見出し画像

【掌編】シーラカンスの鰭やさかいに

走らないのは、どうしてなの?

訊ねる僕に対し、平松君は堂々とした態度で答えた。

「シーラカンスの鰭やさかいに」

はて面妖な。

「その心は?」と問う僕もまた、スタート地点から一度も走っていないわけだけれど、それはつい先日まで風邪と診断され寝込んでいたから。平松君とは違い、きちんと先生に事前の承諾を得た、言わばライセンス持ちのウォーカーである。

うちの高校のマラソン大会は、市を南北に突っ切る一級河川、その一部を直方体で囲うようなルートを描く。よーいどんでピストルが鳴ってからおよそ三十分が経過。速い生徒ならもう対岸に辿り着いているであろうところ、平松君も僕もまだ、最初の直線の中腹辺りで留まっている。

不良っぽい子たちが僕らの後方で雑談しながらだらだら歩いているのとは、装いが違う。平松君の足取りはきびきびと、まるで今日の晴天からエネルギーを受け、それを大地に還元しているように河川敷を進む。

でも、走らない。

そこまで力漲っているのであれば、そのまま駆け出してしまえばよかろうにと思えるところ、しかし、それが確固たる信念であるかのように、歩くだけで走らない。違うクラスで、これまでろくに話したこともない間柄ではあったものの、さすがに不可解で声をかけてみた、という次第である。

「シーラカンスってな、鰭が進化して脚になった言われてんねん。で、もう鰭は使わんでええはずやのに、なんや知らんけど鰭っぽいやつがまだ貼り付いて残ってんねん」

それと同じや。平松君は言う。
どう同じなの? 僕は問う。

「走るなんて機能、もう人間にいらんやん」

からりとした声で平松君。

「現代社会で走っとるやつなんか、基本阿呆しかおらんで。急ぐんやったらチャリ使えや車使えや電車使えや飛行機使えや。そもそも急がんで済むように早めに家出ろや余裕持って行動せえや。頭使ってリスクヘッジしとったら、走る場面なんかまるであらへん。鍛えんでええ機能やろ」

全世界の走っている人に謝れ、という内容だけれど、言われてみれば一理あるのでは。
僕は平松君の無茶苦茶な論理に納得してしまった。

その後も平松君は麗らかな陽射しを堪能するように歩き続け、きっとそのまま一度も走ることなくゴールしたのだろうけれど、実際のところはわからない。途中まで彼と連れ立って歩いていた僕は急に気分が悪くなり、川縁で嘔吐してマラソン大会を棄権した。どうやら風邪だと思っていた僕の病気は風邪ではなかったらしく、過去の経験上それを薄々僕はわかっていたのだけれど、せめて川辺を歩くくらいの学校行事には参加しておきたくて嘘をついていた。案の定そのまま入院、それが長引き留年までしてしまい、先んじて卒業証書を受け取った平松君とは、あれ以来一言も交わしていない。

大丈夫か。

最後の言葉はそれだった。先生の肩を借り、河川敷を登っていく僕を、平松君は立ち止まり見上げていた。止まらせてごめん。せっかく気持ちよく歩いていたのに、台無しにしてごめん。心の中で唱えるも、息も絶え絶えだった僕は、その謝罪を告げることはできなかった。

平松君と再会したのは、それから二十年近くがたった頃だった。面と向かってではない。何年かぶりに帰った地元で、ふと見かけた街頭のポスターに、平松君が映っていた。

『ひらまつ誠二』と、平仮名部分が強調された、選挙ポスター。文字の横に髪をかっちり整えた平松君の笑顔があった。顔の側には『あせらず、一歩一歩』との文句が斜めに入っている。

一気に記憶が甦り、遅れて感嘆の息が漏れた。検索をかけると、市議会議員を務めているらしく、事務所のホームページにこれまでの活動を映した写真がアップされていた。

主に医療福祉の充実、特に病気を理由に就学できない青少年の支援に力を入れている、ということだった。

大丈夫か。
あの日立ち止まり、僕を見送った平松君の声が頭を過ぎる。

自分の存在が彼に何かをもたらした、とまでは思っていない。が、どこか平松君の人生に一枚噛んでいるような錯覚を覚え、思い通りにいかなかった僕の青春も、まるっきり無駄ではなかったように感じられた。

写真のうち一枚に、後援会と思しき一団が映っているものがあった。笑顔で直立する平松君の後ろで、面々が短い横断幕を掲げているものだった。

『若手市議のトップランナー! 医療福祉に革命を!』

そんな文句を認め、思わず笑ってしまった。

「いや、めちゃめちゃ走ってんじゃん」

小さく突っ込み、スマートフォンを仕舞う。
不思議と歩みが速くなるのを感じた。


****************************************

この作品は、こちらの企画に自主練習として参加しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?