したのはここからだ。シャフィックが、にんまりと微笑んで「金はいらない」と答えたのだ。
いやいや、と突っ込む。いくら人が良かろうが親日だろうが、3時間ほども走って、それはありえない。払うよ払うよと何度も伝えると、そこまで言うなら仕方ない、といった様相を見せつつ、シャフィックは「じゃあ1200Rs(約2400円)ね」と要求した。
「OK」と答えた。
この金額は、おそらく相場よりも高い。しかし、この親切なドライバーに親しみを感じていた私は気にならなかった。大学卒業後、1ドルを節約するために何時間も歩くような貧乏バックパッカーをやっていた自分がどうしたことだろう。金を払うと、お釣りが足りないとのことで、結局要求よりも高い1300Rsを支払うことになったのもご愛嬌? だろうか。
この後、パキスタンの旅を通じて「金なんかいらないと一度断った後、私が払うよと申し出ると、想定よりも斜め上の金額を持ち出してくる術」に何度も向き合うことになるとは、この時点で知る由もなかった。
国内線に搭乗した。1時間ほど飛び、19時頃に着陸。タクシーを拾う。ガイドブックには、「モヘンジョダロ観光の際は、近くのラルカナという街に泊まるのが良い」と書かれていたが、無視して遺跡に向かった。遺跡に宿泊施設があるのを知っていたからだ。
夜も更け、モヘンジョダロ遺跡に到着した時は暗く、周囲をしっかり観察できなかった。そのせいか、憧れの場所に来たという感慨はない。遺跡にいた男性に「アーケオロジー(考古学)バンガローに泊めてくれ」と切り出すと、「ウエルカム」の返答を頂く。あっさり案内してくれた。
随分と遅い時間である。もし何らかの理由で断られていたら、こんな遺跡と星しかない寂しい土地で、私はどうしていたのだろうか。予約なし、完全アポなしで訪れているのに、泊まれないケースなど想像もしていなかった当時の自分が愛おしい。
案内された部屋が思いのほか広く、驚いた。ベッドはふたつあり、トイレとシャワーが室内についている。私には上等すぎる部屋だ。シャワーは水が出なくて直してもらわないといけなかったし、部屋の中には行列を作っている蟻と、物音を立てて走るネズミがいたが、安心して休める宿だった。モヘンジョダロの見物を明日に控え、眠った。
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