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掌編小説

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掲載した掌編小説をまとめています。
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記事一覧

【掌編】チルアウト、三千世界。

十八歳。世界が散った。 誕生日には毎年、ケイちゃんのお母さんがプレゼントを送ってくれた。ケイちゃんは私が関西に住んでいた頃の友達で、と言ってもそれは三歳までの話であり、正直、私はその顔すら思い出せない。しかし母親同士が仲が良く、住む土地が離れてからも「ケイちゃんはブラスバンドを始めたらしい」だとか「ケイちゃんが中学受験に受かったらしい」だとか、数年おきにちょくちょく情報がアップデートされていた。その度私は脳内で顔が黒く塗りつぶされたマネキンに管楽器を持たせたり合格通知を受け

【掌編】ヒーロー

仕掛けられた時限爆弾。目の前には赤い線と青い線。どちらかを切れば今すぐ爆発、どちらかを切れば君は助かる、そんな劇的なシチュエーションにあるとして。 その爆弾に対し、君が取り得る選択肢は、およそ四つ。 ①赤い線を切る ②青い線を切る ③赤い線と青い線を切る ④赤い線も青い線も切らない 一番危ういのは、もちろん③。どちらかを切れば即爆発なら、どちらも切れば即爆発だ。君の身体は木っ端に砕け、確実に助かることはない。 ①と②のリスクは同一。爆発の確率は50:50。手掛かりも保証

【掌編】プレデターございます

『寝取った』などとは人聞きの悪い。 『寝』はしましたけど、『取っ』てはいません。 あらあら。そんなに怖い顔をなさらないでください。綺麗なお顔が台無しです。ほら、窓硝子をご覧になって。鬼のような形相ですわ。 どうやらよっぽど、あの人を愛していらっしゃるご様子で。ご安心を。御二方の間に割って入り、貴女からあの人を奪うような真似は致しません。誓ってそんなつもりはない。一筆書いてもよろしくてよ。ふふ。 あの人と床を共にしたのは、ただただ私がそれをしたかったから。それだけの話です

【掌編】懐疑的アンブレラ

みなさん、傘っていつ買っていらっしゃいますか。 あ、答えなくていいです。どうせ嘘だから。 突然降り出した雨に「なんとかなるかな」と淡い期待を抱いたものの、「さすがにまずいか」と頭や肩に雨粒をつけ、駆け込んだコンビニでビニール傘を買う。信じられるのは、僕と同じこのパターンだけ。他は全部嘘だと思っています。 だって見たことがないもの。 購入したばかり、ジャスト・ナウ状態の傘。 時にわぁ素敵それどこに売っていたんですか、というファッショナブルな傘をさした方をお見かけしますが

【掌編】ニトロ

私のこと好き、と訊いてくる女が心底嫌いだ。どれくらい好き、と訊いてきたなら殺意を覚える。 何様なのだろう、と思う。 人に名を問うなら自分から名乗るのが礼儀であるように、それなら己はどうなのか、先に自己開示をすべきだろう。俺のことが好きか。好きと言うなら、何を持って「好き」とした。それは果たしてお前の中で、確固たる基準か。では、それがどのように俺に当てはまるのか。 大抵の女は、そこで興が冷め去っていく。願ったり叶ったりだ。自分でも説明がつかない感情の有無を、他人に向けて問

【掌編】シーラカンスの鰭やさかいに

走らないのは、どうしてなの? 訊ねる僕に対し、平松君は堂々とした態度で答えた。 「シーラカンスの鰭やさかいに」 はて面妖な。 「その心は?」と問う僕もまた、スタート地点から一度も走っていないわけだけれど、それはつい先日まで風邪と診断され寝込んでいたから。平松君とは違い、きちんと先生に事前の承諾を得た、言わばライセンス持ちのウォーカーである。 うちの高校のマラソン大会は、市を南北に突っ切る一級河川、その一部を直方体で囲うようなルートを描く。よーいどんでピストルが鳴って

【掌編】上唇

月めくりと称して、貴方は私の上唇を吸い取る。 舌に貼り付く私のささくれ。 それを見せ、三日月の薄皮を剥ぐようである、と。 貴方はその細切れを器用に咀嚼し、嚥下、そしてまた私を吸う。 為されるがまま、自ずと漏れ出る息、声、熱に酔う。 「今日、ご主人様からお咎めを受けました」 激しさを増す呼吸の合間、口にする。 「どのように」 貴方は私を弄りながら。 「立つ姿勢がだらしない。歩く速度が緩慢だ」 「理由ではない。どのような折檻を受けた」 「あ」 一際か弱いところに

【掌編】ベロニカでは届かない

書く時間がもどかしい。思いながらも、僕はペンを走らせる。 初めて参加した即売会は、その界隈では有名なイベントだったらしい。ウェブで存在を知り、何の気なしに出店してみた僕は、当日になりようやくその規模の大きさを実感した。 端から端まで歩くだけで息切れしそうなほどに、広い会場。そこに所狭しと長机が並び、四桁に及ぶクリエイターがブースを構える。ただ薄い布を敷き、本を平積みしただけの自分とは異なり、棚を使ったディスプレイ、華やかなポップ類で集客を試みる周囲からは、この情報過多な空

【掌編】今ここにあるもの、ないもの。

街クジラが海岸に打ち上がった。 僕は君の手を引き、それを見に行く。 クジラやイルカが波打ち際で死を遂げる。度々見られる事象ではあるけれど、その理由については、未だ具に解明されていない。それはもちろん街クジラについても同様で、砂浜に横たわるその屍からは、何故こんなものがこんなところに、という違和感と、お前はまだわからぬだろうがこういうものなのだ、という説得力が漂っていた。 「あの中に、街があるの?」 君が訊ねる。 防波堤に腰掛け、僕と君は並んでいる。 「一説によればね」

【掌編】独白ドーナツ解脱編

フレンチクルーラーが好きです。 特に某有名チェーン店のものが好物で、子供の頃からご馳走と言えばそれでした。 風邪を引き、熱を出したときも。 受験勉強のお夜食も。 生活圏内に店舗が無く、なかなか買ってはもらえぬ我が家において、ここぞと甘えられる要所要所で、それをねだっては手に入れてきました。 もちろん、自分で買いもしました。 二桁に及ぶそれをトレイに載せ、箱にびっしり詰めてもらったこともあります。 時には在庫が切れており、長蛇の列が伸びる中、出来上がりを待つことも。 今日は

【掌編】不等号と17歳

読む時間。何を。空気を。 空気は読むものじゃなくて吐いて吸うものと著名な誰かが言っていて、なるほどそれは含蓄のある言葉だと思うけれど、実際問題空気を読まなくてはならない場面はこの世に多々あり、大半の者はそれをしている。政治家の失言や的を外れたSNS投稿がこれでもかと言うほど槍玉に上がる現代社会で、そのスキルを放棄しろ、とはこれ如何に。おそらくこの標語は「空気を読むことに執着し過ぎず、きちんと自己主張もできるようになりましょう」とのニュアンスを含んでいるのだろうが、どこかしら

【掌編】魔法少女、マ。

秋が好きだと君が言うから、私は魔法少女になった。とは言え何をすればいいのか皆目わからず、とりあえず語尾に『ロリン』を付ける。雰囲気。 「やっほー、ハヤト君。私は魔法少女、マジカルアッキーだロリン!」 ベットで半身を起こすハヤトは、口を半開きにしてこちらを見ている。 「へ? だれ」 「魔法少女マジカルアッキーだロリン」 「アキちゃんじゃないの?」 「そうだロリン」『ロ』いらねえなこれ。修正。「普段君が会っている藤沢アキは私がオートで走らせている仮の人格。この身体の本当の主

【掌編】砕け散ると黄昏が知る時

愛は犬も喰わない言い争いの末、容易く砕け散った。喧嘩の内容には触れない。語りたいのは、その喪失の在り方。そして愛。 ただ失うでなく、砕け散る。割れるでも爆ぜるでも溶けるでもなく。目に見えぬ事象ゆえ、個人の感想の域を出ないが、確かにそう知覚した。 砕ける、ということは硬かったのだろう。例えばそれは、ガラス玉の如く。ゴム毬のように柔いものでは、そうはならない。 その上散るなら、恐らく落下だ。しかも高度があるところから。低所から落ちても、破片は飛ばない。 つまり愛は強固で、かつ

【掌編】逆撫アザラシ今何処

文化祭と言えば、桂木先生の個展だ。 クラスや部活動の催しにも参画はしたが、思い返し、まず浮かぶのは、あの写真展である。 桂木先生は数学教師で、小柄でやや肥満気味、男性にしては長めのおかっぱ頭の下、アザラシのような童顔が貼り付いた人だった。中年ながら愛らしい外見に加え、温和な性格から、生徒からの人気も高かった。 そんな先生が空き教室をひとつ貸し切り、個展を開いていることを、僕は文化祭当日に知った。華やぐ校内をぶらつく中、窓が黒幕で塞がれた一室があった。入り口近く、白地の立看